たよりない貴方へ
not恋愛もの。夢魔vs女子中学生。全然噛み合わない系(多分)コメディ。
(短編。全1話。本文:9060文字)
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女子中学生リィラの夢の中にあらわれた、イケメン夢魔の青年とのお話です。
最初がコメディで後半はご都合主義系のシリアスです。
キャラ2人が、ひたすらどすんばたんするお話をお楽しみください。
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⚫︎登場人物紹介⚫︎
・リィラ
14歳の少女。女子中学生。少し神経質な子。
面倒ごとは母親におしつけるだけの父親をみて、恋愛を夢見ながら同時に諦めている。自立した強い女性が今のところの理想。
頑固かつ意固地なところがあり、友人がミーナ一人しかいない。
・ジェイル
夢魔。ナイトメア。20歳くらいの容姿の美青年。
リィラの夢に勝手に現れて素敵な世界に連れ去ってあげるという。
「何。おじさんじゃん。あんたロリコン?」といわれて、めっちゃ不審者扱いされて泣く。
14歳からみた20歳なんてそんなもんである。
割といいおじさ…お兄さんである。がんばれ。
・ミーナ
リィラの女友達。読書好きでのんびりや。少し天然。
中学生になってからリィラと友達になった。
顔が広く友達がとても多いが、何かリィラのそういうところ好きー。とやたらリィラの後をついてくる。
妹系だが気の利く良い子。よくリィラとはお散歩や図書館デートをする。
「君はもう無理しなくていいんだよ。さぁ、私が別世界に連れ去ってあげる」
美しいポーズをきめながら彼はいった。
「それが何?全部を放り出して行けっていうの?私はそんなの嫌だ」
と私がいうと、目の前の見目麗しいおじさんは表情を凍らせて目を丸くした。
「え。い、いやなんで」
ギクシャクとした動作で動揺する見目麗しい青年。
私は目の前にいる見知らぬ男の人を睨みつける。
「ていうかおじさん誰。サイアク。夢の中で不審者に会うとか地獄じゃん…やっぱりこの前、駅の通路でわざとぶつかってきたおじさん、後からおいかけて手持ちの本で、めちゃくちゃ頭ぶん殴っておけばよかった」
私は拳をにぎりしめて、チッと顔を歪める。ついでに足をタンタンと跳ねさせる。
ジャンプをする前の準備運動だ。私の記憶の中のぶつかりおじさんは私より頭一つ分大きいので、ジャンプしなければ頭をぶっ叩けない。ああ思い出してきた。
「いやアグレッシブだなぁ?!それに。それ本物の中年の人だよね?!40代後半の!俺まだ20歳くらいだけど?!ほら見て!全然違うよ。同じにしないでおくれよ。君」
「なんで。全然同じ」
「全然別物だよー!!」
なぜか目の前の自称20歳の美しいおじさんは、床に泣きながらうずくまってしまった。
正直私には20歳とかおじさんとか言われても、全然見分けがつかない。
私は中学生で14歳だ。ネットに書き込むと生意気ざかりとか厨二病とかいわれるが、よくわからない。近所に住むお姉さんは、私を見て、あらあら私にもそんな頃があったわー。思春期ってそういうものよー。とのほほんとしている。あとすごく可愛がってくれる。
大人のお姉さんのお墨付きはとても強い。つまりは私は全然普通なのだ。
「明日は私、友達のミーナちゃんと本屋にいくの。不審者さんどっかいってよ。寝れないし邪魔なんだけど」
私がしっしっと夢から去ってほしいとジェスチャーすると、床に泣きながらうずくまったおじさんは、さらにわぁわぁと泣き始めてしまった。
なんだこの人。私より全然大人なのに子供だ。なんで?泣かしたけど責任取らなきゃだめ?私は心底ウンザリする。
「リィラちゃん。君がそういう子なのは知ってたけど、あの、その。もう少し手加減を…」
「は?おじさん私の夢に勝手に出てきて手加減とか何?ていうか、ちゃん付けめっちゃむかつくからやめて。このストー!カー!」
感情のままに強めに叫んでそういうと、ヒィッとなぜか目の前の美しいおじさんは悲鳴をあげて、怯えてしまった。ああ、すごく打たれ弱い。なんだこの生き物。
