[2日目 - 午前] 遊び場 - 春休みの宿題をした ①
窓から差し込む朝日で、目が覚めた。何だか、とても心地の良い目覚めだ。
やはり布団の外は肌寒いが、今日は不思議とすっきりと目が覚めている。横に目をやると、ミライの布団は既に畳まれていた。昨日も僕が起きた時には既にミライは起きていた。早起きなのかな?
時計に目をやると、8時30分過ぎ。今日は10時にカイと待ち合わせの約束をしている。
家の中はしんとしている。音に意識すると、家の外から小鳥が囀っているのが聞こえてきた。気分が安らぐ。それとよく聞くとうっすらとテレビが流れる音がする。誰かが食卓にいるようだ。
……よし、このまま起きるか!
意を決して布団を抜け出して、立ち上がる。意識はハッキリとしている。布団をたたんで、着替えて、顔も洗いに行こう。
―――――――
台所に行くと、ミライが椅子に座ってテレビを見ていた。
「おはようございます、ミライ」
「お、ハル!おはよう!」
食卓には、サラダとハムエッグが載せられたお皿が2つあった。流しにもう1枚お皿はあって、多分お父さんが食べた後なのかな?
「今日のご飯は私が作ってみたよ。パン焼くからちょっと待ってね」
そう言ってミライがトースターに食パンを2枚入れる。
「わ、ありがとうございます」
「いいよ!早く目が覚めちゃって暇だったからね」
そう言えば家が静かだと思ったら、お父さんもおじいちゃんも居ない。
そう言えばおじいちゃんは、朝から隣町に行くって昨日言ってたっけ?
「聡さんなら、おじいちゃんの代わりに役場にお手伝いに行くっていって、丁度さっき出て行ったよ」
ミライが教えてくれる。
「あれ?ミライ、もしかしてご飯食べるの待っててくれた?」
「ははは、まぁね」
チーン!
トーストが焼きあがって、ミライと僕のお皿に1枚ずつ載せてもらえる。
「一緒に食べよ!いただきます。」
「うん、ありがとう。いただきます」
ハムエッグはもう冷めてしまっていた。でも卵の黄身が半熟で美味しい。
ミライを見るとハムエッグごとパンの上にのせている。真似しよう。
慎重に既に齧ってしまったハムエッグの黄身をこぼさない様、パンの上に乗せる。
もぐもぐ……
美味しい。
テレビが今日の天気を伝えている。
気温は昨日よりちょっと上がったくらい。天気は晴。今日も外出日和だ。
僕たちは無言で食事に集中する。静かな食卓に、パリパリと野菜やパンをかじる音がする。静かだ。でも、変な気マズさとかはない食卓だった。
「ごちそうさまでした」
ミライは僕よりも先に食べ終えて、その後すぐ僕も食べ終わる。
お皿を流しに持って行って、各々の皿を肩を並べて洗う。
その後はお互い思い思いにゆっくりと時間を過ごした。
時刻は9時30分になろうとしている。
「さ、ハル。そろそろ行こうか」
「そうだね」
約束の場所に向かおう。
客間に向かって、いつも通りの荷物を用意する。
ミライは昨日同様何も持っていくものが無いから、そのまま玄関に向かったようだ。……そもそも身の回りの品、何も持ってないんだもんな。記憶喪失とはいえ、財布くらいはポケットに入ってておかしくないと思うんだが……
(本当に記憶を失う直前、どういう状況だったんだろうな……)
そんなことも思いつつ、僕も荷物の準備が出来て玄関へ向かう。
「よし!ハル、忘れてないよね?」
「荷物は大丈夫だよ」
「じゃなくて、私の記憶!」
あぁ、記憶を取り戻すキッカケ探しか。
「今日こそは、何か思い出せると良いのだけど……」
「そうですね」
「……急がないとね」
異様に声のトーンが低い。
はっ、としてミライの顔を見る。不安げな表情をしていた。いつもの笑顔は欠片も無い。
急がないと、という言葉が、今までには感じたことの無い感情を宿していたように思えて、僕は一瞬ヒヤリとした。というか、得体の知れない恐怖に近い何かを感じた。あまりにも切羽詰まっている様な、そんな……
「さ、いこう!いってきます!」
いつの間にか、表情はいつも通りに戻っていた。
「……いってきます」
僕も誰もいない家に声をかけて、小道へと向かった。
(急がないと、か)
不安なのかな。焦っているのかな。
迷惑をかけたくないから?早く記憶を取り戻して、元の生活に戻りたいから?
