120話:あなたは、また
イディオンは、意識の遠くで自分の呼び声を聞いた。
痛い。頭だ。出血している。
そして、腹もだ。今まさに食い込む痛みがある。腹のほうがまずい気がする。
視界が霞む。
(血か……?)
ちがう。風だ。
すさまじい風が、視界を遮っている。目を開けられない。
(なにが……起きた)
ヴィクトル王太子と話をしていた。そろそろ昼餉にしよう。そんな話があって気づいたら、突風がイディオンをさらっていったのだ。
さらわれた時の衝撃で怪我をした。
イディオンは今、鉤爪のようなもので体を掴まれている。爪が、腹に食い込んでいるのだ。
吐きそうな圧迫感と苦しさ、同時に激痛で、口のなかに不快な液が込み上げてくる。
鳥だ。鳥の化け物。
(〈蟲〉……どこから……)
{霧除け}がされていたはずだ。狩猟祭に先立って。
どこから、湧いてきたのだ。突然、現れた。霧とともに。
(……まずい)
なんの〈蟲〉かわからない。
だが、鳥型の〈蟲〉は凶暴性が高い。強さも虫を模したものより格段に上がる。
このままではイディオンは助からない。殺される。
(暴れてみるか……)
だめだ。高さがある。今度は落下死する。
暴れた瞬間に鈎爪が腹を割くかもしれない。
あらゆる可能性を浮かべて、イディオンは、ふっと息が漏れた。
(……終わりか)
自嘲が浮かぶ。
(せっかく……)
あの人が、イディオンの魔法を導いてくれたのに。これからだというのに。
これからがきっと、楽しい時間になるはずだった。もっと楽しくて、心地よくて、おだやかで明るい時間になるはずだったのに。
それでイディオンは、その時間で返せる分だけもらった恩を返したかった。残り時間では足りない。とても返せない。だから、少なくとも返せる分だけ返そうと、そう、思っていた。なのに。
(返せない……)
このままでは、受けたものを返すことができない。
そう思うと、抵抗が生まれた。
身じろぐ。痛い。
——死んでたまるか。
今までだらだらと数年、ただ都を見るだけで、向き合ってこなかった。生きているのに死んでいるようなものだった。それを、あの人が見つけてくれた。引っ張ってくれた。
やっと、生を感じ取ったばかりなのに、死んでたまるものか。
もう一度、体を動かす。
激痛が走る。口のなかに胃液か血液が溜まって、みっともなく吐き出された。宙に散っていく。
(あー)
声が出たら、悪態をついていた。
まだ魔法はきちんと使えない。使えたら、きっとどうにかできたのに。このままでは、ただ虚しく抵抗して終わってしまう。
(どうすれば……)
どうすれば、この化け物から逃れられる?