「あ。というかこれ夢なんだ。目覚めちゃえばこのおじさんとあったのも忘れてノーカンだよね。早起きして予習しよ」
私は事態を解決するとてもいいことを思いついておじさんから気を逸らす。
起きたら朝4時だったりするかもしれないが、お気に入りの本を読み返したり今日の授業の予習をすれば学校の時間まであっという間だ。寝不足になるけど、今日ぐらいはそういうのも悪くない。
「む、夢魔。しかもナイトメアなんだよ俺。『現実から連れ去ってあげる』って言うと、みんな喜んで俺についてきたのに、こんなの初めてだー!!ひどいー!」
「小学生のころに読んだ本で、『力足らず』って言葉を見た。そういうのじゃないかな。それか、合わないか。…おじさん、こういうの向いてないんじゃない」
「ぐわー!」
目の前の美しいおじさんは、ついに床の上でのたうち回り始める。本当によくわからない。
近所に住むお姉さんやミーナちゃんは「リィラちゃんはちょっと言葉がきついね!」と笑顔でいう。あ、ごめんね。やっぱり直した方がいいのかな。って言うと「全然。なんかちょっとスッキリする!」と言われた。普段大人しいぶんいいんじゃないかな。と太鼓判を押された。
「リィラちゃんはちゃんと状況みてお話しできるから大丈夫だよ。ただ、うーんちょっと一部の人からは恨みをかいやすいかも」
とも言われたので少し気をつけているが、それを二人は喜んでくれた。
「き、君は人の心がわからないのか…」
目の前の美青年ともいえるおじさんはうめくように言葉を発したが
「会ったばかりのおじさんにそれを言われても困るんだけど」
と返すと、また、ぐわー!と、のたうちまわりはじめる。何だかそういう趣味の人には良いんだろうなぁこのタイプ。少年漫画?少女漫画?その他??みたいな反応するし、と私はため息をつく。そうすると
「こ、こんなに君のためを思ってるのに…」
「立派な不審者じゃん」
「ぎゃー!」
「はあ、いい加減目覚めたい…今度そういう本借りよう」
いい加減夢から覚めたくてウンザリしてくる。ネットのオカルト関連か何かに、悪夢から自発的に目覚める方法とかがあった気がする。相談系のサイトにたまには書き込むのもいいかもしれない。友達のミーナちゃんは割とそういうのに詳しいが、何だか同時に心配されそうな気がする。それにミーナちゃんとの時間はもっと別のことに使いたい。
早く目覚めたいなー英語の予習復習したいなー英語の勉強、まだちょっとよくわかんないけど面白いなー、本屋いきたいなーと考えを巡らせていると、目の前で涙を目に溜めたおじさんは「こ、こんなに思春期の子が難しいなんて…」と震えている。
これが年上か大人のプライドがずたずた?ってやつなんだろうか。でも、中学生の私には、そういうのはよくわからない。
「おじさん諦めてよ。しつこい」
っていうと、ゲハァ!とまたなんか吐いて大きなリアクションをされる。つくづく自己主張の激しいおじさんだ。
「こ、後悔するよ」
「なんで?」
「なんでって!俺は俺は!そんなに君のところに何度も来れないんだ」
「えー、また私の夢に来るつもりだったの?きもい」
「ギャー!」
「おじさん、この仕事するより、芸人になるか女の子になる方が向いてると思う」
私は、私の言葉にいちいち反応する美しいおじさんの相手が面倒くさくなって、てきとーにノリの軽いネットか何かの漫画で見繕った言葉を言う。
「俺の男としての尊厳まで否定しないでくれ!」
「いい加減現実に向き合ったら?私の親戚のおじさんも違う会社に行って楽しそうにしてるよ。女の子にはなってないけど」
「いや、転職と性転換を同列で話さないでくれぇ!」
「そんなの知らない」
「ぎゃー!」
「はあ。ええーと、おじさんナイトメアっていったよね。夢魔退治って何だっけ。バク?」
私は子供の頃に見た絵本の話を反芻する。動物園にいるという、丸っこくて黒くて白い動物の姿を思いうかべる。バクは現実にもいるが、空想上の生物としては、たしか悪夢をたべてくれる存在のはずだ。
「や、やめてくれ!!あいつら夢魔には獰猛なんだぞ。俺を退治する話なんてやめてくれ」
