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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第6章:できそこないの王子─中編─

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106話:王子の願い

 シェイラとイディオンは喧騒を避けるようにして、いつか訪れた高台へと足を運んだ。

 丸石の石段をのぼり終えると、そこにも多くの人を認める。買ってきた揚げ麦粉焼(パン)をゆっくりと食べられそうな空間はなく、苦笑がもれた。


「どうしましょうか」

「仕方ない。このあたりに腰かけよう」


 言って、イディオンは階段の隅を指す。


 シェイラは指されたほうを見て、少し悩んだ。それからよいことを思いついて、イディオンの手を取る。


「こちらに来てください」


 階段横の低木の茂るほうへ入る。がさっと葉が肌に当たったけれど、引っ張られるイディオンも気にしていないようだった。


 少し進むと、立派な蛍モミが一本生えていた。薄ぼんやりとした光を浮かべる。

 高台の目印となるような霧を吸う木だが、北部地域の防霧林として植えられることの多い木だった。


 シェイラはその木の根本まで来ると、腰を屈めてイディオンに尋ねる。



「少し、魔法をかけてもいいですか?」

「いいけど、なにするの?」

「すぐにわかります」



 シェイラは笑顔で、そうして自分とイディオンに翅を描いた。


「うわっ」


 足元が浮かび上がって、イディオンが体勢を崩す。

 少しだけコツのいるシェイラ独自の魔法だったので、シェイラはイディオンの手を取って、ふわっと雲をつかむように手を引いた。重力を忘れたイディオンの体が引っ張られるままになって、驚いたようになる。


「この魔法、すごいね」

「ありがとうございます。上へ、行きましょう」


 シェイラはイディオンの手を引き、上昇する。蛍モミの座れそうなところを見つけると、そこに案内してから翅を解いた。残光がちらちらと鱗粉のように落ちていった。


「ここなら人があまりいませんし、それに、いい景色です」

「ああ」


 イディオンは肯いて、夜に輝く王都の街並みに表情を明るくした。


「今まで見たなかで一番かもしれない」


 横顔は、この魔法王国の都を心から愛しているように見えた。ひょっとすれば、銀鈴の音や、隕鉄の音なども拾い上げているかもしれない。


(上まで来てよかったです)


 シェイラは好物にかぶりつきながら、そう思う。



「——このガルバーンを」



 シェイラがちょうど食べ終えると、横で静かに街の明かりを見ていたイディオンが口を開く。



「この美しい王都を、守れる力がほしかったんだ」



 シェイラは包装紙を畳んで丸めながら聞く。



「祖先が築いてきた都を守りたかった」


「……はい」

「なにより、今この街を明るく輝かせてくれている人々の暮らしを守りたかった」

「そうですね」


 人がいなければ、いくら美しくとも街に明かりは灯らない。



「だから、母を越える強い魔導師になりたかった。魔法が……使えるようになりたかった」



 シェイラは肯く。

 肯きながら、ふとガザン師の言葉が思い出された。



『あなたの大事にしたいことは、なに? それを明確に抱きなさい』



 その言葉を、このガルバディアに来てからよく思い出す。


 オーズ師たちと話していた時、ターニャ師から聞かれた時。

 今は、イディオンの強い気持ちを聞いて、思い出した。


 シェイラにはない大事にしたいことがイディオンにはある。それはとても輝かしく、シェイラとの明確な差だ。そういう強い志があるのであれば、たとえ魔法が使えないままでいても、イディオンはそのうち自分なりに道を見い出したのではないかと思う。

 思うと、少しだけ寂しい気もしたけれど、イディオンを導く役割を担う自分としてはうれしく感じる。


(今なら……)


 伝わるかもしれない。


 シェイラは口を開く。



「イディさん、ひとつお話をしたいことがあります」



 空気が変わったのを悟ったのか、イディオンがシェイラに視線を移す。


「今からお話することは、事実ですし、信じてほしいことです。もしかしたら、信じられないかもしれないですし、イディさんにとっては不快なことかもしれないのですが、信じてほしいです」


