100話:狩猟祭への誘い
シェイラが報告の謁見を終えて、第一王子宮に移れば、イディオンは応接の間で、赤髪のゼイドや見慣れぬ官吏たちとの打ち合わせの最中だった。
イディオンは説明される内容に相槌を打ちながら、書面をめくっている。
邪魔しては悪いと思って、シェイラがそっと入口の空間まで引き返そうとすると、すぐ気がついたように声がかかった。
「シェイラ!」
イディオンがいつもの定位置からぴょんと降りると、子犬さながらに寄ってくる。結ってある髪がいつもながら絶妙に尻尾感を出していた。
「ここまでだ。あとは、確認しておく」
イディオンは振り返ってゼイドたちに言うと、シェイラに向き直る。
「待っていた!」
「イディさん、大丈夫ですか? お話の途中では?」
そう言っているシェイラのそばを、ゼイドたちは出ていく。
「あとはよろしくお願いします!」
ゼイドは、元気よくそう言うと、扉が閉められてしまった。
シェイラとイディオンだけになる。
「いいんですか?」
「大丈夫だ。最終確認だけだったから」
「なんの……あ、わたしが聞いてもいいことでしょうか?」
かまわないよ、とイディオンはまた壁窪の座面に戻ると、足をぶらぶらと揺らす。
シェイラが適当に座れば、イディオンは話をつづけた。
「来週から、母上の在位六十周年を記念する催しがあるんだ」
「あー、そういえば、そんなこと……あるそうですね」
フェノアが言っていた気がする。
式典やら宴やらなにやらで、歌唱の魔導師さまは引っ張りだこなのだそうだ。学院の授業を休まなければいけないほどらしい。
「シェイラ、知らないの?」
「あ、えと、あまり興味がなくて……」
めでたいな、とは思うけれど、浮かれるような楽しみは持ち合わせていない。
王都の街なかがここのところ騒がしいのはそのせいであったのか、と納得する。
「シェイラらしい」
「そうですか?」
「うん」
イディオンはどこか楽しそうに肯く。
「ぼくも、いくつか式典や祭りに参加する」
「イディさんも!」
「ぼく、第一王子だからね」
「そうでした!」
「そうなんだよ、実は」
イディオンは、くつくつと笑う。
「さっきのは、狩猟祭の打ち合わせだよ。二週間後に開かれる」
「イディさんも狩りを?」
「このなりでも、それなりにね。魔法は禁止だから、官吏たちが参加しやすいだろうと配慮してくれたみたいだ」
「そうでしたか」
さきほどの女王との会話を思い出す。
官吏たちではなく、女王の差配であることをシェイラは知っていたけれど、黙っていた。今のイディオンに言っても響かないだろう。
「……あのさ、」
イディオンは、おずおずと言う。足をもじもじとさせている。
どこか、かゆいのだろうか。
「シェイラ、その日、来れる?」
「はい?」
「狩猟祭の日。王都から少し離れた郊外にある離宮の近くでやるんだ。森と、渓谷のある景勝地で」
ちらっちらっ、とイディオンがシェイラを見るので、シェイラも合点がいった。
見に来てほしいのだろう。
かっこいいところを見せたいのだ。
イディオンの思考に思い至ると、シェイラは笑いたくなってしまった。にやにやとならないように尋ねる。
「何曜日ですか?」
「風ノ日」
いつもであれば、首都魔法学園に行っている日だ。
第五週もその予定で、ユートたちの様子を見に行く。
(どうしましょうかね)
午前中は難しい。けれど、午後であれば、キルシュ師や学園長に行って、その日は帰らせてもらえないだろうか相談することはできる気がする。
シェイラがどうしようか悩んでいると、イディオンは狩猟祭について語りつづける。
「離宮には、式典にあたって一ヶ月間客人が泊まられるんだ。母上の祝いに加えて、その客人との交流も兼ねている催しで……」
「そうなんですか」
相槌を打ちながら考える。
ユートは好調で、最近キルシュ師の学環の雰囲気もいい。放課後の振り返りはなしにさせてもらって、昼の時間に少し時間を取れば、ユート以外の他の学環も観に行ける。
「——オルリアの王太子と聖女さまがいらっしゃるんだ。ぼくは、お会いするのを楽しみにしている。王太子殿下は狩りの腕がいいと聞いているから」
聞こえてきた単語に、束の間、息が止まった。
足の底から冷たいこわばりが登ってくる。謁見の間で思い出したことが重なる。胸骨まで昇ってきたものが、体中に伝わっていくような気がする。
(トール……)
彼が、ガルバディアを訪れる。
(……彼女も)
聖女ヒバリ。異界から来た彼女。
——シェイラに代わった、彼女。
膝のうえに置いた手が、気づけば小刻みに揺れていた。骨を伝ってやってきた震えで指先ががくがくとして、シェイラは一方の手を一方で抑えつける。
「……シェイラ?」
イディオンは、そんなシェイラの異様さにすぐに気がついた。
「どうかした?」
「……いえ」
考えていたことが霧散する。
イディオンのために調整しようと思っていたことが。
(会いたくない……)
ヴィクトルとヒバリには、決して会いたくなかった。
イディオンは、シェイラのそんな敏感な感情を読み取ったのだろう。シェイラの震える手元が一瞥されると、暗然とした空気が満ちる。
シェイラがなにか言おうとしても、動悸のする血流が言うことを利かず、閉口する。自分を叱咤しているうちに、イディオンがぽつっと口を開いた。
「……あなたの話を待つつもりでいたけれど、」
縹色がためらいの色も乗せながら、シェイラを窺うようにする。
「ひとつだけ訊いていい?」
「……はい」
イディオンに気をつかわせている自分が、たまらなくいやだった。
シェイラは無意識にひとつ、溜息をつく。
イディオンはそんなシェイラの様子にも気がついていて、一瞬躊躇した。だが、気になる心が勝ったのだろう。つづけられた。
「その……シェイラは、」
一呼吸ののち、問われる。
「オルリアの貴族だったんだよね?」
「……はい」
「なんで、廃されたの?」
イディオンの問いに、シェイラの頭に久々に父の顔が浮かんだ。シェイラより灰がかった紫で、瞳は濃紫だった。
——厳しい人であった。
暮らしていた旅芸人の一座が〈雲虹〉に襲われ、母が喰われ、一座の人間もシェイラ以外みんな喰われた。生き延びたシェイラを見つけたのが、母をさがしていたロゼイユ公である父であった。
あの時、父に見つけられていなかったら、シェイラは山の寒さと飢えで死んでいただろう。
だから、父には感謝をしていた。厳しくシェイラをしつけ、屋敷ではあまり話さない人であったけれど、シェイラなりに恩を返そうとしていた。
けれど……
「——わたしが罪を犯したからです」
シェイラが犯した罪を見た時、父はどんな顔であっただろう。
あの時、シェイラはヴィクトルの顔しか見ていなかった。
「どんな罪?」
イディオンの声音は変わらない。
おそらくほんとうの七、八歳だったら、罪と聞いてたじろいでいただろう。中身が十六の王子さまは、平然としていた。
「……人を——」
シェイラは答える。
「——人を、殺したんです。第一の師を、殺しました」




