秋、昼の1
「ユキ姉、釘がきれちゃった。街へいってきていい?少しもらってこようと思うんだけれど・・・」
晩秋の昼過ぎ。ハルが丸太小屋のベランダから窓越しに、ひょっこり顔を出した。
「ええと…、私は今ちょっと手が離せないのよ…一人で大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
ハルはそういってトンカチを持ったまま手をふったので、うっかり窓ガラスを割りそうだった。近くにいた6歳のイツキが、ハラハラしながら心配そうにハルを見上げる。
「ハル姉、危ない。窓にぶつかるよ」
「ん?誰にぶつかるって?」
ハルはとぼけて、いつきの頭をくしゃりと撫でた。と、そのまま脇をくすぐったので、いつきは高い声で笑いながら、逃げて行った。
「ふふ…しょうがないんだから。気をつけて行ってきてね」
「うん、手伝いできなくてごめん」
「いいのよ」
ハルは窓から首を引っ込めて、そのまま出かけようとした。
そこへ、アキトがやってきて、自分も行くと言う。
「珍しいね。アキトも用事があるの?」
「用はないんだけれど…。街を見に行きたいんだ」
ハルはふーんと、気にもとめない様子で、二人そのままは歩き始めた。
強く冷たい風が正面から吹きつけてくる。ハルもアキトも、少しうつむきがちに歩いた。左右を高い草に囲まれた寂しい道。
アスファルトのところどころはひび割れ、ともすると穴が空いている。
ハルは、その穴にぶつかると、楽しそうに飛び越え、鼻歌まじりに歩いた。
アキトはハルの後ろを黙々と歩いた。途中で目にゴミが入ったのか、顔をしかめて涙をながした。それでも何も言わず、手で目をかばいながら歩いた。
1時間ほど歩き、街の入り口が見えてきた。街の周囲に、大人二人分ほどの高さの金網の柵が立っている。その向こうに、立派な、高い建物が整然と立ち並んでいるのが見える
街の入り口の小さな建物には、管理人と、世話人の誰かがいるはずだった。
ハルは、小さな建物の窓からこんにちは、と快活な声で挨拶した。アキトはハルの後ろに立って、黙ったまま見守った。
「何の用でしょう?」
窓から女性の世話人の顔が現れた。
ハル達は世話人達の名前を知らないため、それぞれの世話人にこっそりあだ名をつけていた。
この女性は「ロボット姉」だ。いつも慇懃で、にこやかだったが、必要なこと以外は話さないで、するべきことだけ行う世話人だった。そして、関係のない話には、一切とりあわなかった。
ハルの話は脱線することが多かったので、優しさを装った冷淡さでピシャリと話を打ち切られることが多く、それは無愛想に対応されることよりも、もっと冷たく辛く感じられた。
ハルは、「ロボット姉」が苦手だったけれど、本人の前ではなんでもない風をよそおった。
「釘がなくなってしまって。家具とか作るときの釘。今頑張って棚を作ってて、薪をたくさんおけるように2段から3段に高さを…、ええと、これくらいの長さの釘をください」
ハルはついつい、話をふくらましそうになったが、ロボット姉から何か言われそうな気配を察し、話を切り上げた。持って来た釘をロボット姉に見せる。
「少々お待ちください」
「あ、あの、すみません」
すぐに奥へ行こうとするロボットねえに、アキトが慌てて声をかける。ハルはびっくりしてアキトをみた。
「あと、砂糖と小麦粉と…ジャガイモも少ないんです。一緒にもらえませんか」
「分かりました」
ロボットねえはそれだけ言うと、大きな建物に消えて行った。何かを頼むと、戻ってくるまでに30分位かかる。今日は数も多いので、しばらく待つ時間があるだろう。
「砂糖と小麦粉…まだあるんじゃない?」
「うん…ちょっと…」