ちょっとだけ、ミライがどんな気持ちなのか気になった。
「ねぇ、ミライ」
「何?ハル」
ミライの方を見ると、その表情からはやっぱり、不安さとか、何かに憂いているような様子は全く感じ取れなかった。それに、声をかけておいて、ミライに今どんな気持ち?って聞くのも変な気がした。
でも。
さっきミライが見せた表情を思い出す。異常に不安げな顔。
何もないのに、あんな表情はしないだろう。
やっぱり、ミライは何を隠していて、それを不安に思っている気がする。
それか、記憶喪失からずっと不安に思っていて、その気持ち自体を隠しているような気がした。
根拠はないけど。
そんなことを思ったら、自然とこんなことを言っていた。
「もし…… もし何か困ってることがあるなら、言ってね」
「へ!?」
ミライが目を見開く。
「あ、も、もし僕が手伝えることがあるなら、手伝うから……」
咄嗟に誤魔化すように、そんなことを言った。
なんか、恥ずかしくなってきた……
「……あはは。ありがとね!でも、今の所大丈夫だよ!」
ミライは、いつもの笑顔でそう言った。
やっぱり、いつも通りの元気さを感じる笑顔だ。
……まぁ、本人がそういうのならそうなのだろう。仮に隠し事があったとして、僕は他人の心を読めるわけじゃないのだから。ミライの言うことを信じるしかない。
「さ、行こ!」
ミライが先導して、僕たちは小道を下りだした。
昨日と同じ、他愛もない会話をしながら道を降りていく。
そうしていたら、さっき感じた思いも楽しい気分で上書きされて、頭から霧散していく。
青い空に浮かぶ太陽は、木々を縫うように道を照らしていた。
昨日みたいに、きっと楽しくなる1日の幕開けだ。
―――――――
約束した集合場所、バス停に向かうと、その待合室には既に千夏が座っていた。
「ハル、ミライ。おはようございます」
「千夏、おはよう!」
「おはようございます!」
千夏は僕たちを見ると、すぐにペコリとお辞儀をして挨拶してくれた。
「時間通りですね」
待合室に掛かった丸時計を見て、千夏はそういう。
丁度10時1分前くらいの時間だった。
僕たちは待合室に座ってあともう1人が来るのを待つ。何もしゃべらず待っていると、直接川は見えないが道を超えて向こう側から川が流れる音が仄かに聞こえてきた。待合室の入り口の上部に少しだけ見えている枝垂桜の枝に芽生える、小さな新緑が目に入った。葉を落とした木々も、新しい季節に向けて色づき始める季節なのだろう。
「昨日、カイが電話してきて、お二人が今日も来てくれるって教えてくれましたよ」
千夏がそう話し始めた。確かに、僕たちが約束した時は千夏と別れた後だったっけ。
「カイ、めちゃくちゃ嬉しそうでしたよ。音割れするようなテンションで電話してきましたから」
千夏が苦笑い。カイが受話器に叫んでいるのが容易に想像できる。
「私たちは大体、2人で遊んでましたからね」
「そうだぞ、俺と千夏でずっと遊んでたからな。3人以上で遊ぶのなんて久々だ」
入り口を見ると、腕を組んだカイが仁王立ちしていた。
時刻は10時15分である。
「……遅いですよ!」
千夏が立ち上がって、カイにチョップ!
「……すんません」
僕たちは立ち上がって、4人バス停の前で輪になった。
「取りあえず遊び場行くか」
何も決めてない日は、大体遊び場に行くらしい。バス停から遊び場は徒歩数分だ。4人で横並びで道を歩いて行った。
―――――――
「カイ、千夏、今日は何かする予定はあるの?」
遊び場に来て、カイは千夏に言われるがまま、宿題のテキストを開いて取り組んでいた。カイは著しく嫌がったが、千夏が絶対に譲らぬ、という姿勢を貫くので、カイの方が折れてしまった。これから1時間は宿題に取り組めという千夏の命令である。何となく千夏とカイ、2人の関係のヒエラルキーが見える光景である。うむ、仲睦まじいペアであることだ。
「なにもないぞ!遊ぶだけだな!」
カイがテキストをぱたんと閉じる。閉じる直前に、元々開いていたページに千夏がシャーペンを差し込む。
「宿題をしたあとは、ですが!」
千夏がシャーペンを引き上げて、テキストを開きなおす。そのままの流れで頭をシャーペンでペシリ。
「へいへい……」
「お二人ともすいません。でもこうしないとこいつ、春休みの終わりに泣きついて来るんで……」
「あはは、いいよいいよ。勉強は大切だもんね」
ミライは笑って、1人掛けのソファに背中を預けている。
想像する。宿題を1ページも進めていないカイ。明日から学校。千夏の家のインターホンを押して、宿題を写させてくれ~~と泣きつくカイ。強烈な光景。
「カイ、頑張って」
僕はそう声をかけた。
「くっそう……」
カイが頭を掻きむしりながら宿題を進める。
その様子を見ていて、気が付いたことがあった。
カイの方が、宿題を進めるのが早い。数学のテキストを手を止めることなく進めている。
カイって、もしかして結構頭が良いのか……?
