[プロローグ] 山守家 - 記憶喪失の少女がやってきた ②
今日の夜ご飯は、サバの味噌煮に小鉢が幾つか、お味噌汁に、ご飯というラインナップ。
「はっは!中々良く仕上がってるじゃろ!」
「はい!この鯖、めちゃおいしいです!」
少女が料理を褒めるので、おじいちゃんは普段より上機嫌だ。
「いいぞいいぞ、わしのも分けてやるから沢山食べな!」
おじいちゃんが、自分の皿のサバを半分分け与えている。
「わーい!」
少女は、何の遠慮もなくそれを箸で切り分けて口に運ぶ。
「わはは、良い食べっぷりだの」
おじいちゃんは、にっこにこである。
「ははは」
父さんも、おじいちゃんと少女がワイワイと騒ぐ食卓を見て、なんだか楽しそうである。
僕もこういう賑やかな食卓は嫌いじゃなかった。普段よりも食事の場がより楽しく思える。
「そういえばお嬢さん、本当に自分の名前を覚えてないのかの?何か少しでも思い出せることはないかのう」
おじいちゃんが味噌汁をズッと飲みながら、少女に尋ねた。
「うーん……」
少女は手に持った茶碗をコトリ、と机に置いてから悩む。
「名前は……思い出せません。何か、手掛かりがあれば、そこから思い出せそうなものですが……」
少女は腕を組む。
「でも名前がわからないと、私の事を呼ぶのにも不便ですよね……」
腕を組んだ少女がさらに頭を悩ませる。
「むむむ」
天井を仰ぐ。
……
「あ!」
ポン、と手を打つ。
「そういえば、これが自分の名前かはわからないのですけど……」
そう前置いて、少女はこういった。
「ミライ……っていう名前に覚えがあります」
「ふむ。」
「おや?」
名前を名乗った時、おじいちゃんとお父さんが同時に反応した。
「もしかしたら、私の親友の名前か、親の名前とか、そういうものかもしれません」
少女は自信なさげである。
「でも、一旦の所は!」
でもすぐに、自信ありげに胸をポンと叩いてこういった。
「私の事をミライ、と呼んでもらっても良いかもです!」
「はっはっは!奇遇な名前じゃな!」
なぜか、おじいちゃんが愉快そうである。
「お父さん、その名前に何かあるの?」
「あぁ。晴のおじいちゃんの初恋の人の名前と同じだな。ははは」
「これ、余計なことを晴に教えんでよい!」
おじいちゃんが珍しくお父さんを叱りつけると、ずずっと湯呑からお茶をすすって一息。
「まぁ、取りあえずはお嬢さんの事をみらい、と呼ぶで良いかの?」
「はい、何か思い出すまでは、ミライ、とお呼びください!」
もう一度ポン!と胸を叩いて、少女はそう宣言した。
「今のところは、私の名前はミライです!」
―――――――
夜ご飯を済ませて、お風呂に入って、客間に布団をひいていた。
祖父と父は個室があるが、僕と少女…じゃなくてミライは客人であるから、1つしかない客間を分けて使う事になった。僕も16歳、年頃の男としては、似たような年の女性と同じ部屋で寝るというのは、ちょっとだけ緊張するものである。
「ミライさん、布団そっちに持っていきますね」
そこそこ重量のある敷布団をミライのいる角の方へ持っていこうとする。
「あら、ハル君、大丈夫だよ」
そういうと、敷布団の上に掛け布団と枕を載せて、纏め上げて
「よっこらせい」
丸ごと抱え上げて持ち上げた。
「あぁ、重いですよ!大丈夫ですか?あぁ……」
「大丈夫大丈夫!」
ほいほい、と軽々と布団を持っていく。
(力持ちだ。もしかしてこの見た目で、パワータイプなのか……?)
そして、部屋の僕と対角線上の角まで布団を持ってきた後、
「うーん」
僕の方を振り返って部屋の真ん中の方へ戻ってきた。
「遠くない?」
「?」
「いやさ、折角一緒の部屋で寝るんだし、もうちょっと部屋の真ん中でドカっと寝ようよ」
そう言って、部屋の真ん中から少し話したところに布団をドカッと敷いた。
「ほら、そっちそっち!」
ミライの布団から少し離れたところを指さして、手招きする。
「えっ……えぇっ!?」
「隅でお互い寝るよりは横並びで寝たほうがいいじゃない?」
「み、ミライさん……!?」
「なによ、嫌?初対面の人とは緊張しちゃう?」
むすーっとした顔のミライが仁王立ち。
そういうのじゃない。ちょっと気まずくて顔をそらす。
「あ、それとも何?テレてる?」
ミライの顔を見ていないのに、表情がイヤなニヤケ面モードに移行したのが声色からわかる。
「あ、当たり前だよ!!初対面の女性と、横並びで寝るなんてっ……!」
(まったく、カイといいミライといい、この村での人同士の距離感はどうなっとるんだ……!)
「あははは!」
ミライが愉快そうに笑う。
「まぁさ、無理にとは言わないけど……さ」
パフ、と布団に座って言う。
「いま私、孤独で結構寂しいのよ?」
「……」
「こんな調子だけど、今までの自分の事、な~んにも思い出せないんだもん」
僕も隅にひいた布団に座って、恐る恐るミライの方を振り返る。
「だからさ、ちょっとでも一緒に話せる人がいると心強いなぁって……」
(……くそう)
なんか、恥ずかしいとか恥ずかしくないとか、そういうのがどうでも良くなってきた。
「わかったよ……」
そんな言い方をされたら、断れるわけがない。
ズリズリと布団を引きずって、部屋の真ん中、ミライの布団から少し離した場所に布団を引き直す。
「よし!」
ミライはグーサインを出して僕に言う。
「へへへ、ちょろいもんだ」
「……」
「あ、心の声がでちった」
僕は無言で、布団を隅に引きずりはずめる。
「わーーー!わー!待って!ごめん!」
ミライが布団を引っ張る。
「間違えて口に出ちゃったの!ごめんってば!!」
(謝るのはそこじゃないだろうが!!)
