103話:他愛のない関係(2)
——シェイラータ・ロゼイユ。
薄紫色のきれいな髪の女の子だった。目なんかヨーロッパ人もびっくりするくらいきれいな真っ青で、立っているだけで、おとぎ話に出てくる妖精みたいな女の子だった。
ひばりは色のなかで、薄紫が一番好きだ。
保育園の頃から、そうだった。ツルムラサキや紫キャベツで、色水を作った記憶が懐かしい。少しだけキャベツのにおいがくさかったけれど、そんなことどうでもよくなってしまうくらい、きれいな色が出る。
だから、ひばりはシェイラがうらやましかった。
そして、自分の物語のヒーローであるはずの王子さまは、そんな彼女を、心底好きだった。見ただけでわかってしまった。
(あー、ついてないな)
ひばりは、いつも、ちょっとついている。
ちょっと、というのがポイントで、すごく、運がいいわけではない。
定期試験でヤマを張ったら、一個のテストに一個当たる。それくらいのつき。
ひばりのこの世界での運は、聖女として、ちょっといい生活を送れるようになったというので、使い果たしてしまった。
憧れの王子さまとの恋愛。そんな大きなつきは、ひばりには回ってこないのだ。
(憧れは憧れでおしまい)
そう思って、ひばりはとっととヴィクトルのことは諦めた。
ちょっとかっこいい護衛騎士との恋物語に発展できたら満足。そう思うようにした。
一方で夢から醒めてしまうと、ひばりは次第に参っていった。
——帰りたい。
異世界召喚や聖女という立場、ヨーロッパみたいな街並みに浮かれていたのは、数ヶ月だけだった。
——あの日常に、帰りたい。
お母さん、お父さん、お姉ちゃん、どうしてるかな。
名前の似た親友、陽毬も元気かな。
みんな、元気かな。
あの他愛もない、ちょっとついている日常に帰りたくてたまらなかった。
そういう衝動が潮のように打ち寄せると、ひばりは、いらいらすることが増えた。帰れるのか、帰れないのか、そもそも聖女とはどんな役割なのか、不安にもなった。
世話役であるガズール枢機卿には、尋ねてもはぐらかされた。ひばりを召喚した王子さまは、他人行儀だった。
ひばりの愛すべき他愛もない日常は奪われた。
限界だった。だって、十五だ。十五の、義務教育を終えるか終えないかの少女に、なにができるというのだろう。
そんな時に、ひばりのもとにヴィクトルとの婚約が転がり込んできた。
聞いた時はびっくりした。耳を疑った。
ガズール枢機卿からは、「それが聖女さまと聖剣使いなのだ」と言われた。
——じゃあ、あの子は? シェイラさん。王子さまの好きな子。
「彼女は罪を犯し、国外追放となりました」
それを聞いた時、ひばりは、あーあ、と思った。
あー、墓穴を掘ってしまったんだ。
かわいそう。特になにもしなければ、王子さまの隣は彼女のものだった。たとえ、ひばりと王子さまが聖剣使いと聖女として結婚することになったとしても、隣はまちがいなく彼女のものだった。
それなのに、自分からその立場を放りだしてしまったのだ。
ついていない。
逆にひばりにつきが回ってきたのかと思ったけれど、そんなことはなかった。むしろ一見大きなつきは、ただいつもどおり、ちょっとついているだけだった。
……ちがう。むしろ、ついていなかったのかもしれない。
王子さまはひばりと婚約しても、びっくりするほど態度が変わらなかった。
誠実でやさしく、異世界人への思いやりがあって、いつも困ったことはないか、とかっこいい顔で聞いてくる。ひばりがちょっと顔が赤くなってしまうくらい。
でも、そこになんの含みもないことはわかっていた。あの子がいなくなっても、それは変わらなかった。
王子さまの誠実さはハリボテ。
みんな、聖女であるひばりにはどこか遠慮がち。
他愛もない、ほっとする関係なんて、だれとも結ぶことができない。
特に、王子さまの振る舞いは、どうしようもないのに、不安を煽った。
ガズール枢機卿やロゼイユ公に少し不満を漏らせば、ヴィクトル王子はひばりのところに来てくれる。
でも、だめなのだ。
ひばりは、他愛のなさがほしい。こういう作られた関係ではなくて、他愛のない関係が欲しかった。
「ねえ、ヴィック」
「なんだい?」
「ヴィックって、どこか遠慮してるよね」
「そう? 私はひばりに遠慮なんかしていないよ」
「だって、いつもなんか距離があるじゃない。あたしのところに毎日来るし、顔も見せに来るのに、一歩引いてる。あなたの領域に絶対に入らせないって空気がある」
「……君はそう思うんだね」
「いやな言い方だね」
「ごめん、そんなつもりはない。距離があると思わせてしまっているのなら、申しわけなかった」
次からは気をつけるよ、と王子は言う。
ちがう。気をつけるではないのだ。
「気をつけるものじゃないよ。距離感って。自然となるものだよ」
——シェイラさんにはちがったじゃない。
その言葉だけ、呑み込んだ。がんばって、言わなかった。
ヴィクトルは黙り込んでしまって、膝のうえで指を組んでなにかを考えていた。
——あー、ほんとうについてない。
ちょっとついているのは、王太子の婚約者と聖女という地位だけ。
ひばりは、他愛もない関係を築きたいだけなのだ。べつに、好きになれと言っているわけではない。恋人になってほしいと願っているわけでもない。
それなのに、ヴィクトルという王子は次の日から、自然となんのことではないように、ひばりとの距離を埋めてきた。
どこまでも誠実な男で、ひばりは泣きたくなった。
「ばかみたい……」
どうせ、まだあの子のことが好きなくせに。
わかっているのに、ヴィクトルのそういう振る舞いがいやではなかった。
特にこの半年、ヴィクトルはひばりにやさしくおだやかで、いつも寄り添ってくれた。くだらないことを言えば、くだらないことを返してくれる。
失敗したらちょっと笑って突っ込んでくれる。
この三年半で、ひばりとヴィクトルは、他愛のないおだやかな関係を結んでいった。
大事にされている。
そう感じると、いらいらとしていたものも落ち着いて、ひばり自身も聖女という仕事や立場にだんだんと慣れて、納得して、馴染んでいった。
帰りたいという気持ちも、凪いでいった。
(このまま、つづいてほしい)
——この他愛もない関係が。
ものすごく、愛されなくてもいい。物語のような恋でなくてもいい。
こうやって、他愛もなく、ちょっとくすぐったいような関係がつづけばいい。
そう願いながら、ひばりはヴィクトルの差し出された手を取った。