逆に千夏は、なかなか証明問題を解けず、頭を捻っている。でも、分からない所は教科書を開いたり、どうしても計算が合わない所は電卓を使って検算したり。何とか1つ1つ手を進めているようだ。
後、気が付いたことがもう1つ。カイはこれまで全然宿題を進めていない。テキスト2ページ目から解き始めている。多分テキストは20ページ分ほどがホッチキスで止められている。千夏はもう半分以上は終わったようだ。ちゃんと日々積み重ねて宿題を進めてきたのだろう。
……千夏が宿題をさせようとする意味が、よーくわかった。
「そういや、ミライはともかく、ハルは宿題とか無いのか?」
「僕?僕の学校は春休みには宿題は出ないよ」
「でも、ここに住むってことは俺らと同じ高校に転校するんだろ?」
「え、転校しないよ?」
「え?」
カイが、テキストに向き合っていた顔を、ギギギギと軋んだ音が鳴りそうなほどゆっくり僕の方に向けた。
そしてその後一言。
「え?」
繰り返した。
昨日も思ったけど、カイは僕が引っ越してきたと勘違いしてる気がするから、その誤解は解いておかないと。
「僕は、引っ越してきたわけじゃないよ。春休みが終わったら、家に帰らないと」
「い、家って、あそこの山守家じゃないの……か?」
「うん。山守家ではあるけど、僕が元々住んでる都心部の方の家」
「え、あ、あ……」
カイの顔が歪む。
「うわあああああああん」
カイが僕に飛びついて、抱き着いてきた。
涙を流して、それを僕のお腹あたりの服で拭っている。
「俺、俺、ついにつるめる男のどうきゅうせいがでぎだとおもっだのにぃぃい」
うわ~~~ん、とガチ泣きである。
「私も勘違いしてました。ハルって、今一時的にここに滞在してるだけなんですね」
「僕は……色々あって水ヶ谷村にお邪魔させてもらってるだけなので……」
「カイが、色々妄想して、休みあけたら学校でこんなことする~とか、夏はこんなことしたい~とか、電話で言い出すから、てっきり引っ越してきたのかと」
「あぁ、そういうことですか……」
カイが、1人で勘違いして、千夏はそれに釣られたというわけだ。
ミライの方を見ると、なんか顔を真っ赤にして横を向いている。アレは……笑いをこらえてるな。
まぁ、傍から見たら、男が男に泣きついてる光景だから、かなりシュールな気がする。
ずび。
カイがついに僕から離れる。
「ぐすっ、でもしゃーないか……」
すごすごと、テキストの前に戻る。僕の服の前側はカイの涙と鼻水でグシャグシャだ。後で水で洗おう……
ちーん、とカイがティッシュで鼻を噛んで、ゴミ箱に投げ入れる。
「ま、そういう事ならしゃーない。また遊びに来てくれるように、ハルに楽しい思い出を作ってもらわないとな!」
おぉ、切り替えが早い。
「まぁ、そうですね。折角私たちの村に来てくれたんです。楽しんでもらわないと」
千夏もそういう。
「でも、それも宿題の後ですよ。はい、手を進める!」
友情も、遊びも、思い出作りも、宿題と千夏の前には無力だった。
僕とミライは、一緒に僕の服を洗った後、外に出て河原を散歩したりしていた。川辺は枯れた草木がまばらに積み重なり、透明な水が太陽の光を反射しながら一直線に流れていた。
その後は、2人で部屋に置いてあったマンガを読んで過ごす。
1時間という時間は案外長く感じる。
カリカリカリ……
シャーペンが紙の上を流れる。
何ともまったりとした時間が過ぎていた