アキトは言葉を濁した。ハルはそれ以上、気にしようとはしなかった。アキトは街をながめる時間が欲しかった。世話人が来るまでの間、柵越しにだけれども、街の様子をじっくり見ることができた。
柵の向こうに、豆腐のような形の、ガラスのはまった煌びやかな高い建物が何棟も立ち並んでいる。その間を人が行き交っているのが小さく見えた。行ったことのない世界だ。
世話人に行ってみたいと頼んだことはあったけれど、いつも断られ、最近はあきらめていた。そこにはいったいどんな世界が広がっているんだろう。そして、なぜ、僕たちはこの柵の向こうに行けないんだろう。
ハルが、顔をあげた。
柵の向こうで、足元のおぼつかない女児と、手を繋いだ母親が、すぐそばを歩いていた。二人は世話人とこの小さな建物の管理人以外の街の人を近くで見たことがなかった。まして、自分たち以外の小さな子どもを見かけるのも初めてだった。
小さな女児は、母親の手にひかれながら、ハルとアキトに気づいたようで、こちらを見た。アキトも女児を見た。二人の間に、言葉のないやりとりが交わされたような不思議な瞬間があった。そして、それはたちまち過ぎ去った。女児と母親は建物へと消えていった。
「私たちも昔はああだったのかな。この間やってきたマイよりもっと小さい。あれがお母さん、だよね」
「ハル、丸太小屋に来る前のこと、覚えてる?」
「うーん…あまり。気が付いたら、あそこにいた。アキトは?」
「僕も思い出せない。僕たちのお母さんも、ここにいるのかな」
「そうかもしれないね。ママハハかぁ。あれ、ママハハだっけ?ママハハってなんだっけ。変な言葉!」
ハルは一人で話しながら、楽しそうにくすくす笑った。アキトもつられて少し笑った。ハルと一緒にいると、いつでも明るくいられた。
しばらくして、ロボット姉が、要望した物を持って来てくれた。
ハルには釘だけ入った小さな袋を、アキトにはちゃんと砂糖と小麦粉とじゃがいもの入った大袋を渡したので、アキトは少しよろめいた。
物を渡すと、それでは、とだけ言って、すぐに去ろうとする。
「あの!」と、再度、アキトが呼び止めた。
「あの、今度街へ入らせてもらえないですか?」
「それは、許可できません」
「誰が許可してくれないの?」
「それはあなたに関係ありません。失礼しますね」
今度こそ、ロボット姉は建物に入ってしまった。
ハルは、驚いたように、アキトをみた。
「アキト、今日はどうしたの?」
「ええと・・・」
アキトは大袋を重そうに抱えていてフラフラしており、それを見たハルが小麦粉の袋をアキトから取り上げた。重いものばかり頼むから…と、ブツブツ言いながら。
アキトはぼんやりしながらお礼を言った。頭の中で考え事をしていたのだ。誰かが、僕たちが街へ入ることを禁止しているみたいだ。それは誰で、なぜだろう。生活も、楽しかったが、アキトの中では違和感があった。必要な物は言えばほとんど用意してくれる。でも、本の世界ではお金と物を交換している場面をよく見かけた。それが普通なんだろう。
僕たちはお金がないのに、どうしてなんでもくれるんだろう。
まるで…まるで、ペットか何かのようだと思った。
アキトのなぜ…は帰り道の間、尽きることがなかった。
そんな心配性のアキトの横で、ハルは自作のジャガイモの歌をのんきに歌っていた。おそらく、アキトが悩んでいるのを見て、少しでも和らげようとしたのだろう。
ジャガイモの歌、パンの歌、ニンジンの歌・・・ハルの歌ははめちゃくちゃでひどく滑稽だった。眉間に皺をよせていたアキトは苦笑いした。ハルの気遣いが分かったのだ。
「ハル、ありがとう」
ハルはそんなアキトの頭をくしゃくしゃにして撫でた。
改稿
2025.5.12
2025.5.21