「……」
今度は目の前の美しいおじさんが青ざめはじめる。
私はなんで、こんな知らないおじさんのどーでもいい話に長時間付き合ってるの?目を閉じて、ハァ、とため息をつく。
「とにかく私、おじさんの助けはいらない」
「ダメだ!俺は君を助けたいんだ」
「やだ」
あくまで目の前の美しいおじさんは、私を助けたいと涙目でぶるぶるしながらこっちを真剣にみつめてくる。こんなに心が幼いのに、情熱だけは立派らしい。
「今回は合わなかった、ってことでいいじゃない」
「いや、ここまで言われて引けないなぁ!」
「えー?」
私の言葉は美しいおじさんのやる気をむしろ煽ってしまったようだ。あくまで諦めないおじさんの熱意に少し気圧される。でも同調はやっぱりできない。気のりが、しない。私は私だ。そういうところが私はいいと思ってる。自分を曲げるとそのあとの人生はきっとめちゃくちゃになる。
自己犠牲?献身?…よくわからないけど、それは、奉仕とは全然異なるものだと私は感じてる。やりたいと思ってやるのが大事。このおじさんはそれが今の状況なんだろうけど、私はそんなことを望んでない。
「たとえば死後の世界に連れてって欲しいっていったら連れて行ってくれるの?」
「なんでだ?!あそこは行ったら2度と戻れないんだぞ!却下だ。君のそんな願いは叶えられない!」
「…ウザ」
「うわー!」
背が高くて美しいおじさんの悲鳴は相変わらず激しい。あぁよくもこんな感情を何度も爆発させられると思う。思うだけでそれだけだけど。
「そもそも放置でよくない?私たち知らない同士じゃん。関係ないし、向き合う必要ない」
「いやいやあるよ!こう、過去はともかく未来…」
「未来が…なに?」
「ああいや、とにかく一緒に来て欲しい!」
「やだよ」
「や、やだ。じゃない…」
「………」
聞き分けがない駄々っ子の美しいおじさんに私が閉口すると、おじさんも口を閉じて、ぜーぜーいいながら熱心に見つめてくる。
正直大人は嫌いだ。だってよくわからないから。それが男の人ならなおのことだ。しかも知らないひととなれば、得体の知れない恐怖は膨らむばかりだ。
「私を異世界に連れ去ってはい放置、とかで、草原で頭から熊に食べられるのとか嫌だし」
「俺を何だと思ってるんだ!そんなことはしないぞ。あと熊は基本的に草原にはいない!」
「えー…今の流行りでしょ?」
私は深夜に目が覚めたときにやっているアニメの話をする。ちょっとよくわからないけど、イキイキとした姿は、まぁいいんじゃないかなぁとは思う。本当によくわからないけど。
「じゃあこうしよう。私がいま読んでる本より面白い場所なら考えてあげる」
「え、えー…どうだろう。流石にJ・R・R・トールキンの作品の世界には勝てない、かなぁ」
「『ホビットの冒険』にすら勝てない世界なら、行かない」
「無茶言うなあ!時代をこえて伝えられる不朽の名作だろう。あれは」
目の前の美しいおじさんはまた目に涙を浮かべて叫ぶ。
私が選んだ作品は、海外の鉄板ともいえる王道ファンタジー文学だ。小さき者。弱き者が強者に立ち向かう冒険譚。本はとにかく読めるものをたくさん読むと良いとの小学校時代の担任の先生のアドバイスを経て、ミーナちゃんと選んだお気に入りの本だ。読むたびに心が揺さぶられて、言葉にならない感動がある。おかげでなかなか読み進められないのだ。
「未練!そうだこの世界に未練があるんだな。それをどうにかして…」
「……していいと思ってるの?おじさん」
思わず低い声が出る。
「ひぃん」
もはや字面だけみると、か弱き乙女の悲鳴だ。ヒロインの悲鳴だ。どうにかして帰ってくれないかなーと思うが、美しいおじさんはもうここに骨を埋める覚悟でいるらしい。
お友達もいて、明日の約束も楽しみで。学校もまあまあ楽しくて、続きが気になる大好きな本もある。勉強は難しいし大変だけれど、夢の中に突然現れた見知らぬ美しいおじさんについていく理由は見つからなかった。
…なのに、私はなぜかこの夢から覚めないし、足はこの場に留まり続けている。
(あれ。もしかして…これ、私がそうしてるの?本当に?)
