食事の誘い
戦いでは興奮と身の引き締まるような緊張感はあったが、この緊張はそれとは全く別のものだった。
ルドウィクは柄にもなく何度も深呼吸をして、話す事を頭の中で繰り返して扉をノックしたが、その手は強張っていた。
いざっ!!
そう意気込んだものの、返答は全くない。
気を取り直し、再度扉をノックするが、またもや返答はなかった。
仕方なく何回もノックをしたが、やはり何の返答もなかった。
やけに静かだな。まさか寝てるんじゃないだろうな?
ルドウィクはメイド達が身守る中、気づかれないようソッと音を立てずに扉を開いて、その隙間から中をうかがった。
いたっ!起きてる!ベットの上に座って何か書いてる!
真剣な表情で紙に一心不乱に書き続け、とても集中しているようだ。室内にも書き捨てたのか無数の紙が散らばっていた。
あの表情………。ここまで集中していると、ノックの音など聞こえないだろうな。
というか、着てるのはよれよれの訓練着か?髪も頭の頂点で1つに結んで雑に丸められてある。足もベットの上にあぐらで、背中も窮屈なくらい丸まっていてとても酷い姿だ。
これが淑女の姿なのか………?
唖然として固まっていると、何を勘違いしたのか後ろからメイドが声をあげた。
「アドリシア様を待ちわびてルドウィク様がお迎えにあがりましたよ!」
なっ!この馬鹿!覗き見してたのがバレるだろ!
ルドウィクは慌てて扉を開き姿を見せる。
「失礼。何度ノックをしても返事がないもので、何かあったのかと思い扉を開けさせて頂きました」
サッと室内へと入ると、ルドウィクは素早く扉を閉める。
このアドリシア嬢の姿は公開してしまってはいけない。絶対に。
「あー………。もうそんな時間なのね」
「そうですよ。絵ですか?アドリシア嬢が絵を嗜まれていたとは知りませ………」
落ちていた紙を拾おうとしたルドウィクは、身を屈めたまま動きを止める。
は…………?なんだ、これ…………。
裸。裸。裸………。散らばった紙には、どれも首から下の裸の上半身が描かれていた。
こ………これは…………。
ルドウィクは応接のテーブルの上に無造作に置かれた紙の束を手に取ったが、その手が震えた。
「な…何だこれは!?」
無意識で魔法を使ってしまい手元の紙の束が一瞬にして炎に包まれる。
すぐに手を離すも、残ったものはなく、灰がパラパラと舞い落ちただけだった。
この様子を見たアドリシアが、顔色を変えすぐさまベットから飛び降りた。
「あ、あ……あんたーっ!ちょっと何してくれるわけ!?人のもん何すんのよ!?どんだけ書くの時間かかったか分かってんの!?」
「あ……すみま………」
いや、待てよ。謝る必要はない。
「この絵、私ですよね!?無断で人の裸を書かれて、これをどうするつもりですか!?いかがわしい目的ですか!?とても不快なんですが!」
「違う!違う違う!違うの!全然別の人!空想上の人物なの!」
「……へその横にあるホクロから、この筋肉のつき方。よくあの時間見ただけで、ここまで再現できましたね」
あの時間で、ここまでくまなく見ていたとは、恐ろしすぎる。
「それは……、それはセクシーホクロよ!セクシーな人のアクセントみたいなものなの!目元や唇の横とかにあるとセクシーだから、書いてみただけの一般的なやつだから!」
「は?」
「もう!自意識過剰なんだから!何でも自分だと思わないで!」
言いながら、アドリシアはサササッと散らばった紙を素早い身のこなしで拾っていく。
「私思いつくままスケッチするのが好きなの。これは空想の人物よ。人を書くのに、裸体をしっかりかけないとデッサンが狂っちゃうでしょ。まー、繰り返し書く事によって技術が上がっていくってわけよ」
