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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第6章:できそこないの王子─中編─

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107/180

107話:ありがとう

 言葉を選ぶのはやめることにした。

 ただ、感情のままに伝えることにする。


「シェイラ」


 否定されたことに、イディオンの表情にいらだつものを認めた。

 かまわない。今は導師ではなくて、シェイラという人間が伝えている。


「女王陛下は、そのような方ではありません」


「やめてくれ」


「ちがう意味です。あなたを否定するようなことを、言うわけがありません」

「いい加減にしろ」

「女王陛下は、きちんとイディさんを認めてくださっています」


「シェイラ!」



 イディオンが叫ぶように名を呼ぶ。

 まだはじめて会ったばかりの頃のような、怒りの表情だった。



「おれはあなたを信頼している」

「…………」

「あなたに不信を抱きたくない」



 その時、シェイラは場ちがいにも、イディオンは怒ると一人称が代わるのだな、とどこか遠くの自分が俯瞰していた。


「わたしも、聞いたんです」

「なにを」

「陛下に。聞きました。褒美として」

「褒美?」


 なんのだ、とイディオンの秀眉が怪訝にひそまる。


「……イディさんの魔法が使えない原因をおよそ突き止めたことで。わたしが功労者ではないのですが、陛下が認めてくださいました」


「女王からの褒美を、そんなことに……」


 イディオンの言葉に、かつてヴィクトルが言っていたことが重なる。周囲の手本となるのだから、ふつう、そんな望みは口にしないのだろう。


「それで、聞いたんです」


 シェイラは話した。

 あの謁見のあとのできごとを。人払いがされて、シェイラとグシェアネス女王だけになった時のことを。





「……言ったかも、しれんな」



 女王の第一声はそれだった。


 頭を掻くという仕草も絵になってしまう美貌の女王は、ばつの悪そうな顔でそう言った。


「言ったんですか、ほんとうに」


 シェイラは聞いて、衝撃を受けてしまった。言葉を失う。



「正直よく覚えていないが、余であれば言う可能性がある」

「そんな……殿下は……」


 それは、イディオンの傷になっている。


「事実ではあろう。王にはなれまい」

「陛下」


 シェイラは抵抗を覚えて、女王を見る。

 だが、当の女王はてらいもなく、ただ何十年と国を治め、蟲の脅威を晴らしてきた為政者としての度量で告げる。



「ガルバディアでは、王には力が求められる。それは変わらない」


「…………」


(わたし)と同じでなくても、元素魔術の力は求められる。それは我らが民を守る責務を追っているからだ。蟲どもを多く退ける力がなければ、この美しい都は保つことができない。そうは思わないか、シェイラータ?」


 道理だ。


 シェイラは痛苦を覚えながらも理解を示す。それはよく、隣で見て、見てきたからこそ、よく理解できるものだった。


「そう言った意味で、魔法が使えないイディオンは少なくともガルバディアの王の器ではない。余が言うならば、そのままの言葉の意味でしかない」


 グシェアネスの断言が、不自然に浮いて聞こえた。浮かんできたものが、ふうっとやさしくシェイラに届く。



「できそこない、などとだれが言いはじめたものか」



 シェイラが感じ取ったものを、グシェアネスは、やれやれと額を押さえながら嘆息する。その仕草は、びっくりするほどイディオンにそっくりだった。



「——あの子はね、シェイラータ」



 額から手をどけたグシェアネスは、それから紅の唇に、にっと不敵な笑みを浮かべた。



「天才だよ」


「はい、存じております」


「努力の天才だ」


「おっしゃるとおりだと思います」


 グシェアネスの言葉に、シェイラは大きく肯く。

 そして、同時に喜ばしくなった。


(ほら、やっぱり)



