1.乙女ゲームが始まる前のお話
とにかく筋肉が好きなヒロインです。頭空っぽでお読みください。
これってもしかして、姉ちゃんがはまりまくって、面白いからと嫌がる私を無理やり横に座らせて、延々とプレイしてた乙女ゲームの世界じゃない?
そう思ったのは、金属製の鎧を身に纏った、でも鎧越しでも分かる私好みのマッチョな肉体を持つ男の人が私に手を差しのべてくれているのが、そのゲームの初めのシーンと酷似していたからだ。
題名はキッラキラな感じで興味がなかったから忘れちゃったけど、確かそのゲームのヒロインは、交通事故に巻き込まれた衝撃で異世界に転移。
そして異世界から人間が転移してくるのはまれにあるらしく、大抵その転移者は不思議な力を持っていて、そのヒロインも例に漏れず、治癒と浄化の力を持っていた。
で、そういった転移者の女性はこの国では聖女と呼ばれ、その力を使って三百年に一度国内に発生する、地中から噴き出す毒ガス的なもの──瘴気というらしい──を浄化しながら瘴気に侵された人々を治療して国中を回る。
そのシーンはゲームの冒頭で語られるのみで、実際にゲームが始まるのは、全てを終えた後、王都にある学園に通うところからなんだけど。
ちなみに浄化が完了すると、聖女としての力は失われる。
つまりゲームでは聖女の要素なんてこれっぽちもないのだ。
姉の解説を聞きながら、だったらなんで聖女って要素を付けたんだろうと思ったものだ。
姉曰く、元聖女だろうがなんだろうが、そういう要素を入れてた方がゲームが売れるのよ、と言っていた。
まあとにかく、力を失いただの少女となったヒロインが、学園で出会った生徒達と恋に落ちてハッピーエンドを目指す、というのがゲームの内容だった。
どうやら私はそのヒロインになったらしい。
確かに、全く同じ境遇に今いるし。
ちなみに助けてくれたのは、たまたま通りかかった騎士団のお兄さん。
ここは王都の裏通りで、巡回してたら急に目の前が光って、私が現れたらしい。
その後腰が抜けて立てない私は、自己紹介してくれたマッチョさん改めゾイドさんにお姫様抱っこでお城へと運ばれながら、何て良い筋肉なんだと密かに感動する。
こんなマッチョ、日本では滅多にお目にかかれなかった。存分に堪能しておこうと、まじまじと見つめていたら、視線に気付かれて恥ずかしそうに赤面されてしまった。
むしろ痴女みたいなことして申し訳ないと思いながら、今度はばれないように盗み見ていると、あっという間にお城に到着。
ここで歩けるようになった私は、美しい上腕二頭筋を持つゾイドさんと泣く泣く離れることになった。
そしてすぐに私の能力を、教会の教皇様っぽい人に確認されて、間違いなく私が聖女だとお墨付きをもらう。
で、流れ作業のようにこれまたすぐに国王陛下と謁見することになり、そこで言われたこともその後の展開も、やっぱり全てゲームと同じだった。
一応、帰れないのか尋ねたけど、帰す術がないことと、そもそもこの術で呼べるのは、術を展開した瞬間、不慮の事故であちらでの魂が亡くなった者だけだと申し訳なさそうに言われてしまった。
つまりどちらにしろ、あちらの私は死んでいると。
家族と会えないのは辛かったけど、第二の人生をもらったと思って、ヒロインと同じ道筋を辿ることにした。
どうせそれ以外に選択肢はないんだし、人助けできる力があるなら使うべきだと思ったから。
私を守るため、何人か選りすぐりの騎士をつけようと言われたので、私はその中に是非、ゾイドさんを加えてほしいと主張する。
彼はまだ若いが実力はあるらしく、何より聖女が望むのならとすぐさま受諾された。
そして瘴気は広がってきているので一刻も早く旅立ってほしいと言われ、三日後準備を整えて旅立つことになった。
それから私は彼らと一緒に国中を回って、穢れを払い、病を治し、無事に浄化が完了したので、二年後に王都へと帰還した。
ゲームではさっさと終わらせていた場面だったけど、なかなかにハードな旅路だった。
だけどたくさんのマッチョに囲まれて過ごす日々は大いに私の心を満たし、疲れを忘れさせてくれた。
そう、何を隠そう、私は筋肉が好きだ。
