[プロローグ] 山守家 - 記憶喪失の少女がやってきた ①
家の縁側から少し離れた1本の木の下に、良い感じに真ん中のくぼんだ石が1つあった。その家は木々に囲まれた山間にぽつんと建っていて、特徴的な瓦屋根が異様に存在感を放っている。そんな中々に風情ある家の庭で1人、僕は石に寝転がりながら孤独に本を読んでいた。
村の中心部からは少し離れているからか、ここからは良く森の動物たちの声が聞こえた。小鳥のさえずりが仄かに漂い、時にはキィーーという小動物の鳴き声がこだまする。辺りを見渡せば、山の斜面は薄暗い緑が覆っていて、家の近くは、冬らしく葉を落とし切った赤茶けた木々が、不規則に生い茂っている。季節柄、見てくれはイマイチだが、どうであれ何とも辺り一面の自然パラダイスである。
都心部でずっと生活してきた僕には、こんなにも自然豊かな場所にひとりぼっち、というのがなんだか新鮮だった。
(嫌々この村にやってきたけど、こういうのも悪くないな……)
村に来てまだ1日しかたっていない中、僕はそう思い始めていた。
―――――――
自分で言うのもなんだけど、今の僕は心が荒み切っている。
2か月前、よくつるんでいた友達と喧嘩して、友達を失った。
それに加えて、幼い時から仲が良くて、唯一心からの悩みを打ち明けられるような親友を、失ってしまった。
別に彼らが死んだわけではない。ただ疎遠に、赤の他人となってしまったのである。
最悪なのは、
こうなってしまったのが、
全部自分のせいである事だ。
後悔してもし切れない。もう取り返しがつかない。
その時のことを思い出すだけで、自己嫌悪で吐き気がしてくる。
僕の過ちは、たちまち学校中で噂となった。
僕の居場所は、この学校からは無くなってしまった。
―――――――
そんな僕に気を利かせてか、父はこの村「水ヶ谷村」でのしばらくの滞在を勧めてくれた。
普段から父は、祖父の住むこの村に何日か出かけることがあった。
親友を失って、友達も失って、最近は高校にも登校せず、迎えた春休み。
何もすることが無い僕は、特に断る理由もなく、水ヶ谷村に連れられてきたわけである。
そして迎えた水ヶ谷村での初日を、優雅に庭での読書で過ごしているのであった。
中々に居心地がいい。
静かな木陰の下、石に寝そべって、1人本を読む。
何よりこの石が丁度良い。
凹んだところにお尻を合わせて、そのままゴロリと寝ころべば、下手なリクライニングチェア顔負けのフィット感。
この石を商品化したら売れるんじゃないだろうか?商品名はそうだな……
「これが本物の、ロッキングチェア……」
……違うか。
しょうもない冗談を言えるくらいには、僕も気分転換ができているのかも?
―――――――
日が暮れ始めて、辺りがほんのりピンク色に染まってきた頃、玄関口のほうの石畳をバタバタと誰かが走っている音が聞こえた。
この祖父の家には、祖父と父と僕しか住んでいないはずだから、きっと来客だろう。
本から目をそらして、玄関の方に目をやると、そこには僕と同じくらいの年の少年と少女が立っていた。呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないから困っている様子である。
(おじいちゃんは村の寄り合いに行ってるけど、お父さんが家にいるはずなんだけどな)
そう思っていると、辺りをキョロキョロと見渡していた少年と目があってしまった。
(げ。)
なんか、面倒な出会いを予感した。
ああゆう、見た目からして陽キャっぽい奴には、僕は振り回されるタイプだと自覚している。
案の定、その少年は助かった!と言わんばかりに、顔を輝かせて、少女に一言声をかけると、僕の方に向かってくる。
庭の石畳で整えられた道など気にせずに、ジャリジャリと小石を踏みしめながら一直線に駆け寄ってきた。
「おっす、こんにちは!!」
「こ、こんにちは……?」
すこぶる元気な挨拶を掛けられ、思わず僕も挨拶を返してしまう。
その少年の次の言葉を待っていると、急に怪訝な顔をして、僕の顔を舐めますように見てくる。
「ん~?」
じろりじろり、べろりべろり、と音が聞こえそうなくらい様々な角度から僕の顔を見てくる。
(なんなんだ、コイツは……!)