さすがにこれは変だと少し考える。唯一の気掛かりは、ミーナちゃんとも近所のお姉さんとも離れて、その先の話だ。意味も内容もよくわからないけど、世間から漏れ伝えてくる将来に対する悲壮な声。胸の奥にくすぶる、漠然とした不安。
私の変化を察したのか、さっきまでまた泣き喚いていた目の前の美しいおじさんは、いつの間にやら涙を浮かべつつ真剣な顔でこちらを見つめている。
「…行き先は、この先選べないんだ」
「え?」
私は思わず大きな声を上げる。
「目が覚めるまでがタイムリミットだ。今なら選ぶことができる。だが、この先の君が進む道を私が決めることはできない」
あれ、またこのおじさん、一人称が「私」に戻ってる。と、思いつつ真剣な雰囲気に押されて思わず唾を飲む。
「今ならまだ進める道はいくつかあるけれど、目が覚めてからでは、色々と、難しいんだ。私とくれば、私が助けてあげよう」
「おじさんは、悪夢そのものだよね?」
「うっ…そうだが、それでも、その」
目の前の美しいおじさんは言いにくそうにしている。とにかく声を絞り出して伝えたいらしいができないらしい。その白い肌を脂汗がつたう。
「リィラ。君が、この世で一番恐ろしいものは、一体何かな」
「な、何って…そんなのおじさんにはどうでも」
「答えるんだ。多感な君には辛いけど大事なことだ。直感でいい。思ったままでいい。どんな人間でも。出さなくてはいけないことだ。向き合うべきことなんだ。…自己犠牲や献身に納得がいかない性格の君なら、尚更だ」
「えっ…ええっと?」
思わず心の底まで見透かされたようで、動揺する。
大事なものなら、すぐに答えられる。むかついた事なら、直近でいくつか。
けれども、そんな、この世で一番恐ろしいものなんて真剣に考えたことがない。
目の前の美しいおじさんの白い肌はついに青白くなり、指先から糸がほどけるようにゆっくり消えはじめていく。美しいおじさんはぜいぜいと荒い息をついて心底苦しげな表情をしながら答えを待っている。
もしこれが演技であれば、人を惑わせていいように堕落させる悪魔として賞賛ものだろう。しかしここまでの彼を見てきた私には、どうにもそれが嘘に見えなかった。そう思った。私は俯いて真剣に考える。
(何を見て、何を信じて。何を、思う?)
私が、私で、あるために。
目の前にいる、誰よりもなぜか私のことに詳しい美しいおじさんを前に、私はその答えをだして、宣言しなくてはいけない。
…とっさにムカつく、なんてことではなく。
…いまだに思い返して、腹立たしいものでもなく。
…胸の内にしまっておけないほど、怖くて悲しいもの。恐ろしいもの。
長くて短い思考。シンプルな答えは自然に口をついて出た。
「うん。そ、それは………多分、きっと。だ、誰かに、裏切られることだと思う」
声が、震えた。
大好きで大好きでしょうがない、きっと、あの2人に。
大好きなお友達のミーナに、近所のお姉さんに。
私の世界を支えてくれている彼女らに、これからも変わらぬ友情を、親愛を、心からないがしろにされると私は。
「ーーーああ、その通り。さあ、行こう!!リィラ!!私が導く夢へ。君は目覚めてはいけないんだ!!」
そう言って夢魔である彼は勢いよく私の手をとり、咄嗟に握り返した私の反応に心から嬉しそうに微笑んで、はるか遠く深い場所にある、どこまでも続く暗闇の穴に飛び込んだ。
「誰も辿り着けない君の眠りの底の底。夢魔。悪夢そのものと定義された私ならば辿り着ける!嘲笑うがいい、最大の不幸だと罵るがいい!人間よ。これが、悪魔による救済だ!!」
「きゃああー!」
そして辿り着いた暗闇に、私は心から恐怖して叫び上げた。
覚めない夢と、現実と。
終わらない悪夢と悪魔と、恐怖の結末。
読みかけの小説だってあったし、大好きな友達との明日の約束もあった。
また見たい笑顔もあった。いつも優しくしてくれるお姉さんのことは大好きだった。
