123話:侮辱と怒り
ヴィクトルとシェイラが、狩猟祭の待機場である幕屋に{転移}すると、その場は混乱と化していた。唐突に出現した霧に、オルリアの人間も、ガルバディアの人間も対応に追われていた。
ヴィクトルは、急ぎ本幕に向かう。
そうして、見つけた姿は、ヴィクトルが声をかけるよりもはやく、ヴィクトルを呼ばった。
「——ヴィック!」
ヒバリは、ヴィクトルに飛びつく。本幕のなかには彼女ひとりだけだった。
「心配したよ! 急に蟲が湧いてくるから、大丈夫か心配して……」
「すまない、ヒバリ。まずは先に、イディオン王子を{治癒}してやってくれないか」
ヒバリの体から、ヴィクトルは離れるようにした。
ヒバリは虚を突かれて、それから本幕に入ってきたもうひとつの影に気がつく。目が丸くなって、それから呆然としたように、つぶやいた。
「……シェイラさん」
「——お久しぶりです、ヒバリさま。すみません、どうかこの方の{治癒}を」
シェイラは言うと、近くにある敷座にイディオン王子の体を横たえた。
イディオン王子は身じろぎをして、それから周囲をじっと観察するようにする。
「頼む、ヒバリ。蟲にやられた」
ヴィクトルが、固まったままのヒバリに声をかけると、それでやっとヒバリは我に帰ったようだった。
「……わかった」
ヒバリは、イディオンの前にしゃがむ。
「王子さま、失礼します」
王子が首を縦にふれば、ヒバリは傷に手をふれるかふれないかの距離でかざした。あたたかなやわらかい光が発されていく。傷が見る見るうちに癒えていくのがわかった。
ヴィクトルには、見慣れた光景だった。
「やっぱりすごいですね……聖魔法は」
ぽつりと、シェイラがヴィクトルの横でつぶやく。
その瞳の影に、ヴィクトルは忘れられない後悔がもたげた。
「ラータ、私は——」
「——シェイラータ」
ヴィクトルの声にかぶさったのは、幕屋に戻ってきたロゼイユ公であった。驚愕した色を浮かべて、髪色から血筋を読み取れる娘を見やる。
「なぜ、お前がここに」
「……父さま」
シェイラのほうは、すでに心の準備をしていたようだった。
ただ、諦念を孕んだ声で、ロゼイユ公を見やる。
「お前に、私を父と呼ぶ資格はもうないはずだ」
「……失礼しました、閣下」
気まずい沈黙が囲んた幕のなかを圧迫するようであった。ぎろりと、ヴィクトルにロゼイユ公の鋭い紫紺の目が向けられる。
どういうことだ。
そう、言っていた。
「——なぜ、追放された魔女がここにいる」
ガズール枢機卿だった。
聖職者らしく慎ましい姿をしているが、喜捨金の件では腹の底が知れないとヴィクトルは考えている。ヒバリの世話役として、今回の表敬訪問に同行していた。
「この場をどこと知るか。罪人がいてよい場ではない。いかにオルリアではないとは言え、恥を知らぬのか」
ロゼイユ公に次いで戻ってきた断罪の声には、一切の躊躇がなかった。
重たい空気が満ち満ちる。
ヴィクトルはこの空気を打破するための言葉を持たなかった。それはヴィクトルがシェイラと婚約を破棄してから、絶対に持ってはいけない言葉だった。シェイラの青金色の瞳から、ちらちらと舞う金の輝きが消えたとしても、ヴィクトルの立場がそれを許さなかった。……かつてと同じように。
「——控えてくれ」
だから、その言葉は、雪白の輝きを持つようであった。純粋で、汚れのない、真白をたたえた刃の響きだった。
ヒバリの{治癒}を終えたのか、イディオン王子は上体を起こす。血塗れの姿のまま、やってきた人間を睥睨するようにする。
「それ以上は私が許さない。シェイラへの言葉を控えてくれ」
台詞はなおもつづく。
