118話:シェイラのたくらみ
「——シェイラ師、なにしてんの?」
風ノ日、シェイラがしゃがみながら、中庭でぼうっとしていると、ずいっと上からユートが覗き込んできた。赤銅色の髪で視界がいっぱいになる。変わらず、ネコのような様子だった。
「なにしているように見えましたか?」
「うーん、アリさがし?」
「そうですね。アリはたしかにいましたが、今はちょっと考えてました」
「考えてた?」
「そうです。どうしようかなーと」
今日は、イディオンが話していた狩猟祭の日だった。
今は首都魔法学園の〈昼餉ノ憩い〉の時間で、ここからであれば翅を使って飛べば、郊外の離宮近くまでそれほど時間はかからない。
「ユートさん、ちょっと先生の相談に、乗ってもらってもいいですか?」
「いいよ」
ユートは、シェイラのすぐ横に来て同じようにしゃがむ。
「えっと、ユートさんがもし、自分のかっこよいところを見に来てって誘ったのに、お父さまが来てくれなかったら、どんな気持ちになります?」
「かなしいに決まってんじゃん!」
「ですよね。でも、仕事で事情があって来れないってわかってたら?」
「うーん、そりゃあ、しょうがないって思うけど……」
言いながらユートはずっとしゃがんでいるのが飽きたように、小さなアリを指に乗せはじめる。
「思うけど?」
「でも、やっぱり来てほしい……我慢したいけど、来てほしい。難しいのに来てくれたら、ちょー喜ぶ!」
「そうですよね」
シェイラは肯く。やっぱりそうか、となる。
よいしょ、と立ち上がる。そうすると、ユートが猫のように見上げてきた。
「ありがとうございます、ユートさん。先生、今日は少しはやめに帰っちゃおうと決心しました!」
「え! 今日せっかくのスズムシさがしの日なのに! 競争するんじゃなかった?」
「すみません、そしたら、それは来週に! 必ずやりますので」
「約束だよ?」
「わかりました!」
シェイラは元気よく手をふって踵を返す。
それから、はたと気がついて、ユートのところに戻った。
「次の、火炎魔術の試験、応援してますね!」
シェイラが声をかけると、ユートは一瞬、なんだっけという顔をしたが、思い出したように顔を明るくした。
「うん! がんばる!」
ユートに別れを告げて教導館に入る。
シェイラはキルシュ師の背を見つけて、声をかけた。
「どうかしましたか?」
席に座っていたキルシュは、シェイラに朗笑する。墨のような瞳は、やわらげに細められた。
「すみません、キルシュ師。急で申しわけないのですが、このあと、はやく帰らせていただいてもいいですか?」
「それはかまいませんが……どうかしましたか?」
「いえ、ちょっと所用を思い出しまして」
王族に狩猟祭を見に来てほしいと言われた。理由を話したら、キルシュ師にびっくりされてしまう。
「わかりました」
「ほんとうにすみませんです」
「いえ、むしろ、いつもありがとうございます」
「とんでもないです!」
丁寧に頭を下げるキルシュにシェイラは両手を上げて恐縮する。
それから、ユートと同じことをキルシュにも伝えた。
「次の、火炎魔術の試験結果、楽しみですね! また来週、結果を教えてください」
「はい、もちろんです。私も少し……、楽しみにしています」
この半年の積み重ねが、少しでもユートの自信につながる、なにかになればいい。
キルシュとシェイラは暗黙に交わした。
(こっそりであれば)
きっと、ヴィクトルにもヒバリにも会わずにすむ。
シェイラはそう思って、飛翔する。翅を広げる。
秋の空は、清々しいほど突き抜けていた。どこまでも青く、澄んでいて気持ちがいい。陽のあたたかさと涼しさがまざりあって、飛んでいるだけで心地よかった。
上昇すると、王都ガルバーンは、小さく見えた。それでも大きな都で、王城の山もまたよく目立つ。
風の心地よさに乗りながら、シェイラはついこのあいだ、イディオンがはじめて魔法を成功した時のことを思い出した。
あんなに胸が熱くなったことは、どれくらいあっただろう。
魔法の実験がうまくいって楽しかったことは、どれくらいあっただろうか。
イディオンのぽかんとした顔も忘れられない。驚きすぎて言葉を失って、それからいろいろな思い出と過去の感情が詰まった、きれいな笑みを浮かべていた。
(よかった)
ほんとうに、よかった。
——はやくいい方法を見つけなければ。期日までに急がなければ。
焦りがあったはずなのに、イディオンのあの笑みを見られたら、もうどうでもよかった。
ただ、うれしくて、うれしくて、自分のなかに広がっていた漫然とした焦りは、あの時のつむじ風と一緒に吹き飛んでしまった。
滲むような、この熱い気持ちを、きっとシェイラとイディオンはともにした。
それだけでもう、よかった。
(あとは……)
ゆっくり着実にやっていけばいい。急がず焦らずやっていけば、きっとすごい魔法に育つ。魔術を越えて、魔導へと至っていく。
——イディオンの魔法は、既存の理論を根底から覆すものだった。
シェイラはそれを、表象と称す。今あるどの魔法系統にも属さないものだと考えていた。




