[ミライ] 遥か、遠くから ③
「未来ちゃん!未来ちゃん!!」
部屋におばあちゃんが飛び込んできた。
駆け寄ってきて、私の手を取る。
「良かった、良かった!何も言わずにいなくなるなんて、私、本当に心配したんだから!」
おばあちゃんは泣いていた。
何がおばあちゃんを泣かせてしまったのかわからずに、私は戸惑う。
「未来さん。1週間なにしてたのですか!」
看護師さんが腰に手を当てて、怒ったように言う。
「未来さんが急にいなくなるから、しばらく病院中大騒ぎだったんですよ!」
話に聞くと、私は1週間前、誰にも何も断らずに、この病院からいなくなったらしい。
……あれ?私、この1週間何してたんだっけ?
「すいませんでした」
私は頭を掻きながら、取りあえず謝っておく。
「いいのよ、いいのよ。未来ちゃんが無事で、本当に良かった」
おばあちゃんが、私の手を撫でながら言う。
どうやら相当な心配をかけてしまったようだ。
「ま、後でお話は伺いますね。私は失礼します」
看護師のお姉さんは、部屋を去って行った。
軽く会釈だけしておく。
「未来ちゃん、この1週間、どうだったの?」
おばあちゃんは椅子に座って、私に問いかける。
「……覚えてない」
「え?」
「1週間、何してたか思い出せない……かも」
「……未来ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「うん、多分大丈夫」
「そう」
おばあちゃんは少し、考えるような素振りを見せた。
「ま、少しゆっくりしたらいいわ。また夕方、ここに来るからね」
そう言って、おばあちゃんも部屋を去って行った。
私は一人、部屋に残される。
私は今の状況を振り返った。
1週間、私は行方不明となっていたらしい。でも、おばあちゃんの計らいで、この病室は残したままにしてくれていたと言う。私の戻ってくる場所を残しておくためだったそうだ。
では、この1週間私は何をしていたのか。
それが、全然思い出せない。何か、頭の中に思い出せそうな事がある気はするのだけど。取っ掛かりが無いというか、そんな調子で記憶を引っ張り出すことが出来ない。
色々と意味が分からない。
ぼーっとする頭の中、私は苛立ちを感じた。
どうなってるんだ。何故、自分のことを自分が理解していない?
頭の中をかき回す。
意識を張り巡らせても、あるべきその記憶は空っぽのままだ。
虚しさすら感じ始める。
のどが渇いた。
ペットボトルのお茶を取りに行こうとした。
痛む足を動かして、ベットから立ち上がる。
かさっ
何かが私のポケットから零れ落ちた。
私には、見覚えのないものばかりだ。
覚えのないそれに手を伸ばして、私は拾い上げた。
2つの物が、そこにはあった。
三つ折りにされた、古ぼけた紙。
そして、ミライ、と私の筆跡で表にかかれた日記帳だった。
「……」
何かが、頭の中で疼いた。
どうしても、忘れたくない、とても大事なものがそこにはある気がした。
知りたい。
知らないといけない。
久しく感じなかった、自らの欲に驚きつつも、それを抑えることはできない。
手を伸ばさなくては。
私は大切な記憶を忘れてしまっている。
だけど、この2つの物が、それを思い出させてくれる。
不思議と、そんな確信があった。
一度、深呼吸をする。
私はベットの縁に座って、1つずつ、それを手に取った。
始めに三つ折りにされた、古ぼけた紙を手に取った。
大切な物だと思った。理由はないけど、直感的に。
だから私は、慎重に、丁寧にその紙を開いた。
知らない場所の地図が、手書きで書かれていた。
……いや。知らない場所じゃない。
私はこの場所を知っている。知っているけど、どこだ、ここは。
何かが思い出せそうだ。
思考を巡らせる。最近、こんなに頭を動かした覚えはない。だけど、何故か頭はスムーズに物事を考えられる。
考えるだけではわからない。だから、食い入るように地図を眺めた。
どこかにヒントは無いか、どこかに手掛かりは無いか。
私が感じている、この疼きを、解き明かしてくれるヒントはどこにある。
改めて地図を俯瞰した。
よく見ると、地図はある1点へ導くように、道が示されている様だった。
特定の道路が矢印で示されて、しめ縄のある石、点々が左右に付いた道を通って、最終的に神社へと導かれている。
……神社?
自分の思考を疑った。
私は、地図に示されたこの場所のことを「神社」であると確信している。
でも、地図には神社であることを示すような目印はついていない。
なぜ、何故神社であると思えたのか。
もう1つ思い出したことがある。
私は、この地図を辿っていたはずだ。
この地図の神社の場所にたどり着くために、誰かと一緒に、何かをした。
そんな予感は、私の中で確信に変わっていく。
モノクロの頭の中に、何か色鮮やかな輝きを感じる。
あともう少しで、そこに手が届きそうだ。
そこに何がある、どんな記憶がそこにあるんだろう。
首が疲れて、ふと目の前の窓からの景色を望む。
太陽の光は、未だ部屋に差し込んでいる。
窓の外には、町が広がり、その先に海が広がっていて、淡く水色に輝いていた。
この部屋からの景色って、こんなに色鮮やかだったっけ。
何十日も過ごしてきたこの部屋からの景色に、私は見とれていた。
何気なく、地図の裏側を見た。
何も書かれていないと思ったそこに、掠れた文字が書かれている。
目を凝らして読んでみた。
――みらい地図
そう書かれていた。
「みらいちず」
口に出して読み上げる。
誰かの声が聞こえた。
突然のことに驚いて、耳を澄ませる。
小鳥が囀って、子供たちが遊んでいる元気な声が聞こえてきた。
もう一回。
「みらい地図」
頭が疼く。
手が届きそうだ。
誰かがそこにいる。
「みんな……」
私は誰かを呼んだ。でも、この部屋には独りだ。
私は誰を呼んでいるのか?
ある名前が浮かんだ。
「……ハル?」
ハル。誰かの名前。
大切な人の名前だ。
「カイ、チナツ」
もう2人。
友達の名前。
「みずがたに」
地図は、水ヶ谷、という場所の地図だったはずだ。
1枚の地図の名前を声に出した。
3人の人の名前を思い出した。
地図の示す場所を思い出した。
そして、それらが繋がるように、連鎖するように。
頭の中で、いくつかの光景を思い出す。
連なった記憶は、瞬間、はじける様に私の目の前に形を取り戻した。
空虚だった空間に、色鮮やかな記憶が広がる。
霧は晴れ渡っている。私は、久しぶりに感じる色彩に、思わず息をのんだ。
友達と遊んだことを思い出した。
水ヶ谷村、という場所のことを思い出した。
私は、この場所で、とても大切な思い出を沢山残してきたことを思い出した。
日記だ。
私は、この思い出を忘れてしまったときの為に、日記をつけていたはずだ。
誰か……いや、田中さんに貰った日記だ。
そこに、もしも思い出を失ってしまったときに、いつでも確認できるように、丁寧に記憶を書き出していたはずだ。
私は、日記を手に取った。
私の筆跡で書かれた「ミライ」という文字が、表紙に書かれている。
今では、もう思い出せる。
この日記は、きっと、私の大切な思い出を補完してくれる。
大切な思い出を、私のものにしてくれる。
何故か、少し怖かった。
この日記を開いたら、私は変わってしまう気がする。
思い直す。
……いや、こんな私、変わってしまいたい。
ずっとこの場所で過ごしている自分なんか、変えてしまえば良い。
私は、日記の1ページ目を開いた。
その日記は、私が記憶喪失であったことの記録から始まっていた。