隠れマッチョとかは認めない。隠すな、前面に出せ、服を突き破るくらい盛り上げろ。
腹筋しか割れていないくせに、俺筋肉には自信あるんだよねぇーとか言うな。そしてマッチョを名乗るな。
その点、この旅は良かった。
みんな鍛えに鍛えまくっていて、腕も丸太のように太く、胸板は鉄のように頑丈で分厚い。太もももふくらはぎもパンパンに膨らんでいて、最高。
鎧越しでも眼福だったけど、旅の間はそれを外す場面にも遭遇できる。水浴び直後の薄着姿とか立ち寄った街でとったささやかな休憩時間とか。
思わず喜びの雄叫びを上げそうになったけど、勿論我慢したよ。だって私聖女だから。
その中でも、特にゾイドさんは素晴らしかった。
彼を指名して本当に良かったと、夜寝る前に彼の筋肉を思い出してにやにやしてた。
私のそんな不埒な視線は、しかしどうやらゾイドさんにだけはばれていたらしくて、よく頬を赤くさせてしまっていた。
一度、気持ち悪くて済みませんと直接謝ったけど、気持ち悪くないです、ただ恥ずかしいだけですから!! と言われ、じゃあいいかとそれからは開き直って見ていたっけ。
ゾイドさんは私の三つ上。
騎士っぽく短く刈り上げられたチョコレート色の髪と、緑の瞳を持つなかなかのイケメンだ。
騎士の中でも更に大きな体躯だけど虫も殺さなさそうな優しげな風貌で、一見これで敵を屠れたりするのかなって感じだったけど、旅の途中、賊が襲ってきた時は真っ先に前線に出て、仲間が剣を抜くより早く、全てぶった切っていた。
その姿に、筋肉を愛でる時とは違った意味で密かにきゅんとときめいてしまった私だけど、推しとかに抱く萌え的な感情だろうと深く考えなかった。
それとは若干違う気もしたけど。
そしてようやく王都に帰還し、大々的に凱旋パレードを終えた後、
「アイ・サエキよ、長旅ご苦労だった。聖女としての役目を果たしたお主には何か褒美をやりたいと思う。何か欲しい物や、やりたいことを遠慮なく言ってほしい」
そう、陛下に告げられた。
あー、そういやそういう感じだったなと遠い目でゲーム展開を思い出す。
欲しい物、と言われても、まあ生活に困らないだけのお金はいただきたいけど、やりたいことと言われてもピンとこない。
結局私はゲーム通りの道を歩むことにした。
だってこの世界について私はあまりにも知らなすぎるし、何よりあちらの世界では高校を卒業する前に死んじゃってる。もう少し学生生活を満喫したかった私が陛下にそう伝えると、幾ばくかの報奨金と、王都の学園に通うためには身元引受人が必要らしいので、伯爵位を持つパリフィリア家に陛下がお願いし、特待生枠として学園に通えることになった。
この伯爵家というのがみそで、高すぎる地位は面倒事も多いけど、低い地位だと何かあった時にこれまた不便が生じるということで、ちょうど中間あたりに位置する爵位の家に養子という形で入ることになった。
よって、私の名前はアイ・サエキ改め、アイ・サエキ・パリフィリアになった。
サエキの名前は取っても良かったけど、やっぱり日本で生まれたんだということを私が忘れたくなくて、そのまま残した。
パリフィリア伯爵家の当主のベランド様と夫人のシンシア様はとても優しいご夫婦で、学園の手続きやら何やらを代わりにしてもらった。
学園には王都にある伯爵邸から通うか、学園の寮から通うか聞かれたので、同年代の人がたくさんいるらしい寮からの通学を希望する。それも快く了承してくれて、ただ、月に二度ほど、週末の休みの時は伯爵邸に戻って過ごすことになった。
こうして新生活への期待に胸を膨らませる一方で、眠りにつく度、目に浮かぶのはゾイドさんのことだった。
彼以上の筋肉の持ち主が今後いればいいけど、今のところゾイドさんが最上級の逸品だったからなぁと思いながら、握手して別れを告げた日のことを思い出す。
その時、私の心臓がぎゅっと縮こまる。なんだろう、この気持ち。
寂しい、とか悲しいとか、そんなのをひっくるめて苦しいという感情が胸を支配する。こんなこと初めてだった。
けれど頭を使うことはあまり得意じゃないから、私は気のせいだと言い聞かせる。
そして諸々の手続きから一か月後、私はついに乙女ゲームの舞台となる学園に転入することとなった。