どう反応して良いのか困っていると、
「お前、この辺りで見たことないけど、誰?」
あぁ、なるほど。
この村では僕は新顔だ。
傍から見たら、どこの誰とも知らないやつが人様の家でくつろいでいるのだ。
僕が不審者と思われても、おかしくないかもしれない。
「はじめまして、僕は山守 晴と言います。この家に住む祖父、実の孫です」
僕は石から立ち上がりながら、少年に自己紹介をした。
「おぉ!山守 晴……ハルな!俺は大部 快、快調の快でカイね!」
どうやら僕の自己紹介で、少年の警戒は解けたらしい。
元気に僕の横にやってきて、腕を肩に回してくる。
「で、あんた何歳よ!」
「じ、16歳です……」
「うおぉぉぉお!同い年かよ!!」
べしべし、背中を叩かれる。
(距離の詰めかたが凄い……)
「いやぁ、同い年くらいの友達が増えるのは嬉しいねぇ、これから楽しくなるねえ!」
既に友達認定までしてもらったようである。
友達を失った中、こんな僻地の村で新しい友達ができるとは思ってもいなかった。
「えっと…… 大部……さん?」
「どうしたハル?カイでいいぞ!」
「じゃぁ、カイさん。この家に何かご用件が……?」
あ、と口に出してカイは玄関口で待っている少女に目をやった。
「実は、あいつのことで山守のじいさんに相談に来たんだけど……」
「相談?」
「うん、なんかあいつ、記憶喪失らしいんだ」
うわ、僕以上に不審者属性を持った人がでてきた……
「で、こういう困ったことがあった時は山守のじいさんに相談するのが一番だから、連れてきた」
おじいちゃんって、村でそういう立ち位置の人だったんだ。
「はぁ…… でもおじいちゃんは、昼過ぎから寄り合いに行って帰ってきてないですよ」
「うーん」
もう少し待つかなぁ……、と呟いて、カイは困り顔になってしまった。
そうだ、お父さんに相談しよう。
「カイさん、ちょっと待っててください。お父さんを呼んできますね」
「お!さとるおじさんも来てるのか!」
どうやら父の事も知っているらしい。
僕はロッキングチェア(石製)に置いていた本を抱えて、裏の蔵を目指す。
多分父さんは、蔵の整理をしているはずだ。
玄関口を通って、家の反対側に向かう。
その時、玄関口で待っている少女の顔をちらりと見た。
身長は僕と同じくらいだが、顔立ちはなんだか大人びた印象。綺麗な黒髪のロングヘアに、紅一点のヘアピンが前髪に留められていた。表情は記憶喪失だというのに、全然不安げな雰囲気は感じない。少女は通り過ぎる僕を見て、ニッと笑って手を振ってくれた。僕は軽く会釈だけして、横を通り過ぎた。
(なかなかに美人な人だった。高校とかじゃモテるんだろうな)
そんな下らない事を考えながら、蔵にたどり着いた。
この蔵には窓が無く、その建物の側面に付いているのは、鉄製の頑丈そうな扉と、エアコンの室外機のような換気扇だけという、異様な見た目の建物である。おじいちゃんはこれを「蔵」と呼んでいて、まぁ、白塗りの壁と、上に三角の瓦屋根が載っている見た目から、日本古来から伝わる「蔵」というものに似ていると言えば似ている。しかし僕としては、白塗りの巨大な金庫に三角屋根をトッピングしたような、歪な見た目のこの建築物を、「蔵」と形容して良いのか些か疑問である。
「父さんー!」
ドアの閉められた蔵の外から声をかける。
蔵から出した本が幾つか外に積まれているから、中に父さんがいるのはほぼ確実である。
声をかけても反応が無いので、蔵の中に入ることにした。
「あけるよ~っと」
鉄製のドアノブを引いて、蔵の扉を開いた。想像の3倍くらい分厚い扉が、キィと少しだけ音をたてながらも、スムーズに開く。
「ん?」
予想通り父は蔵の中で一人モノを整理していて、扉が開いたのに気が付いて振り返った。
「お、晴か。どうした?」
「父さん、家にお客さんが来てるよ」
「あぁ、そうか」
そういいながら、首に掛けたタオルで額の汗を拭って、立ち上がる。
「全然気が付かなかった」
父が呼び鈴に気づかないのも無理はない。この蔵は、頑丈に分厚い壁で作られていた。蔵の中では外の音が全然聞こえないのである。
父さんが、蔵を出て玄関先に向かっていくのを見送る。
僕は一息ついて、蔵の中を見渡してみた。
蔵の中には頑丈そうな棚が壁沿いに並んでいて、そこには様々な物が置かれていた。非常食に始まり、人の名前が書かれた段ボール、背の低い本棚に古そうな本がズラリ。額縁に入った表彰状や、頑丈そうな棒に巻き付けられた旗などなど。
多分大事な物をここに保管しているのだろう。それで、泥棒とかが簡単に盗めない様にこれだけ頑丈に作ってあるのかな?
(こんな僻地な村で泥棒なんて出るのかなぁ……)
いや、逆に僻地だからこそ、人の目を搔い潜って悪い事をしやすいのかもしれない。用心するに越したことはないのかも。
そんなことを考えて、僕も父の後を追った。
―――――――
「で、聡も扱いに困ってわしの帰りを待っておったと……」
僕の祖父、実おじいちゃんに父さんが詰められている。
結局あの後、父もカイから少女の事について聞いて、取り合えず少女を家に上げて、カイの方は暗くなってきたからと家に帰したそうだ。
その後父が少女から色々聞いてみるも、
少女はなぜこの村に居るのかの記憶が無くて、名前すら思い出せない事。
この村に見覚えはあるが、知り合いがいるかは思い出せない事。
体調は快調で、頭を打ったとかそういう感覚はない事。
要するに、少女が誰であるか、どうしてこうなったかを探る手掛かりが何もないというわけだ。
で、どうしようもなくなって、おじいちゃんの帰りを待つことにした訳である。
おじいちゃんは、はぁ、と一息。
「ま、もう夜も遅いし、今日はお嬢さんはこの家に泊まっていきなさい。よいな?」
「ありがとうございます!助かります!」
少女はこれまた元気に頭を下げて返事する。そう、彼女はいたって元気なのである。どう見ても記憶喪失というようには見えない。ただ、何か隠しているとか嘘をついているとか、そういった感じもしないのである。
「明日、朝早くに役場で寄り合いがあるでの。そこで色々話してくるで、しばらくはこの家でゆっくりしてなさい」
そう言った後、天井を見上げて、むぅ、と一息。
よし、ご飯にするかの、と言って、おじいちゃんは席を立って台所へ向かう。
「手伝います!」
少女がそういって席を立つ。僕も手伝いをするために、少女の後を追って台所へ向かった。