109話:聖剣使いと女王
「——ヴィクトル王太子?」
苦みがあふれるのを奥歯を噛んでたえていると、グシェアネス女王が不思議そうに首をかしげた。
ガルバディアの宮殿内であったことを思い出す。
「いえ、申しわけございません。少し酒に酔ったようで」
ヴィクトルは、徹底して自分を覆う。
酒の話に、グシェアネスは大笑した。
「さきほど、エヴェリヤンに、しこたま呑まされていたな?」
「王配殿下はお強くていらっしゃる」
「夫はな、昔からけろっとしていてな。酒で酔わない体質らしい」
「うらやましい限りです。私はあまり強くなく」
「そうか? 葡萄酒を樽で飲みそうな顔をしているがな」
女王の冗談に、ヴィクトルは笑う。
「どのような顔でしょうか」
「いやいや、その魔導師オルリアの目がな! 葡萄酒に近いであろう?」
紅玉とも称される、赤い虹彩のことだろう。
あけすけのない女王の言い様には好感が持てたが、血の色だ、不気味だ、というものはあとを絶たない。ヒバリも当初、ヴィクトルの目を見るのを恐れていた。
「それで酒を飲めるようになっていたら、私は社交で苦労はしていません」
「聖剣使いであろう? 社交よりも、ヴィクトル王太子は、余と同じく戦場のほうが優先される。酒など飲めたところで蟲どもを殲滅できるわけではないからな」
言って、グシェアネスの目に真剣なものが帯びる。
声がひとつ、下がった。
「——アベルの星詠みは、そちらの国を訪れたか?」
「ええ。先日、大占卜師の詠みをお告げに」
そうか、とグシェアネスは言った。いつの間にか手に取っていた杯を口にする。
「〈霧の厄禍〉だそうだな」
「そのようです」
「六百年ぶりらしいじゃないか」
「楽しそうですね」
ヴィクトルは、その六百年の厄災を払う〈聖剣〉というものに、呪いしか覚えない。
「ああ、楽しみで仕方ない。この力を存分に発揮できるからな」
グシェアネスは凶悪な笑みを浮かべて、〈導脈〉を活性化させる。強い魔力が、隣に立っているだけで吹きつける。
在位六十年。絶対女王と言われる元素魔術の魔導師。
「余と、そなた、そして、あそこにいる——」
ちらっとグシェアネスは、ヒバリを一瞥する。
「聖女もいれば、この大厄災は祓えよう」
「昔と異なり、各国の結束もそれなりにありますからね」
以前の厄災では、国同士がてんでばらばらに動いて、被害を防ぎきれなかったという歴史がある。それはこの数百年で、大陸中の学園や学院で歴史となって継がれ、細いつながりとなっている。
「〈魔女の騎士〉どもも、余が焼き払ってもよいのだが、あやつらはしぶとい。こればかりは草の根活動だ」
「そうですね」
〈気高き魔女の騎士団〉——団長と呼ばれる人間を中心とした、呪術を生業とする集団。
「今回の訪問を機に、我が国と貴国は来たる厄禍に備えて、結束を固めよう」
「それは我がオルリアの望むところでもあります」
女王の言葉に、王太子としてヴィクトルはいらえる。
「今度の狩猟祭も楽しみにしているぞ」
打って変わって、女王は七十七とは思えないほど無邪気な笑みを浮かべた。
「陛下も出られるので?」
ヴィクトルは、主賓なのでもちろん出ることが決まっている。
聖剣を使わなくてもよいので、純粋に楽しみにしていた。
「まあ、肩ほぐし程度にな」
「肩ほぐし?」
「主は、ムディアンと、それからイディオンだ」
ムディアン王太子は、ヒバリをよく迎えてくれている。彼女の表情がほがらかった。
(イディオン王子は……)
今は姿が見えなかった。昼には見かけたが、席を外しているのだろうか。
(まだほとんど言葉を交わしていない)
交わしたのは挨拶程度だ。立太子しているのが、第二王子のムディアンのほうであったので、ヴィクトルはそちらと話すことのほうが多かった。
年齢と異なる姿に、なにか特異的事情があるのを聞き及んでいたから、慎重に距離を見ていた、というのもある。
「ああ、イディオンは今夜こっそり抜けている」
ヴィクトルの視線に気づいたのか、グシェアネスはなんでもないことのように言った。
「抜けている?」
第一王子が、そんなことあるだろうか。
「逢引だ、逢引」
「はい?」
グシェアネスが、にやりと笑って言う。
ヴィクトルは急なグシェアネスの諧謔についていけなかった。
「というのはさすがに嘘だが、イディオンは彼の導師と一緒に街に下りている。今日は都も賑わっているからね」
「そうですか」
ガルバディアの王室は、自由な気風らしい。
そう思いながら、ヴィクトルは、自身も{転移}を使ってあちこちをふらふらしているので、あまり人のことを言えないことに気がついた。
どこでも、王族は厄介なしがらみから抜け出したくなるものらしい。
苦笑が浮かぶ。
「あの子は特に、ヴィクトル王太子に憧れを抱いているから、ぜひ狩猟祭では面倒を見てやってくれ」
「私に?」
「聖剣使い云々にかかわらず、狩りの腕を見たいそうだ。しっかり教授してやってくれ」
それは好ましい話だった。自然、笑みが浮かぶ。
「承りました。イディオン王子をお与りいたします」
頼んだ、とグシェアネスが笑ったところに、踊り終えたヒバリが戻ってきた。
「なんの話?」
恐れ多いことに、女王とヴィクトルのあいだにぐいっと頭を突っ込んでくる。
「ヒバリ、失礼だよ」
「構わん構わん」
寛容な女王で、ヴィクトルはほっとする。
「申しわけございません、女王さま」
「異界とこちらでは礼儀作法も異なるだろう。気にしなくてよい」
「女王さま、よい方でいらっしゃいますね!」
「よく言われる」
あはは、と女王は軽快に笑い、ヒバリはうれしそうに笑う。
「それで、ヴィック、なんの話だったの?」
グシェアネスがその場からいなくなると、ヒバリはもう一度ヴィクトルに尋ねた。
「今度の狩猟祭だよ」
「ああ……シカとかイノシシとかを狩るっていうあれね」
ヒバリは、いやそうにする。狩猟を目にしたことがないのだ。
「君は、私の大猟を願ってくれ」
「うん。おしゃべりして待っています」
そんな他愛もないことを話しているうちに、夜は更けていった。