それらを全て捨て、置き去りにして得られたのは真っ暗闇の世界。そして心からの安堵だった。
「………え」
「どうだい、楽園みたいだろう。ひとりぼっちの世界は」
「えっと…これ。私は。ま、まだ。わかんない。かな」
「うん、そうだね」
先程まで私の目の前で散々モンスターみたいに暴れて泣き喚いた夢魔…悪魔は、いまは暗闇にとけて姿が見えない。私は暗闇のなかにひとりぼっちでいる。
「私はひとりぼっちになって…何?」
「どう思う?」
「どう思うって…私…」
こんな真っ暗闇の中で私は考えたことがないのでわからない。
私は俯いて考える。
「あれ?案外、でも。うん、うん。えっと」
「気に入った?」
「………」
「無理に言葉に出さなくてもいいよ、リィラ。よかったね」
「……私、壊れちゃったの?」
ふと思いついた言葉を口にしてみる。
「どうかな?ここには鏡がないからね」
「鏡…」
光のない真っ暗闇ではたとえ鏡があっても私の姿はうつらないし、確認できないだろう。
「鏡…」
鏡がわりになるといえば、あとは他の人間の意見だ。暗闇にとけた夢魔は私の心を読んだかのように問いかける。
「誰かの目にうつる君は、どうだった?」
「どうって。私は物をはっきり言える子で。リィラのそういう性格とてもいいよねって」
「……本当に君は、そうだった?」
「え。な、何…」
「それを疑問に思っていなかった?君は自分で自分のことを、どう思ってるんだい」
「え。え……」
「こんな自分。嫌なやつだなって思ってなかった?」
「で、でも友達もお姉さんも、私の性格、悪くないって」
「彼女らの顔を思い出してごらん」
不意にずきんと胸が痛む。
「ひっ…や、嫌だ!!」
わからなくていいことがわかろうとしている。
目を逸らしていた事実がわかろうとしている。
暗闇しかないこの場所には、私1人だ。目の前にいるのは悪魔。救いはこない。
「苦笑い、だった。2人とも。いつも……私に対しては」
「そうだねえ」
「はぁはぁ。…わ、私を助けに来たんじゃないの?!おじさん、何なの」
夢の中なのにばくばくと鳴る心臓の音がうるさい。私は座り込んでいることもできずに、そのまま暗闇に倒れ込む。
「そうだね。まあ君は私を見てくれなかったからね。しょうがないんだ」
「しょうがないって…!」
「積もり積もって、ついに塊になった。暗闇の中に押し込められた助けてと叫ぶ声が大きくなって、その姿はいびつな子供じみた青年の姿の悪魔になった。人の中に神は常にあり、同時にまた悪魔も存在する。うんうん。まぁ、世間ではそうなってるね。たとえとしては、まぁよくできてるよ。さて。どうだい?実際の私の姿は。君が嫌いなタイプの男性だったろう?」
「なっ…」
「同時にまあ、理想のタイプでもあったはずだ。私では君に危害を加えられない。君も私を拒絶できない。はは、どったんばったんして、なかなか楽しかったよ私は。もう1人の自分と向き合って真剣な対話ができたからね」
私は絶句する。
「両親はろくに家族に何も話さない君を見ていつも困り顔。でも自分に原因があることを知りながら君は外に自分を肯定してくれる者を求めた。まあいいよ。世の中にはそういう人間もいるからね」
「う、うう…」
「悪いことじゃないよ?何年もかけて気づいてようやく和解できる親子もいる。でも君は両親の様子に気づいていたからそれが重荷になった。君のお父さんはたしかに何かと母親に物事を押し付けてて、なんて頼りないんだ。これで一人前の大人だなんて到底思えない、と君は常々内心すごく不満に思っていたけど、あれはあれで悪くない関係だとわかっていたかな?ああ答えなくていいよ。今すごく苦しい状態だもんね」
「あなたは…何…!どうしたいの…!」
私は全身を締め付けるような強い痛みに、ただ悲鳴をあげることしかできない。
「君が一番よく知ってるんじゃないのかな」
