今日の隠れんぼ・・・「筆者」
私事で恐縮だが、私は令和6年2月に東京図書出版から『心の資産』という本を出版した。この本は江戸時代後期の心学道話の一つである『鳩翁道話』という本を現代語訳し、18のテーマについて、現代人にも共通する生き方のヒントについて私の考えを述べた本である。私は出来上がった本を一冊記念として、母にも献呈した。母が夜、眠れない時など一人、部屋に明かりをつけて読んでくれている様子を私は何度か見かけて嬉しく思ったものだった。
ある日 私が二階で仕事をしていると、母が上がってきた。そしていつものように部屋の本棚の本をあれこれと触りながら、ふと『心の資産』の前で立ち止まった。そして本棚から取り出し、パラパラとページをめくりながらこう言った。
「あら、この本はまだ新しいね。あんた、この本読んだことある?」と、筆者である私にそう言ったのだ。
私は芸能人ではないので、ゴーストライターなどはおらず、正真正銘私が書いたのに私に対して真剣な顔をしてそう聞いたのである。どうやら母の頭の中では、私が筆者だということが隠れてしまっているらしい。私は少し寂しく思いながら「一応ね。でも、あまり面白くないかもよ」と謙遜を兼ねてそう答えた。
すると母はこう言った。「ほんまやね。難しいことばっかりやわ」
悪気は微塵もないストレートパンチが私に襲いかかってきた。私は椅子から転げ落ちそうになるのをかろうじてこらえていた。
「もっと面白い本があれば借りて行こうかな。何かない?」
次々とラッシュが私を襲う。私は完全にノックアウトし、「今、仕事中だから後にして…」 というのが精一杯だった。
母の頭の中では私と筆者は同一人物ではないようなのだった。
後で私が書いた本だよと教えてあげようと思った。
でもその頃には、自分がそう言ったこともすっかり忘れてしまっていることだろう。そしてまた同じことが繰り返されていくことに違いないのだ。