「——イディさん……っ!」
疑問の答えは幻聴だった。
驚愕が胸を突く。かろうじてまぶたを開いて、滲む視界に薄紫と青の色を見た。
幻聴ではないと認めると、安心とうれしさが広がった。
(来て……くれたのか)
まだはやいのに。今自分は痛くてたまらないのに、安心してしまう。大丈夫だ、と確信しているから。信頼できるから。信頼できる人だから。
(ああ……)
——あなたは、また、ぼくを助けてくれるのか。
そう思うと、どうしようもなかった。
シェイラは急旋回して、それを視認した。
——〈姑悪〉だ。
蜂羽を持ち、早贄を行う鳥を模した蟲。
鉤爪が鋭く、獲物をさらって、それで贄を行う。
(最悪です)
なんで、あんなのが沸いてきた。いったい、なにが起きている。
シェイラはよくわからず、ただイディオンの体が鈎爪に引っかかっている。あのままではまずい。非常にまずい。
(考えるんですよ、シェイラータ)
速度のはやい鳥だ。倒すことは簡単だが、イディオンがいる。どうやって捕まえる。どうやって助ける。
シェイラは目まぐるしく考えて、そして思いつく。
(蟲は……)
魔力に群がる性質がある。
なら、性質を利用して、広範囲に展開させる。
シェイラは、自分の〈脈〉を活性化させる。
両手の指輪を触媒に、〈脈〉から紡いだ魔力の紐を編み上げる。
網だ。光の、網。
編み上げたものを放る。
大きく、弧を描くように。〈姑悪〉が飛ぶ先に向かうように。
〈姑悪〉が網の魔力に反応する。羽が引っかかる。網にかかる。
(このまま……っ)
ぐいっと引っ張るようにした。信じられない力を体中を{強化}して引き絞る。
〈姑悪〉が暴れる。
暴れて、ふいに爪からイディオンの体が離れた。
落下する。
「イディさんっ!!」
——{転移}。
落下先にシェイラは瞬間に移った。
受け止めるように両手を開く。重く、イディオンの体がシェイラに落ちてきた。
ぐっと受けた衝撃をこらえて、勢いづいた落下を翅で和らげる。
「……シェ、イラ」
イディオンの声に反応するより前に、やることはまだあった。
怒り狂った〈姑悪〉が網をほどき、ギャアアアアアッ、と声をあげて、シェイラたちめがけて、急降下する。
「いい加減にしてくださいよ」
シェイラは、ぼやく。
左腕でイディオンの体を抱きとめながら、右手の人差し指を構える。
狙う。怒り狂った鳥を。
「怒りたいのは、わたしのほうです」
ギャアアアアッと、嘴が開いたのを狙った。
炎の渦。
螺旋を描いた渦が、〈姑悪〉の嘴から内部へ到達。炎
そして、
——ギイアアアアアアアッ
甲高い断末魔を下げると、破裂し霧散していった。
「腹が立ったので焼き鳥ですよ」
まずそうですが、と言い捨てる。ふっとシェイラは、息をつく。それから両手で、イディオンを抱きしめた。
「すみません、痛く……ないですか?」
「シェイ、ラ……」
「ごめんなさい、痛いですよね。当たり前のこと聞いてすみません。応急処置ですが、薬水瓶があります。そのあと、すぐに医療魔術師のもとへ飛びます。わたしは傷を癒やす魔術をまだ使えなくて」
森の入口に近い箇所だった。
シェイラは一端、着陸する。
イディオンの体を適当な場所に横たえる。
腹部からの出血があるが、急所は外れていることを確認する。
(これなら……)
大丈夫。問題ない。イディオンは助かる。
そう思うと、もう一度、ほっと息が漏れ出た。
イディオンの頭を起こしてやると、腰袋から出した薬水瓶を口に持っていってやる。瓶を傾ければ、イディオンは苦しそうにしながらも、なんとか飲み終えた。
それでほんとうに、シェイラは体中がゆるんだ。
大丈夫だ、と繰り返すように自分に言い聞かせる。
「イディさん、そしたら皆さんがいるほうへ行きましょう。なにが起きたのか事態も把握しなければいけないですし、それにまだ霧が——」
——視界に瞬間、光の粉が舞った。
{転移}の残光。金色の光の粉。どこまでも輝かしく、どこまでも眩しい。
そして、あたたかな光。
現れた光に、シェイラは、どこか遠くの自分が気がついた。
そうだった、と。
夢中になって、忘れていた。いるのだ。来ていたのだ。こっそりイディオンに会って、会いたくなかった人。
決してもう、絶対に会うことはかなわず、会ってはいけない人。
(でも……)
——会いたかった人。
「……トール」
シェイラはつぶやく。
現れた金の髪に、紅の双眼を持つ姿に。
「——ラータ……」
ただ、互いの瞳を映す。
(第6章:できそこないの王子——中編・了——)
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次章より「できそこない王子」後編となります。第一部のクライマックスとなりますので、楽しんでいただけましたら、幸いです。