「……!!」
「さて、僕の手をとってここにきてくれたから、君にはまだ選べる道があるよ。もう少し寝ていたいならそれでもいい。最大であと13年は眠れるかな?今すぐ目覚める、のは…おすすめしないなぁ。嵐は、まだ止んでないから」
そう言って悪魔は言葉を途切れさせる。よく耳をすませば、ごうごうと何か複数の音がまざりあって、複雑で大きな音が遠くでしている気がする。
「君は賢い。よく考えて、ひとりで、よく眠ろう。大丈夫だよきっと」
「…私、死んでない?」
「死んでない死んでない。保証しよう」
「えっと…植物状態みたいな?」
「その表現はひどいなあ。疲れた子供がぐっすりベッドで眠るのは、当然のことだよね」
「あ…うん」
「心配かな?」
「いや…うん。そろそろ無理、してないで、寝ようかなって」
私は、ゆっくり襲ってきたとろけるような甘い心地の睡魔に、力を抜いて身を委ねる。
「それはいいね。実際は飽き飽きしてたもんね。あんな毎日に」
「そうかも…?」
「いいね、そうこなくちゃ。ああ、悪魔らしいずる賢い話をしてあげよう。ある日突然君が目を覚まさなくなったから、世間的な原因は君のせいじゃないってことになってる。突発的な原因不明の…ってもう聞いてないか」
「すー…すー…」
穏やかな寝息を立てて暗闇に横たわる少女を見て、悪魔は心から安堵する。
「このまま生きて、生き地獄なんてことにならなくて本当によかった。君も私も、自分で気づいていたんだよ。さあて、まぁまた必要になったらいつでも呼んでね。君を助けるために、どんな姿にでもなって力になろうとも」
そう言って声は途切れて、リィラが横たわる暗闇には静寂が満ちた。
8年目に一度目覚めてまた眠り、そこから4年後に私、リィラは完全に目を覚ました。世界はずいぶん変わっていて、中学生だったはずの自分の姿も大きく変わって別人ともいえる大人の姿になっていて、ああもうあの頃には戻れないのだなと痛感した。
不思議と、あの暗闇で散々苦しめてくれた胸の痛みはなかった。中学生の頃に漠然と抱いていた不安もすでにない。そして、友達のミーナちゃんも近所のお姉さんももう何年も前に引っ越していて町に姿はなかった。病院に見舞いにきてくれる両親にきいてみたが、2、3度ほど様子伺いに家に来たきりということだった。私は、私が迷惑をかけていたんだな、と痛感した。確かめる術はもうない。
起き上がれるようになってからはお手洗いで顔を洗って鏡を見ると、26才の私の姿は、なんだか微妙に少しだけあの夢魔に似ていた。
「うわー…というか地味に痛い…」
鏡の前で、両手でその顔を覆って落ち込んでうなだれる。
自分の夢の中で自分で自分がつくった架空のイケメンと会話してたって…と考えるが、お陰で心安らぐことができたのから、まあ仕方のない代償だったのだと思うことにした。
暗闇の中で時々目覚めたときもあの青年の声が聞こえたが、最後には聞き取れないほど声は小さくなっていた。最後に聞いた言葉は確か、
「自分が本当に一番やりたいことを、やるんだよ」
「…言われなくても、わかってるもん」
私は病院のベッドの上で頬をふくらませた。
傍には今日も病室に見舞いに来てくれた母親が座っている。
「リィラ?あんた何かいった?」
「何でもない」
「そう?あんた本当に昔から不器用だからねぇ。何をやるにしても極端で。すっとんでて。毎回、人様にご迷惑をかけてて、ずっと心配で」
「お、お母さん。それは、その…そういうの私だけじゃわからないこともあるから、うん」
身動きできない体勢で昔からずっと一緒に暮らしてきた肉親に心配事をちくちくいわれて、胸がギュッと痛む。
「頑張る…」
そう言って今日も病室に差し込む明るい陽の光のまぶしさに、私は目を細めたのだった。
(完)
・あとがき・
ここまでお読みいただきありがとうございました。
