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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第7章:できそこないの王子─後編─

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124話:秋宵の静寂

 渓谷を調べていたら、遅くなってしまった。

 夜気(やき)に、吐息が交じる。まだ白くはなかったけれど、秋の深まりはシェイラの頬を冷やす。


 翅のまま、シェイラは下降するようにして、王城のなかに降り立った。途中の突き抜けるような抵抗は難なく無効化し、特になにかが起きることもなく、第一王子宮の近くに着地する。

 夜勤の近衛に挨拶をし、扉を開けてもらう。侍女もまた不寝番に代わっていて、シェイラは遠慮がちになかへの入室許可を求めた。


「もし、イディオン殿下がすでにご就寝の準備をされているか、お眠りなようでしたら、また明後日参ります」


 今日は風ノ日だったから、静寂ノ日の次は福音ノ日だ。

 怪我を負っていたので、無理はさせたくなかった。

 けれど、シェイラの定まった気持ちは、イディオンに話せることは話してしまいたいと言っている。なんとなく、イディオンのほうも待っているのではないかと思った。


 取り次ぎの侍女は、間もなくしてシェイラにイディオンの許可を伝える。


「どうぞ寝室へ、とのことです」


 それは、いいのであろうか。

 むしろ、シェイラのほうが遠慮したい気持ちになる。


 どうぞ、と促されて寝室の戸を叩かれてしまうと、腹をくくるしかなかった。控えめに扉から顔を出す。



「おかえり、シェイラ。……そこにかけて」



 イディオンは寝台のうえで上体を起こしていた。今にも寝そうな姿で、シェイラはやはり邪魔をしてしまったのではないかと考える。


「すみません、イディさん。お疲れですよね? 日をあらためますので、今晩はよくお眠りになってください」


「いや、待っていたから」


「ですが……」


「来なくても、待っていたし……それにきっと、今日は眠れなかった。疲労はあるのに、体がどこか興奮していて」


 蟲に襲われたせいだろう。体が過緊張を起こしているのだ。


 心配だったので、シェイラはいそいそと入室する。

 勧められた壁窪(アルコーブ)窓の座面に腰かける。応接間と同じ作りになっていた。窓部分の面積は少し狭かったけれど、秋月の輝きが澄んだ夜気を含んで、寝室を白銀に染め抜いていた。照らされるイディオンも、いつものように絵のようだった。


「今日は、なんで来てくれたの?」


 入室するシェイラを認めると、イディオンは侍女に茶を命じてから、そう尋ねた。

 シェイラはきょとんとして、それからもとの目的を思い出した。


「イディさんを、びっくりさせようと思いまして」

「びっくりって、なに」


 想像していない返事だったのか、イディオンが当惑を浮かべる。


「来ないと思ってた人が来るとびっくりしませんか?」

「そりゃあするけど……実際にしたけど……」

「少し相談に乗ってもらいまして」

「相談?」

「そうです。今日行っている学園の子に」


 ユートの顔を思い出して、シェイラは笑う。


「びっくりするし、うれしいって。来てくれたらすごくうれしいって、その子が教えてくれたんです。だから、来ました」

「…………」


「うれしかったですか?」


 わたしが来て、とシェイラが問うと、イディオンは恥ずかしい時いつもそうするように俯いてしまった。

 照れているのだな、とさすがにシェイラも学んでいる。


「……うれしいに決まっている」


 ぽつっと返ってくる。


「それはよかったです!」


 ユートに報告しよう。そして、スズムシ競争をがんばろう、とシェイラは思う。

 イディオンは照れた顔のまま、少しだけ不満そうに漏らす。


「ただ……」

「はい?」

「狩りの場を見てもらいたかった……」


 ぼろぼろになっているところではなく。

 イディオンの言葉に、シェイラは明るく返す。


「今日のは運が悪かっただけですよ」

「うん……」


 銀色の髪は下ろされているので、しょぼくれる顔が見えなくなってしまう。


「では、今度見せてください」

「今度っていつ?」


 イディオンは、じろっとシェイラを見る。


「いつでしょうね?」

「適当なことを言わないでくれ」

「いえ、見たい気持ちはありますので」


「……期限があるくせに」


 イディオンがぼそっと悪態をつく。


 シェイラは、それにはへらりと笑って誤魔化した。わかっているのであれば、言葉を重ねる必要はないからだ。


 そうして、侍女によって茶が差し入れられると、シェイラはまたべつの話題を口にした。グシェアネスや弟ムディアンとのやり取りだ。今日の様子から、一月ほど前に聞いた家族とのぎこちなさは感じ得なかった。それを口にすると、


「シェイラのおかげだよ」


 イディオンはそう応えた。グシェアネスとも、ムディアンとも話す機会があったのだという。


(それはよかったです)


 ひとつ、自分の務めを果たせた気がして、肩の荷が下りるようだった。


 香草茶で喉を潤してから、シェイラは本題を切り出す。



「今日は、ありがとうございました」



 眠りをさまたげない香る茶だった。口にすると、アメリ草とは異なる、あたたかなやさしい花の香りがする。



「わたしをかばってくださって、ありがとうございました」



 あの時、イディオンから得たものを、シェイラはなんと言えばよいのかわからない。


 罪人であるということは事実であって、父公や枢機卿の言葉はまちがってなどいないのに、どことなく、シェイラが抱いた虚しさを拾い上げてもらった気がしていた。

 イディオンの目を見て感謝を口にすれば、真っ直ぐな縹色はなんのてらいもなく返答をする。



「当然のことをした」

「はい」

「それだけだ」


「はい、それがとてもありがたくて……だから……」



 ああ、とシェイラは目を逸らして、月影に思う。


 ずっと自分は、疲れた心を持て余していたのだ。だれにも、自分の思いや行動を理解してもらえないであろう、と思いつづけて。

 今日話に来てしまおうと思ったのも、きっとそのせいだった。


 瞑想を身につけて、心の保ち方を学んだはずなのに。

 ずっと疲れていたから、吐露してしまいたくなったのであろう。



「約束を果たしに来ました」


「……うん、待っていた」



 イディオンは、やさしく肯く。



「ほんとうは、一ヶ月も前に話す約束でしたのに」

「気にしていない」

「……眠れないようでしたら、わたしの……愚かな話に付き合っていただけますか」


「ああ」



 イディオンは肯定する。



「あなたの話を聞きたい」



 シェイラは、どこまでもやさしい中低音に微笑する。


 それから、自分の過去を秋宵(しゅうしょう)のしじまに語り聞かせるように、紡ぎはじめた。

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