「随分と前置きがあるね」


 イディオンが苦笑いをする。


「あなたが言うことなら信じるよ」

「ほんとうに?」

「ほんとうに」

「絶対?」

「絶対」


 返事しながら、イディオンは笑う。


「いったいなんだ」


「女王陛下のお言葉のことです」


 シェイラが言えば、イディオンは真顔になった。すっと直前の笑みは消え失せる。


「それは、ぼくが聞かねばならないこと?」


 真っ直ぐに問われた。


「はい、聞いてほしいです」


 シェイラもまた、真っ直ぐに応える。



「……聞こう」



 やや嫌厭(けんえん)さの混じった弦の音であったけれど、シェイラはイディオンが前口上に従って耳を傾けてくれていることがわかった。


 慎重に、言葉を取っていく。



「先日、イディさんは、わたしに十二歳の時に聞いた話を教えてくださいました」

「……ああ」

「あのお話を聞いた時からずっと思っていたことがあるのです」


 シェイラは、これはイディオンを否定することではない、という思いを載せる。


「女王陛下が、イディさんに真に『王の器ではない』などと言うことがあるのかと」


「事実だ」


 ぴんっと、イディオンの弦が弾かれた。

 久しぶりに、シェイラに厳しい目が向けられる。


「ぼくは、たしかに聞いた」


「はい、そうだと思います。それは否定しません」

「じゃあ、なぜそんなことを言う」

「それは……」


 シェイラが言葉を選んでいるあいだに、イディオンがつづける。


「ぼくは、父からも聞いたんだ」


「え?」


 どういうことだ、とシェイラはイディオンの縹色を覗き込む。


「父からも、あのあと話を聞いたんだ」


 重ねられた話にシェイラは怪訝に眉を寄せる。

 イディオンが語るにはこうだった。




「——イディオン、もしかしてあの時、おまえは、おまえの母が言っていたことを聞いてしまったのではないかい?」


「……はい、父上」


 宮の近くをふらふらと力なく歩いているさなか、声をかけられたのだという。


「……ひどい言葉を聞いてしまったね」


「…………」


「彼女に、悪気はない。イディオンとて、それはわかっているだろう?」


「……はい」


「ただ、彼女なりに言葉は選んでいるのだ。自分の息子のことだからね。それゆえ、豪放なところもあるが、気が緩むとつい期待と一緒に本音が出てしまうことがある」


「…………」


「あれは、つい本音が出てしまったことだから」


 気にしなくていいのだよ、と王配エヴェリヤンは言ったのだという。




 シェイラのなかでは、いい知れぬ靄のような不快感がもたげるようであった。


(そんなことを言って……)


 なんの意味があるのだろう。



「父は……、私にもわかる、と言っていた」



 シェイラは、どうしようもない不快感を抱えながら、イディオンの話を聴く。


「母のあまりにも強い威光は、東から差す夏の陽光のようで、私にも時折陰が差すのだと。だから、おまえの気持ちもわかるし、私だけがおまえの味方であると言っていた」


 不快さから、ぞわぞわと粟立つものを肌で感じるようであった。


 絶句ではなく、シェイラはその肌で感じるものの処理に困っていた。気持ちの悪さで、今食べた好物を吐き出したくなった。


「そんなこと……」


 実の父が、言ってよいことではない。


 そこは否定するところだ。慰めるところだ。イディオンの気持ちに添うべきところだ。

 シェイラは、気持ち悪さを通りすぎて怒りを覚える。



「……ぼくがいやだったのは、」



 シェイラが自分の感情を御しているあいだに、イディオンは倦んだ目をしていた。



「——そういう母と父の関係をずっと見抜けていなかった自分にだ」


「イディさん」


「ぼくは父と母の仲はよいものだと思っていた。父はよく母を支え、母はよく父を頼っていて、そんな父母を尊敬していたし、憧れていた」


 イディオンの視線はどこかを移ろう。


「だから、そういう表面的なところしか見ていなかった自分に心底嫌悪を覚えた。それゆえ、母の『王の器ではない』という言葉が、表層しか見ていない自分を正しく突いているのだとわかったから、父の言葉に納得したんだ」


 視線は、シェイラのところに戻ってくる。



「そういうことだよ」



 イディオンの目はもう、その言葉に対してなんの望みも抱いていないのだと言っていた。


 魔法が使えるようになることには期待を持てていても、女王の言った『王の器ではない』という言葉を否定することへの期待は持てないのだと。


(わたしは、言う時宜(タイミング)を見誤ってしまったのでしょうか)


 くしゃっと裾を掴む。


 イディオンの感情を知ってしまうと、つづけるべき言葉が見つからない。なにを言っても、それが彼の諦めを遠回しに肯定してしまいそうで、なにも言うことができない。


 なにか言わなければ、とただの十八歳でしかない自分が焦ってしまう。

 だれかを導く導師としての自分ではなく、ただのシェイラがもがいてしまう。


 ——ただ、それでも……


「わかりました」


 シェイラは、裾を巻き込みながら拳を作る。



「それでも、わたしはちがうと思います」



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