11話:キルシュの煩悶
「先生、かっけえ!」
教室に戻って早々に、シェイラは子どもたちに囲まれた。
皆、目を輝かせて見上げるので、シェイラも思わず照れてしまった。視線の高さを合わせるため腰を下ろす。
「かっこよかったですか?」
シェイラが、ユートの言葉に返すと、皆うんうんと肯く。ユートも、アブラムシやテントウムシを見つけた時のように青い瞳をきらきらとさせていた。
「ありがとうございます。——ユートさんも、あれくらいならきっとできるようになりますよ」
「え、おれ?」
急に自分に矢印が向いて、ユートがびっくりする。皆の視線がユートに集まった。
「はい。さっきの授業では火炎の制御が難しかったと思いますが、きちんと《《あなたに合った方法で学べば》》、できるようになりますとも」
シェイラが自信と期待を持って伝えると、ユートが「そうかなあ」と後頭部をかきながら恥ずかしそうにする。
ユートってすげえんだな、と周りの目が向けられて、「まあな」と得意そうにするのが年齢相応の姿で、顔がほころんだ。
「——さあ、皆さん、〈蜈蚣〉の脅威は去りましたから、授業を再開しますよ」
言ってキルシュ師が入室すると、皆は不満そうに声をあげるのだった。
放課後、シェイラは空いた教室で、キルシュ師と話すことになった。
実践の授業ののち、蟲の騒ぎはあったものの、予定通り地理の授業が行われていたらしい。シェイラは別の学環を観に行っていなかった。幅広で長い教卓には、地理の授業そのままに、一馬身はあるのではないかと言うくらいの大きな渾天儀が置かれたままだった。
中心の球の周りに、真鍮でできた輪がいくつもある。輪はぐるりぐるりと、それぞれ回りたい方向に回りつづける。耳鳴りのような遠鳴りのような、不可思議な音を教室内に響かせていた。
渾天儀は、今後学ぶ占星術に必須のものだ。星詠みや霧詠みになるものは必ずこれを使う。
三年生で扱うものだったか、とシェイラは動く渾天儀にふれてみる。そうすると、これまで好き放題動いていたのが嘘のように、ふれた指先に輪が集まるようになった。指先を離せば、またばらばらに動き出す。再度ふれてみれば、一斉に集まり出す。
まるでシェイラの先は《《見通せない》》、あるいは《《ひとつしかない》》。そう言っているような動きだった。
「お待たせしてすみません!」
慌てたようにキルシュ師が教室に戻ってきたのは、シェイラが手を離したあとのことだった。
キルシュは出しっぱなしになっている渾天儀を見て、
「こちらもすみません」
と言って杖を振るう。真鍮の塊はかき消えて、転移魔術の残光の粉が舞った。教卓が広々とする。
「どうぞおかけください」
また杖がふるわれると、椅子が一脚歩いてやってきて、シェイラの体に沿うように曲がりくねる。ちょうどよく、腰かけられる高さになった。
「ありがとうございます」
シェイラは礼を言う。キルシュもまた別の椅子に腰かけるのを認めてから、では、と切り出した。
「お話しましょうか」
キルシュは、目の前のうら若い導師を見やった。最初の印象は、へらへらじゃらじゃらしている娘だと思った。
キルシュの実の娘より幾分歳上くらいだろう。年齢は聞いていないが、ヴェッセンダリアの若き天才。最年少の導師という噂だけ小耳に挟んでいた。
これまでシェイラと同様にやって来た導師たちに、キルシュはあまりいい思いを抱いていなかった。
一度見ただけで偉そうに言ってくることや、お前の教え方が悪いのだと暗になじってくるようなことがあった。
そういった助言もとい指摘は、キルシュの誇りを傷つける。
キルシュとて今の教え方を最良とは思っていない。教導師という立場にあるからこそ、よりよくしていきたいと思っている。教えることがきらいなわけではない。むしろ、好きだからこそ、子どもたちの笑顔を見たいからこそ、この仕事に就いている。
教師という職についてもう二十年、魔法使いや魔術師、あるいは魔導師のたまごを何百人と送り出してきているのだ。
されど、キルシュはこの数年、どこか漫然と教鞭を取ってしまっている自覚があった。
