街の現実
翌日、レハルトは朝食を食べ終わると、また来ると言い残して帰っていった。
そうして、いつも通りのベルシエ家の生活が訪れたのだった。
「セディた〜ん、こっちよ〜」
公爵領の大きな港街、ポリオンの街に遊びに来たアドリシアとセディは、お付きの者達に沢山の買い物を持たせながら、はしゃいでいた。
セディは手に大きなアイスが2つのったコーンを持ちながら、トトトッと走ってくる。
「転ばないでね〜」
楽しそうなセディたん、可愛い〜。
たまには邸宅以外の外出で刺激も必要ね。
セディは3歳で兄と離れ、叔父に預けられたものの、別宅においやられ、ろくな教育もないまま放置されてきた。愛情が欲しい時期にそんな扱いをされ、心に傷を負わないはずがない。
セディには爪を噛む癖がある。不安やストレスなどを感じると、ひたすらガジガジと爪が剥げ血が出てもずっと噛んでいる。
小説で知っていても、実際に見るとこんな子供が追い詰められている姿にとても心が痛んだ。
それをルドウィクは知らない。
彼も彼で自分のことで精一杯なのだ。
セディと2人で手を繋いで歩いていると、前方の壁の隅に男が数人座りこんでいるのが見えた。側には酒瓶がいくつも転がっている。
「あれなに?」
アドリシアは眉をひそめる。
「職を失った者たちでしょうね、結構多いんですよ。昼間っから安酒で飲んだくれてるのが。警備隊を呼んで移動させますね」
護衛の剣士はそう教えてくれると、街の警備隊を呼びに行った。
「露店街の近くだと、余ったのをもらえたりするんで、追い払ってもまたすぐに集まってくるんですよ」
別の護衛の剣士が、お手上げというように肩をすくめてみせる。
「そう………」
お金もなく、居場所もないのね。普通の生活さえもできないなんて、惨めでしょうね。上にいきたいなんて思わなくても、誰だって普通な、当たり前の生活は送りたい。
遠くに見える港にそびえる大きな豪華客船の姿がここからでも確認できた。
叔父が莫大な金で観光業を盛り立てようと購入した負の産物だ。戦時中に買う馬鹿がどこにいるか、旅行すると思うか、お前はノウハウも知らないど素人だろうが、と突っ込みどころ満載の代物で、当然事業は大失敗。
売るにしても、こんなものはその業界の人しか必要としていないので、足下を見られ二足三文の値をつけられ、大損害になるため売ることもできずにただ船の維持をしながら放置されている現状だ。
そして、この維持費がまたとても高額なのだ。客室あり、パーティールーム、キッチン、食事所、様々な設備搭載で、放置すれば傷んでしまうので、毎月の手入れにかかる費用が、領地収入しか財源のない公爵家の財産を苦しめている。
浮浪者のような人達と共に見える無駄金の豪華客船のこの光景が滑稽すぎて、笑えてくる。
これが現実だったら、こんな理不尽あっていいはずがない。
セディと買い物を堪能して帰ろとすると、道のはじに子供が数人立っているのが見えた。
ドレスのブティックや、宝石店など高めの店が並ぶ通りに相応しくない、ボロボロの汚い身なりの少年らは手に缶を持っていて、道行く人々に小銭をねだるようにそれを差し出していた。
「何してるのかな……?」
不思議そうにセディが呟く。
ベルシエ家に来る前に、この領地のことも事前調査として調べてたから現状は知っていた。紙面上では。
「街の孤児院は子供が溢れてしまってるから、入れなかったり劣悪な環境で逃げた子たちでしょうね」
戦争で親が亡くなった戦争孤児、夫が死亡し妻だけで育てられないと孤児院の前に置いていかれた子供、経済の悪化による影響で孤児が増えたのは報告書で知っていて、酷い状況ね、なんてのんびり思っていた。
まるで小説で読むようにただの文面として見ていた。だってここは現実の世界じゃないし………。
アドリシアはツカツカと歩いていくと、子供たちの前に立った。
「あなたたち………うっ、クッサーッ!」
鼻が曲がりそうな臭さ!何日、いや何ヶ月も風呂に入ってない体が、夏の終わりとはいえ、まだ袖なしで過ごせる季節と相まって、凄まじい臭いを放っていた。
夏のホームレスの住んでるとこを横切ったような、おえっぷというあの臭いを夢の中でまで嗅ごうとは!
