108話:君のままでよかった
ヴィクトルは、舞踏の間全体を、自分という窓を通して、見渡すようにしていた。
ヒバリは、ゆったりとした舞踊曲に合わせて、ガルバディアのムディアン王太子と談笑している。何人かの娘たちは、手の空いているヴィクトルのほうをちらちらと見ていたが、それには気づかないように、視線を茫洋とさせた。
目に入ったのは、ロゼイユ公で、ガルバディアの名門エディウム家と言葉を交わしている。この機に、国を越えてのつながりを作ろうと画策しているのだろうと思えた。
「——どうだ、楽しんでいるか?」
すっと、ヴィクトルの視界に割ったのは、女王グシェアネスだった。
絶対女王と称されるのがわかる強い魔力。豪奢な、という形容も当てはまるだろう。目立つ容姿をしており、なにより背が高い。ヴィクトルより頭半分小さいくらいだ。女性としては、かなり上背がある。
「あの背丈……人差し指くらいの長さを、わたしに分けてもらってもいいと思うんですよ」
いつの頃合いだったか。おそらく彼女が十三か、十四。ヴィクトルが十五か十六で、すでにふたりの身長にかなりの差ができていた頃だった。
シェイラは王宮を歩いていて、自分より背の高い女性とすれちがうと、いつもそんなふうに言った。うらやましそうに瑠璃の目をすがめる。
「どうやって、分けてもらうの?」
面白いから、ヴィクトルはいつもそう訊いていた。
見下ろす彼女の背は、女性の平均にしては少し低めで、その伸びない背をよく気にしていた。
「こうやって、です」
その時はたしか頭に切れ込みを入れるような仕草で答えられて、ヴィクトルは笑った。
「頭を輪切りにするの?」
「そうです。それでわたしのうえにぱかっと」
「ぱかっと?」
「積み重ねるんです」
「なかなか奇っ怪な姿になりそうだね」
「そうでしょうか」
「ちょっとこわいかもしれない」
ヴィクトルが真面目に言うと、シェイラもまた真面目に受け取って、そうでしょうか、と自分の耳朶にふれた。彼女は考えはじめると、よくその仕草をしていた。
「べつに、そのままでもいいと思うよ」
結局、いつもそういう会話の着地の仕方をする。
「わたしはいやなんですよ」
「なんで?」
「だって、トールと喋りにくいです」
「私はいつもラータの声は聞こえているよ」
「声だけじゃなくて」
「うん」
「目も合わせますし、そうすると首が痛くなるんですよ」
ヴィクトルは、シェイラとは対称的で、男のなかでも上背のあるほうだったけれど、シェイラとの背丈の差は特に気にしていなかった。
たしかに自分は上から見る立場だから、そんなに困らない。見上げるシェイラは首が痛いのかもしれなかった。
「そうか、それは困ったね」
「です」
「じゃあ、これから歩く時は君を抱えようか?」
そんな提案をすれば、抗議の声が上がった。響く廊下だったから、シェイラの声は反響する。
「な、なに言ってるんですか」
シェイラは顔を真っ赤にしていたので、ヴィクトルはたいそう満悦だった。
「だって、困っているって言うから」
「それは解決策になりません」
「どうして?」
「どうしてって人目が……」
「人目が?」
「見られたら、恥ずかしいじゃないですか」
シェイラが両手で顔を覆っている。
ヴィクトルは腹の底からこみ上げる笑いを我慢する。
「君ってあまり人目を気にしないたちだろう? 問題ないよ」
「いえ、それとこれとは別問題です」
「そうなんだ」
「そうなんです」
あまりからかっていると、シェイラは腹を立ててどこかへ行ってしまいそうだったので、ヴィクトルも引き下がることにした。
「——じゃあ」
ヴィクトルは足を止める。
柱があった。その袂に腰かける。
「こうやって、話そう」
座ると、シェイラと目線があった。
シェイラは、びっくりした顔でこちらを見る。
「こうやって座って話せば、問題ない」
彼女だけ立たせるのは申しわけないけれど、必要であればどちらも腰かければいい。立っているよりは差がなくなる。
「このほうがゆっくり話せるしね」
ヴィクトルが言うと、シェイラは青金の瞳に喜色を浮かべて、それから頬を淡桃に染めた。
「……はい」
心地のよい、ほほ笑みだった。些細な、幸福だった。
けれど、その目に少しだけ影が差す。
「でも……」
シェイラは言って、ヴィクトルの左手首を見る。金の腕環のかかったところを。
「でも?」
「一緒に立っていても、遜色ないようにしたいです」
その目線は、左手首から離れてどこか遠くを見ていた。唇を噛んで、見ている。
どこかそれは思い詰めている横顔で、ヴィクトルはシェイラにそんな顔をしてほしくなかった。もしかしたら、どこかのだれかに、背丈のことで嫌味でも言われたのかもしれない。
自信を持っていてほしかった。
「——君のままでいい」
ヴィクトルはずっと思っていることを言った。
「今の君のままでいいよ、私は」
変わらずに、そばにいてくれればいい。
言うと、シェイラは噛んでいた唇にやわらかく弧を描いた。けれど、その目は寂しげで、思い詰めたまま、ヴィクトルの言葉の意味を少しも理解してないのだと思った。
その目のままでいてほしくなくて、ヴィクトルはシェイラを引き寄せる。
あの時、思い詰めている理由をきちんと聞いておけばよかったのだ。
あとから悔いることを知らない当時のヴィクトルは、ただの青二才だった。
(まただ)
ふいに、こうやってシェイラとの思い出がよみがえる。
忘れているはずなのに、ふとした瞬間に、陽炎のように、残影のように、ありありと思い出してしまう。
覆うように、ヴィクトルは常に無私の仮面を身につけるようになった。
そうでもしなければ、意図せずうろたえ、王太子としての責務は果たせない。己の感情も御せないほどの愚か者ではありたくなかった。
——王族としての無私。
それは、ヴィクトルが聖王家としての責務を果たすため。
そして、もう三年半も前のできごとのはずなのに、いつまでも引きずっている愚かな自分を隠すためでもあった。
(兆しは、あったんだ)
ヴィクトルが見逃していただけ。
見逃さなければ、シェイラが、オルリアの大学府に所属していた準師を巻き込んでしまう事故を起こさずにすんだ。
「君は、リマス師を殺してまで、魔法を得たかったのか……っ!」
あんな、思ってもいないことを言わずにすんだ。
彼女が殺すわけないのに。ただの事故であるとわかっていたはずなのに。
そのできごとが、決定的に自分と彼女を分けてしまうとわかって、どうしても言わずにはいられなかった。




