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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第7章:できそこないの王子─後編─

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122話:蝶と蛾


「なぜ、あのような真似を」


 一方のシェイラは憤っていた。

 ヴィクトルは、彼女がなにに怒っているのかわからなかった。



「……君は」



 ただ思ったことを漏らす。


「蝶だ」


「……よく言われます」


 シェイラが憤ったまま返答する。

 なにを言うのだと憤懣さを隠していなかった。


 そういうところは、変わっていなかった。


「とても、きれいな……蝶だよ」


「……ありがとうございます」


 少し照れたように目を逸らす。

 そういうところも、変わっていなかった。



「あまりにも美しい蝶だ」



 言えば、ぱっと顔が赤くなった。


 なにも変わらない反応だった。たしかに変わらぬものもあるのだと、感じ入るものがあった。深い(ふち)を、慰撫するようであった。



「——ちがうよ」



 その場に、高い声音が響いた。ブナの巨木に反響するような声だった。



「蛾だよ」



 {防護}の陣が消えた先の、イディオン王子が、ヴィクトルを捉えていた。



「シェイラのそれは、蛾だよ」




〜*〜




(蛾って、ひどくありませんか)



 シェイラは、ぽかんとイディオンを見た。

 怒りと恥ずかしくてたまらなかった気持ちが、あっという間にどこかに消え失せる。


「あの……イディさん、怒ってますか?」


 柳弦(リュート)の高音が、ぴんと張っているように聞こえた。


 ひとり、{防護}結界のなかに置いてしまったからだろうか。

 さっき、待っていると言ってくれていたのに、怒る理由がよくわからなかった。


「……べつに」


 イディオンはシェイラのほうを見なかった。

 会ったばかりのぶっきらぼうな様子を思い出す。


「蛾も、はじめて言われました……」


 シェイラがつぶやくと、イディオンはそれには反応した。食い入るようにシェイラを見る。


「も、って?」

「他にもべつの形容を」

「他には?」

「ゴキブリ、ですかね……よく妖精とか蝶は言われるんですよ」


「……ゴキブリはひどくないか」


 聞いたイディオンは、毒気を抜かれたような表情をした。


 ゴキブリと称したのは、もちろんユートなのだが、あれの意味をあとから聞いたら、


「だって、ゴキブリってすげえかっこいいじゃん! シェイラ師かっこよかったからさ!」


 明るく言われてしまった。

 ユートにとっては褒め言葉だったらしく、とてもほほ笑ましい気持ちになった。


(イディさんにとっての蛾ってどういう意味でしょうか……)


 知りたいような、知りたくないような。

 シェイラは毒々しすぎてあまり好きではなかったので、聞くとなんだか後悔してしまう気がする。


「……ちなみに蛾って褒め言葉ですか?」


 念のため、シェイラが尋ねると、イディオンは今度はぷいっと顔を背けてしまった。


 ほんとうに出会った頃に戻ってしまったようだった。


「さあ」

「さあって……」

「べつに、意味はないよ。見て感じたままを言っただけ」

「はあ……」


 今度は、シェイラのほうが毒気を抜かれてしまった。

 ヴィクトルと再会した動揺、気づいてしまったこと、怒り、感じていたものがすべて流れ落ちてしまったようだった。


 そうして、現状を思い出す。

 イディオンの治療をしてもらわなければいけない。


「……狩猟祭の幕屋はどちらになりますか? イディさんの傷を治さねば」


 シェイラが尋ねると、ずっと無言だったヴィクトルが答える。


「こっちだ」


「わかりました。では、イディさんを抱えなければいけませんね。{転移}を使えばすぐですけれども」


「私が背負おう」


 シェイラの提案に、ヴィクトルが肯く。



「いやだ」



 拒否をしたのは、イディオンだった。

 シェイラはびっくりする。


「イディさん、ちょっとのあいだなので、そこは我慢していただきたく——」


「シェイラがいい」


「……はい?」


 どうしたんだ、いったい。


「シェイラ、さっきみたいにぼくを運んで」

「さっきみたいに?」

「そう。さっきみたいに」

「抱っこしていいってことですか?」

「そう」



 意味がわからない。



 いつも、十六歳だ、慎みを持てと言っているのは、イディオンのほうではないか。

 全然、理解できなかった。


(怪我をして、少し気持ちが弱っているのでしょうか)


 きっと、そうなのだろう。


 それもけっこう危なかった。急死に一生の経験だ。そういう経験というのは、心ノ理学で言うと、恐慌による緊張、恐怖や不安などがやってくる。

 きっと今不安なのだろう。背負われるより、抱きしめてもらえるほうが安心するのだろうか。そうかもしれない。


(理解できました)


 シェイラは結論づけて、役得に少しだけうれしくなる。しゃがむとイディオンの背に腕を回した。イディオンも大人しくシェイラの背に腕を回す。



「……ヒバリに{治癒}してもらおう」



 向けた背に、ヴィクトルのそんな声がかかった。


 シェイラは、はっとして、それから強い哀感が、泉からのぼってくるように満ちていった。


 無意識に、イディオンを抱く背に力が入る。

 そうすると、イディオンからも強い力を返された。



「……{転移}しましょう」



 今はただ、胸のぬくもりと雪原のにおいだけがありがたかった。


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