趣味全開で一晩でかいたらご都合主義の黒歴史ものになりましたが、自己内完結ストーリーとしては結構たのしく書かせていただきました。
⚫︎リィラ
賢すぎる女の子。それゆえに周囲の状況や視線にに気づいてはいたが、幼さゆえに感情が未熟で気持ちがおいつかずに自らを追い詰め、すでに心が限界に達していた。
ストーリー中では、夢の中なので現実はほどよく見えない状況。向き合うべきは現実と己自身の気持ちだと最初からわかっていた。己の内に潜む悪魔を呼び出した代償は大きすぎたが、お陰でもう一度落ち着いてスタートラインに立つことができた。
過ぎ去った時間は2度と取り戻せない。けれど、今度はまっすぐに前を向いて、明るい道を歩いて行けるだろう。
たまには辛いこともあるけれど。きっと晴れやかな顔で。
⚫︎ジェイル
悪魔。リィラの夢の中に現れる夢魔。名前は、リィラの父親の本棚に並んでいた漫画のコミックス「カメレオン ジェイル」から。しかし必要がなかったため、最後まで名前はリィラに名乗らなかった。
リィラの心が生み出した、とても優しい悪魔。眠りの代償と引き換えにリィラにしばらくの間、休息と安寧を与えた。
リィラ自身の「いつまでも逃避するのではなく、私は現実に向き合いたい。強くなりたい。成長したい」という気持ちが生み出した存在。リィラはまだ心が未成熟なうえに男性に苦手意識をもっていたため、あえてジェイルは男としては接しなかった。というかリィラは男の人がよくわからなかったため、必死に自分の中で少ない情報をかき集め、自分を傷つけない優しいお兄さん像を作り上げたら、だいぶめちゃくちゃな性格の青年の姿になった。彼はリィラの中に潜む男性的な一面でもある。
「君が強く未熟な賢い子だから、私は不器用で頭の弱い駄々っ子なのさ。ああJ・R・Rトールキンの小説の続きを楽しみにしているよ。これからもたくさん本を読もう。漫画もね。本当はお父さんの持ってる本。読みたいんだろう?楽しくやりたいことをやるのが一番だ。決して、誰かが望んだ自分になんてならなくていいんだよ。
ーーー献身も自己犠牲も、ましてや人の目や思いに怯えて、楽になりたくて他人の意のままになるなんて、私はまっぴらだ。本当は君もずっとそう思っていたんだろう?少しずつ強くなろう。お互いにね」
心の奥底の闇の中に住むジェイルを呼び出すには、多くの代償が必要だ。もし今度出会うことがあれば、リィラは今度こそ本当に2度と目覚めることはないだろう。再会の約束はしなくていい。
だってそれほどにあの自分を優しくつつむ闇の中での眠りは、心地がよいものだった。リィラは己の本当の気持ちとの出会いと向き合いを経て、ようやく前を向いたのだった。
⚫︎この作品における悪魔について
この世に生を受けた人間には、必ず死が約束されている。
今回登場する悪魔(夢魔)は聖書に定義された一般的な悪魔ではなく、リィラが人間として元々持っていた「死」そのものの一部。人間の誰しもが持つ、その人生の終わりに人間を死の眠りに誘うもの。前を向いてみんなと仲良くして明るく人生を歩みなさい、という世間一般的の教えに反するため、彼は(リィラの中では)「悪魔」と定義されている。
外からその人間の身や命を貪り蝕む病魔ではなく、自分自分の暗闇から生まれたものなので、ジェイルは全体的にリィラに対して態度が甘い。だって同じ心に住む唯一無二にして同郷のものなのだから。見えなくても聞こえなくても、彼は必ずいつもそばにいる。
「たまには太陽に背を向けて、じっくり考えよう。一人で立ち止まることは、決して悪いことじゃないよ。元来、人間ってのはとても強いものなんだ。自分のことを本当に大事にできるなら、どれだけ欠点だらけでも君はまた歩き出せる。君が望むなら、絶対にね」
誰よりも優しい、頼りない貴方へ。
今後、2度と言葉をかわすことがないとしても、それでも大切なあなたへ。
おしまい。