111話:試行と焦り(2)
言うと、シェイラとイディオンは早速準備をはじめた。書き物机を整理して、まずは室内にある適当な魔導書を広げた。適当な頁を開き、シェイラはイディオンに座ってもらってから、指で指し示す。
「まずはここを黙読してもらっていいですか?」
「黙読でいいのか?」
「はい。そのあと、音読をしていただきます」
「わかった」
『風ノ書』の頁だった。突風を起こす魔法だ。実際に発動してしまうと、せっかく片づいた部屋がまた散らかってしまうかもしれない。片づけのための生活魔術も考えておく。
「読んだ」
「は、はやいですね」
数秒あったかなかったか。一頁分だ。
速読術でも身につけているのだろうか。
シェイラもはやいほうだが、そんな速度では読めない。もはや読んでいるのではなく、見ているのではないだろうか。
人によっては、目を通して、鏡のように記憶して読む人間もいる。
「読んでいる時に、目がちらちらしたり、あとは文字が浮いたり混ざったりすることはなかったですか?」
「それはない。すでに覚えている内容ではあったが」
なるほど、とシェイラは耳飾りを爪弾いた。
「わかりきってはいましたが、読みの〈限局症〉ではないですね」
「読みの場合だとまたちがうのか?」
「はい。そもそも、そんなにすらすら読めません。黙読が難しいです」
読みの場合は、文字が浮遊して見えたり重なって見えたりするのだという。判読がしづらく、読むのに疲労を伴う。
読めないのではなく、極端な疲労が読みを妨げる。拒否や回避につなげてしまう。そうして読まないことによって語彙が増えず、語彙が少ないからさらに読めなくなってしまう。負の循環が生まれる。
「それはないな」
「そうですよね」
言いながら、シェイラは近くのルペドの植物紙を手に取る。持ってきた翰筆と墨壺を取り出した。突風の呪文を綴る。
「今度はこれを黙読してください」
シェイラは書きつけたものをイディオンに渡す。
「特殊な墨です。通常であれば、読むだけで唱えなくても呪文が発動します。〈導脈〉の魔力が枯渇していても読めれば、発動するはずです」
あまり魔力を持たない庶民が使う、護身用の魔法に用いる墨だった。魔法紙の折り方に工夫を施せば開いただけで発動もする。
今は、イディオンの呪文を読む反応を見るためで、細工は施さない。
イディオンは受け取ると、さっと記されたものを視線がすべろうとして、止まった。瞳が、がたがたと揺れるようになる。それからすぐに、くぐもった声を出すと両目を覆った。指のあいだから、魔法紙がすべり落ちていく。
「イディさんっ?!」
シェイラが慌てて駆け寄ると、片手で制される。
「大丈夫だ……慣れて、いる」
シェイラは、頬を打たれたように愕然とする。
これほどの症状が出るのか。
以前まで、散らかっていたこの部屋を思い出す。
何度たえたのだろう。これだけの症状を。
思うと、シェイラのなかで痛苦が広がる。広がったものを、シェイラは噛み殺した。イディオンに向き直る。すでに症状は落ち着いているようで、目の覆いは取られていた。
「次を試しましょう」
「ああ」
それから、条件をひとつずつ変えていって、呪文や魔法陣が発動するかしないのか試していった。いずれも結果は見えていたが、ひとつひとつ筆記本に、イディオンの動きや反応も含めて、細かに記していった。
それらが終わると、今度は呪文ではなく、触媒をひとつひとつ試していくことにした。
まずは月ヤナギの杖。
「握って、どうするの?」
問われる。
「頭のなかで、イディさんが蓄えている知識を理論的に描いてみてください」
「……計算式みたいにってこと?」
「そうです。魔法の理論などはすでに頭に入っていますよね?」
「ああ」
「それをはじめから答えまで出すようにです」
「わかった」
言ってイディオンは杖を持ちながら、目を瞑って思考に集中できるようにした。
だがすぐに、
「う……っ」
こめかみを押さえて、座り込む。
「どうしました?」
その反応はさきほどから見慣れていているもので、シェイラもいちいち驚かなくなっていた。けれど、心配なのは変わらない。
座り込んで覗き込むと、目を開けたイディオンが苦痛にまぶたを歪めている。
「今……」
「はい」
「いつもは考えられるはずなのに」
「はい」
「魔法を構築しようと、知識を考えでつなげようとしたら、静電気みたいにばちっとした」
どういうことだろう。
それではまるで、魔法を導き出すことそのものができないみたいではないか。
魔法は定義するものだ。あるいは式によって導き出すものだ。呪文によって形をまとめあげ、魔力を変換して行使する。もしくは、算術のように数式を構築して解を出す。
そういうものだ。
だから、教導目録でも、文学や算術は主要な教科として、学園にいる頭のやわらかいうちに学ぶ。それを体や感覚で覚えていくために。〈導脈〉と連結していくために。
(もしそれができないなら……)
イディオンは、たとえ〈導脈〉があったとしても、魔法が使えないということになってしまう。
思うと、鼓動がどきりと大きく打った。
焦燥を、覚える。
(早合点はいけません、シェイラータ)
まだ、試していないことはある。
期日はある。だが、結果を急いては仕損じる。
「他も試しましょう」
イディオンが肯けば、シェイラは焦らぬようにと言い聞かせながら、ひとつずつ触媒も試していった。
翡翠スギの棒杖、短剣、白ファル石、金剛石などの貴石原石、振り子、希少な〈蒼鷹〉の羽、星砂に霧砂、銅の指輪など、もはや試せるものはなんでも試した。
けれど、結果は出なかった、〝静電気みたいにばちっとした〟症状の強弱に悩まされるだけだった。
疲弊する。
「そろそろ、お休みになってはいかがでしょうか?」
そう言って青髪の侍女テニアが扉を叩かなければ、シェイラもイディオンも倒れていたかもしれない。途中で軽食は取っていたが、ふたりとも疲れ切っていた。