敷布団が両サイドから引っ張られてミシミシと音を立てる。
僕が全力で引っ張っても、ミライの側に徐々に布団が引っ張られる。
(ばかなっ……!)
全力で引いているのに、負けるだと…!
というか、それ以前にこのままだと敷布団が真っ二つになってしまう。
客間には2つしか布団が無い。もう予備は無いのだ。
自分の寝床を失うことと、ミライの横で寝る事の2つを天秤にかける。
……やむをえまい。
抵抗をやめて、部屋の真ん中に布団が設置されるのを見守る。
「へへへ、分かればいいのだよ」
くそう、僕の平穏な水ヶ谷村での生活が…
「ま、何かの縁だしさ。多分この家にお世話になるのも今日だけなんだし、少しくらい一緒にお話ししようよ」
「……わかったよ」
まぁ、別にお話しするのが嫌というわけではない。
ちょっとだけ、同い年くらいの異性の隣で寝るというのが、恥ずかしいだけだ。
「なかよし、なかよし!」
―――――――
2人とも布団の上にごろーんと寝っ転がって寛ぐ。
ミライはおじいちゃんが蔵から出してきたパジャマを借りていた。ちょっと古臭いデザインだが、お姉さんっぽいデザインでミライによく似合っている。
ミライの事が気になって、視線をチラチラ送りながらも、他愛もない話をして夜を過ごす。まるで姉弟で、同じ部屋でゴロゴロと駄弁っているみたいな気分になってくる。一度布団に入ってしまえば、恥ずかしいとか、照れみたいな気持ちも失せてしまった。
こうなれば、なかなか楽しいものである。少なくとも昨日、1人で客間で寝ていた時よりは楽しい。
「ハル君ってさー」
ミライが話を切り出す。
「明日暇?」
「……まぁ、予定は何もないよ」
何も用事が無ければ、庭で本の続きを読もうと思っていた。村で何かをするつもりもなかったから、暇をしない様に小説のシリーズを数巻買ってきていたのだ。これを読み終えるまでは、しばらく暇はしないはずだった。
「私もさ、絶賛記憶喪失中で予定も全消失。暇なのよね」
「うん」
「でさ、」
ゴロゴロ体制から、ガバッと布団の上に座りなおして、
「明日、私の記憶を取り戻す手伝いをしてよ!」
「……えぇ?」
手伝いって……
「叩いて治す、とか?」
「ちっがーーーーーう!」
布団の上でミライが横滑りにズッコケる。器用な奴め。
「記憶を取り戻すキッカケ探し!」
ミライが自分の頭を指さす。
「例えばさ、村の案内とか、ここまで連れてきてくれた少年少女に会いに行くとか!」
「うーん」
「そしたらさ、何か思い出すかもなぁって」
暇つぶしにそういうのも良いかもしれない、が50%。
面倒だなぁ、が50%。
「やっぱり嫌?何か予定があったりする……?」
「予定は無いよ。どうせ何もすることないし……」
「ならいいじゃない!暇なんでしょ!」
「む」
暇人扱いされたのが、心に引っかかった。
面倒だなぁ、ゲージが80%まで伸びた。
「ほら、どうせ暇なんだから、記憶取り戻すのを手伝ってよ!」
少女が僕に向かって手を伸ばす。
その声、その行動は、明るくて、元気いっぱいだった。
違和感。
そのひたむきな元気さ加減に、僕は少し違和感を感じた。
(こいつ、記憶喪失なんだよな……?)
そもそも、このミライという人は、記憶喪失だというのに、なんでこんな元気なんだ。
記憶を失ったなんて状況なら、普通数日は錯乱していてもおかしくないのではないか?
僕が、もし同じ様な状況ならどうだ?
自分の名前から身の上まで覚えて無くて、目が覚めたら良く知らない村に一人ぼっち。
(滅茶苦茶不安だろうなぁ……)
ならミライはなぜ、こんなにも元気に前向きに居られるんだ?
何か、彼女を突き動かすような秘密があるのか?
実は記憶喪失というのは嘘で、何か目的があってこんなことをしてるとか?
ミライが僕を誘って手を伸ばしている。
その顔を見ると何の違和感もない笑顔、隠し事があるようには僕には思えない。
そしてこれまでの、僕が聞く限り、他意の無さそうな言葉の数々。
なんだか気になってきた。彼女の状況と、この元気さの矛盾。
明日、一緒に行動すれば、少しは何か知れるだろうか?
「わかったよ」
僕は差し出された手を取る。
「よ~し、約束!」
握手。
「じゃ、明日はよろしくね!」
おやすみー、と言ってミライはさっさと布団に包まってしまった。
ミライが記憶を取り戻すためのお手伝い。どちらにしても暇を持て余しそうだったこの数日間だ。人助けにもなって、暇も潰せる。有意義な時間は過ごせそうな気がした。
僕も布団をかぶって、目を閉じる。
……
「ミライさん、おやすみなさい」
「……うん、おやすみ」
まぁ、こんな日も悪くないのかも。