「シェイラは……導師シェイラータは、私にとって大事な師だ。恩人とも呼べるべき人だ。今時分でさえ、蟲より私の身を助けた。この国では、彼女は罪人ではない。これ以上、彼女を侮辱する言葉を吐くなら、それは、第一王子イディオン・ガルバディアへの侮辱と捉える」
周囲が呆気に取られたように王子を見やる。
なにより、シェイラが一番驚いて王子を見ていた。
「これ以上は許さない。——たとえ、友好国の者であったとしても」
その言葉はおそらく、ヴィクトルをこそ、裁いていた。怜悧な目は、白刃を輝かせて、断頭台の刃のようにヴィクトルの首を仕留めようとしていた。
「——やあやあ、ただいま。みんな、大丈夫であろうか」
秋冷えとは思えぬ冷たさを打ち破ったのは、信じられないほど軽快な女王の声だった。気分のよい散歩から帰ってきたと言わんばかりの声で、全員の動きが止まる。
「辛気臭い空気だね?」
堂々と指摘するさまに、イディオン王子が、深々と溜息をついた。額に手を当てる。
「母上……」
「イディオン、おかえり。随分と血だらけだ」
「蟲にやられました。ちょうどやって来たシェイラに助けてもらいました。傷はヒバリ聖下に治していただきました」
その返答を聞いて、女王はシェイラの存在に気づいたようにした。
「シェイラータ、よく来たね。狩猟祭を見に来たのかい?」
「突然の訪問を申しわけございません」
「なにを言う。今イディオンが言っていたではないか。そなたに助けてもらった、と。謝罪はいらないし、むしろ余からは感謝だよ。いつもありがとう」
暗に女王は言っていた。本幕の外でイディオンの話を聞いていた、と。
イディオンの言葉は道義であること、女王としてこれ以上のシェイラへの侮辱は許さないと、唇に凄絶さを乗せていた。
ガズール枢機卿が、そばで震え上がるようにしていた。
オルリア側は、ヴィクトルも含め、これ以上なにも言わぬほかなかった。
「——兄上!」
ムディアン王太子は幕内に転がるように、戻ってきた。
十三の少年は、血塗れのイディオンのそばによる。
「心配申し上げました。伝令より、蟲の襲来を受けたと」
「このとおり、無事だ」
イディオン王子がやわらかに兄の顔を見せる。
外見では、ムディアン王太子のほうが絶対的に歳上なのに、ふたりのあいだにはたしかな兄と弟の関係が見て取れた。
「心ノ臓が止まるかと思いました。母上に強制され、致し方なく私も蟲の殲滅に向かいましたが、気が気でなく」
「ありがとう、心配をかけた」
「シェイラータ導師の姿を見かけたと聞きまして、安心いたしましたが、ご無事でなによりです」
「うん、彼女にまた助けられた」
イディオンがちらっとシェイラを見れば、シェイラの目には青金の光が戻っていた。王子へのやさしげな目が向けられる。
シェイラは一度、まぶたを伏せた。それから開くと、強い意志の宿った青金色の瞳が、女王に向けられる。
「——陛下」
美しき絶対女王の目が、シェイラに向く。
「なんだい、褒美かい? 第一王子の命を救ったんだ。たっぷりと言ってくれ」
「それよりも先に、霧があふれた先を調べに行かせてください」
「ほう?」
「黒檀より命じられている件に、関連する可能性がございますので」
聞いているヴィクトルには、どのような件かわからなかったが、霧のあふれた理由は王太子として気になるものがあった。
「なるほどね。いいよ。行っておいで」
「はい。行って参ります」
シェイラはそう言って、簡易礼をする。
身を翻すシェイラに、ヴィクトルの足が動こうとした。
途端に、鋭い声が突く。
「——ヴィクトル殿下」
ロゼイユ公が、ヴィクトルを射抜いていた。そうして、その後ろにはヒバリの揺らぐような目が、ヴィクトルを見つめていた。
「……わかっている」
衝動と嘆息を噛み殺すと、ヴィクトルは己の無私を思い出すようにした。