 女王は、イディオンのことをちゃんと理解している。



「親ばかだと思うかい?」

「いいえ、わたしもそう思うので」

「ヴェッセンダリアの導師が言ってくれるなら、私の目も曇ってないようだ」


 にやっとグシェアネスは、美貌の笑みを深める。


「つづけるならば、」


 はい、とシェイラは相槌を打つ。


「あの子は懐が深い」

「はい」

「もちろん我慢強い」

「はい」

「それに、やさしい」

「はい、それはもう」


 シェイラは思いっきり首を縦に振る。その人柄は、彼の広大な心象風景にも現れている。


「私は我慢強くも、こんな感じで言葉を選ばずやさしさの欠片もないが、イディオンはそれらを持っている」


「……はい」


「きっと夫に似たのであろうな」


 王配エヴェリヤンは、今は別屋で会議をしていて今日の場にはいなかった。


「だから、あの子には……もっとガルバディアだけでなく広い世界を見て、べつのことを成し遂げてほしいと思っている」


 グシェアネスは、サージェシアの大陸中に思いを馳せるように言う。



「王などという一国に留まらない器だよ、あの子は」



 もちろん、できそこないなんかではない、とグシェアネスは断言する。


「これで、魔法も使えるようになったら、末恐ろしい」


 あっはっは、とグシェアネスは銀髪を輝かせながら豪胆に笑う。


「だから、ほんとうに感謝だ、シェイラータ。これからもよろしく頼むぞ」


 そうして、シェイラとグシェアネスの秘密の会談は終わったのであった。





 言葉を選んでないので、交わした言葉を覚えているまま、シェイラは全部伝えた。そうしないと、イディオンには伝わらないだろうと思った。

 それに、伝えたかった。グシェアネスの母としての想いを知って欲しかった。


「——王宮から自由に出入りができるようにしているのも、都を知ってほしいだけでなく、このガルバーンに集まる異国の人や物を見て、世界を知ってほしかったそうです。だから、自由に出入りさせているのだと、そうおっしゃっていました」


 スヴェリヤス、というあのあやしい男も、女王から手配された人間なのだという。だが、シェイラはさすがにそれは黙っておいた。

 友人関係に水を差してしまう可能性があった。女王から手配されているとはいえ、スヴェリヤスとイディオンはたしかに仲のよさそうな空気があった。


 シェイラは休みなく喋り終えて、ふうっと肩の荷を下ろす。


 これを伝えて伝わらなかったら、あとはもう時間をかけていくしかない。

 そう思いながら、シェイラがイディオンの横顔を窺えば、ぎょっとした。


 ——イディオンが、王都に目を向けながら、静かにはらはらと涙を零していたからだ。


 七色の光が反射するのではないかというくらい、両目から雫が伝っていく。

 シェイラは、いつも隠れるようにして泣いていたイディオンが、そんなふうに泣いているものだから、さきほどとはちがった意味で焦った。動揺した。


 どうしよう。


 十八歳のシェイラは、見た目七歳くらいで中身が十六歳の男の慰め方を知らない。

 あわあわ、と腰袋から手巾を探し出して、イディオンに差し出すと、差し出されてはじめて泣いていたことに気づいたようになる。



「ぼく……」


「あ、あの、えと、わたし、向こう見ておきますね! あちらの、えっと、防霧林のほうです」



 イディオンとは反対側に、ちょうど今座っている蛍モミのように、ぽうっと輝く林がある。


 シェイラがぱっと反対を向けば、逆に気まずかった。

 いつ向き直っていいのか悪いのかわからず、気まずさをどうにかしたくて、とにかく話す。



「あの、もし王宮に戻られて、そちらのご尊顔を晒したくないようでしたら」

「…………」

「さっきみたいに、翅を出してですね」


「……シェイラ」


「空をぱーっと飛べば、王城まですぐです。最近わかったんですが、ちょこっと調整すれば、王城に張られている{浮遊}禁止の魔法も通り抜けられそうでして」


「シェイラ」


 はっ、とシェイラはやっと名前を呼ばれていたことに気がつく。


 振り向くと、おずおずとした表情のイディオンが、手巾を握りしめてシェイラを見ていた。涙は流れつづけている。



「お願いがある」

「はい」


「抱きしめて」


「……はい?」


 変な声が出た。いいのだろうか。


「抱きしめてほしい」


 イディオンに上目に乞われて、シェイラは内心で悲鳴をあげた。


(ついに! イディさんを! ぎゅっとできる日が!)


 いつも我慢していたけれど、これはきっと役得だろう。

 かわいい子どもを抱きしめるのは、たまらなく幸せな気持ちになるのだ。



「どうぞです!」



 シェイラが、がばっと両手を開けば、イディオンは一瞬引きつった顔を見せたが、最初はどこか遠慮がちに、次第にためらいなくシェイラの背に手が回された。


 頭が肩にもたれかかる。そうすると、イディオンの心象世界で香った、雪原のやさしく澄んだにおいが、シェイラの鼻をくすぐった。どこか郷愁を覚えるような香りに、シェイラもまたイディオンの背に腕を回す。

 しばらくすると、預けた肩が湿っぽくなっていった。肩があたたかくなって、それから小さく啜るような声が聞こえる。


 頭をなでたくなったけれど、べつの日に怒られそうな気がしたので、シェイラはただそっと力を入れて、イディオンをさらに抱きしめるようにした。イディオンからも、また強い腕の力を返される。



「……シェイラ」



 ぽつんと、高く上ずった柳弦(リュート)の音が弾かれる。


「はい」

「……ありがとう」

「……はい」



 なにを、と言わなかった。

 なにが、とも問わなかった。



 いろいろなものが詰まれ運び込まれ、そしてきっと解放された、ありがとう、であった。

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