「臭いね」
セディが鼻をつまみながら、眉をしかめる。
「世の中には体を洗えない人もいるのよ」
子供たちは突如現れた身なりのいい貴族らしい私たちと、それを取り囲むようにずらりといる護衛の騎士達に怯えた表情で身を寄せ合った。
「こんな汚いのがいると景観を損ねますね。お前ら、あっちに行けっ!」
騎士が子供らを追い払うように威圧的な声を出し近づこうとするが、その前にアドリシアの蹴りが騎士の足首に当たり、バランスを崩した騎士は横へと倒れこんだ。
「なにしてるの!?子供に罪はないわよ!罪があるとすれば領主のルドウィクでしょう!」
「お……奥様泣いてらっしゃるんですか?」
「まだ奥様じゃないわよ!」
そう怒るアドリシアの瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
「お……お姉ちゃん?」
戸惑うセディの声に心配そうな顔。
セディだって物語の人。でもこうして向かい合えば、その境遇に心を痛め癒して幸せにしてあげたくなる。
確かに物語の人たちなんだけど、それを言い訳に私は見て見ぬふりをして見捨ててきたんだ。
「うわあぁぁぁっ!!」
不甲斐ない!心底不甲斐ないっ!!
叫びながら手で顔を覆ってその場に泣き崩れてしまったアドリシアに、セディや騎士たち、子供たちや街ゆく人々も唖然として足を止めていた。
37年生きてきて、最近は本当に涙もろくなってきた。子供ものはとくに弱い。病気の渡米募金のベットに横たわる写真だけで涙が出てしまうくらいに。
コンビニの募金箱にお金を入れることくらいしかできなかった私は、ここではあり得ないくらいのお金を手にしている。それだけでなく私はゴルディック家のアドリシアなのよ。私にできないことはない。
「物語だからってなんだってのよ。自分のことだけで今まで何やってたのよ。あー、情けない。あー、くそー。こんないたいけな子たちが苦しんでたのに、遊び暮らして鬼畜かってーの」
ブツブツと呟きながらアドリシアはゆっくりと立ち上がる。その涙に濡れて化粧が崩れてお化けみたいになった顔で子供たちを見ると、子供たちは身をこわばらして後ずさった。
「あなたたち、臭いからまずは風呂に入りなさい」
アドリシアはついて来なというように手で示すと、セディの手を引いて歩き出す。
「あそこのホテルの部屋を10室くらい1年ぶん買い取るから、自由に使いなさい。他のお友達にも知らせて皆んなで使って」
前方に見えるホテルを指差し振り返ると、後ろから護衛隊にあおられるようについて来ている子供たちは、おどおどしながら辺りをキョロキョロ見たり、話を聞いている様子はない。
まあ、着いてから言えばいいか。
ホテル側は嫌がりそうだけど、この世界でのアドリシアの頼みを断われる人なんている訳がない。なんならホテル買い取ったっていいし。
この子たちには一時的なお金を渡したって何の解決にもならない。ずっと見てあげられるわけじゃないし、大人にお金だって奪われてしまうだろう。
食べ物も、パン屋とか肉屋のソーセージとか来たら提供させるというように話をつけておけば、当面は飢え死ぬことはないはずだ。
季節は夏の終わり。でも冬が来たら多くの家もない路上生活をしている人たちは耐えられないだろう。
ルドウィクが叔父から奪われたものを取り返すのは春前だから間に合わない。
それに、取り戻したからって、何もかもがもと通りになるわけではないことも知っている。
公爵家が持ち直すだけで、それの反映が領地になされるのはずいぶん先になることも。
だって主人公は大多数の街の人たちなんかじゃない。ルドウィクが叔父から財産を取り戻して、悪役を倒したら、めでたしめでたしなんだから。
その背景で起こっていることなど、物語の中では些細なことなのだから。