教えるのがきらいになったわけでも、子どもに興味がなくなったわけでもない。新任の時とは異なる、こなしてしまっている感じがあった。
なぜなのだろう。教導師になってからかもしれない。
段々と、そうなっていた。
蟲と戦うようになって、戦闘技術を磨かなければいけなくなったからなのか。担う分掌が重くなったからなのか。もしかしたらそう、新任の面倒を見なければいけなくなったからかもしれない。
同じ学年にも、今年教師になったばかりの、やさしくおだやかな新任がいる。けれど、新学年が開始して一ヶ月、早速、学環の統制が取れなくなってしまっている。
キルシュは放課後、その新任から相談を受けていたが、実際に授業の様子を目にすることはあまりできない。同じ時間、授業を行っているからだ。結局、筆頭教導師が全体を見たうえで立て直しがはじまっている。
見に行った数少ないなかで感じたのは、伝え方がよくないということだった。子どもたちの様子を見ていないな、と。
なによりも、学環のなかでどこまでその言動はよいのか、どこからが許せないことなのか、定まっていないことが気になった。新任のなかで曖昧模糊としてしまっているのだろう。新任だからわからないのは当然だ。わかる者、嗅覚が優れて感覚でこなしている者もいるが、ふつうは経験していないからわからない。
子どもは教師が曖昧だと揺れるものだ。揺れて、振り幅が大きくなる。どこまでもどこまでも、大きくなる。振り子のようにどこまで行ってよいのか止めてやらねば、子どもたち自身も加減がわからなくなってしまうのだ。
特に、集団だとその幅が突然大きくなることがある。集団の力は大きく、正しいほうに導いでやればよいように作用するが、正しく導いてやらねば、悪いように作用する。転がっていくように振り幅が多くなり、そしてある時、振り子がぽきっと折れるのだ。そうなると、集団が、学環が、統率を取れなくなる。
だから、キルシュは自身の学環では規律を大事にしていた。やってよいこと悪いこと、言っていいこと悪いこと、それらを教えるのは教師の役目だと思う。
さきほどの実践の授業で、〈穢民〉という言葉を使った子がいた。悪気がなくとも、使ってはならぬことを教えてやらねば、あの子は人間としてあやまった方向に行ってしまう。
——今それをつづけたら将来どうなってしまうのか。
考えながら、キルシュは規律を強いていた。
自分のなかの規律が確固としてしまったからこそ、漫然と授業を行うようになっているのかもしれない。
結果、つまらない授業になってしまっているのかもしれない。ほんとうは面白くしたい。楽しく学んで欲しい。
けれど、ユートのように動きが激しい子やじっとしていられない子にとって、盛り上げすぎてしまうと、それはそれで刺激になってしまう。どうしても今のような形になってしまうのだ。
悩ましいところだ。二十年やっていても悩ましい。若い頃のほうが、もっと思いきりがよかったかもしれない。
そういう悩ましいことを、この目の前の娘には話しづらかった。
悪い娘ではないと思う。ちょっとしたやり取りを見ているだけでも、子どもとの関わり方がうまい。キルシュのように経験で覚えたのではなく、嗅覚が優れている関わりだ。少しだけうらやましい。
キルシュはシェイラのようにユートとは関われない。
それは、東にある月ノ斎王国の白砂を口に含んでいるような気分だった。
(この娘は自分の授業に対してなんと言ってくるのだろう)
つまらないと言ってくるのだろうか。いや、人の気分を害するようなことを言う娘ではないと思う。
何人かの導師たちと関わってきたが、若いからなのだろうか、この娘はちがう。
さきほどの戦いも、すさまじかった。キルシュはこの二十年で、導師のなかでもあんな戦い方をしている人間を見たことがない。
一方的な殲滅。
背筋がぞっとするような心地がした。
へらへらしているように見せかけて、結晶魔術で扱う青金石のような瞳の奥底には、なにか得体の知れないものがあるようだった。
先に師事していた人間が亡くなっているという情報も相まって、キルシュはうすら寒いものを感じていた。