アドリシアは紙の束を隠すようにベットの布団の中に押し込み、かぶせた布団をパンパンと叩き封印した。
「努力してんのよ〜。んで、何の用かしら?」
ベットの前に立ち塞がるように立ち、腕を組んで踏ん反り変えるアドリシアに、ルドウィクは頭を抱える。
アドリシアを押し退けて、女性の寝ていたベットの中に手を突っ込むわけにはいかないし、ここはやり過ごすしかないのか。
でも、絶対にあれは俺だったよな………。
「食事に誘いに来たんですよ」
力なく言ったルドウィクの言葉に、アドリシアはそうだったそうだったと頷く。
「何度も催促したんですよ」
「あっら〜、ごめんなさい。夢中になって時が経つのを忘れていたわ〜オホホ」
「セディもまだ食べずに待ってるんですよ」
「えぇっ!?セディたんが!?ちょっと〜!それを早く言ってよー!」
アドリシアは髪のゴムを取ると、すぐさま扉に向かって走りだそうとした。
その手を間髪入れずにルドウィクがつかむ。
「ちょっと正気ですか!?その格好でどこに行こうと!?」
こんな姿、令嬢でなく街の乞食だ!
「そうね。髪の毛くらい櫛でとかしてこうかしら」
「いや服だろっ!!」
思わず突っ込んでから、ルドウィクはハッとし口を押さえる。
しまった!機嫌を取るどころか声を荒げるだなんて!
「服?これはね、高級シルクで作ったジャージというものよ。珍しい?」
「いや、素材の話ではなく……、その服で出歩くのは相応しくないという話でして………」
「どうして?パーティーに行くわけでもないし、誰にも見せないってのに。家では楽な服着てたっていいでしょ?」
「誰にもって……晩餐の時に私にも見られるんですよ?」
そう言った時のアドリシアの顔。
これは果たしてどうゆう表情だ……?
は?何言ってんの?自意識過剰?みたいにとれてしまうのは、気のせいではないだろう。
え?俺がおかしいのか?
いや、違うだろう。結婚もしてない男女が食事を共にする際は、それなりに着飾るはずだ。結婚したって、夫婦が顔をあわせるのだから、一旦着替えるだろうし。
なんでこんな冷ややかな目で見るんだ?
戦争に行く前は、女性達は頬を赤らめ常にこぞって群がり、共に食事をするなんてなったら、気合いを入れて着飾って緊張しながらもあからさまに意識して好きの念波みたいの送ってきたのに……。
この考えが自意識過剰なのか?でも、それとは別にしたってやっぱりその格好はないだろう。
「まぁさ〜、貴族ではそれが一般的なのよね。理解はしてるのよ。その上で、私は私のルールでやりたいようにやるの。お分かり?」
つまりは何を言っても無駄ってことか。
「お客さんが来てる訳でもないのに、食事の度に着替えるって無断よ無駄。面倒くさーい」
「セディも小さいながら、一紳士としてアドリシア嬢をもてなそうと着替えて待ってるんですがね。そうした事の積み重ねが、セディにとっては貴族社会に対してマナーや所作を学び身につけていく大切な場となるんです。無駄などではありませんよ」
ダメ元でセディの名を出してみた。
その時のアドリシアの面食らった顔。口を開けてビックリしたような間抜け顔だ。
「あ………そうね。そうよね。私にはもう必要なくてもセディたんには大切な事よね。失念してたわ」
「ご理解いただけたなら何よりです」
セディ効果は抜群だな。これから何がある時はセディの名を出すことにしよう。
しかし、俺ではなくセディ贔屓とは、もしかしてアドリシアは子供が好きなのか?
「そうと決まったら急いでセディたんのもとに向かわないと!着替えるからサッサと出てって!」
急に邪魔扱いをされ、追い払われるようにルドウィクは室内から出された。
裸の絵はうやむやになってしまったが、蒸し返して機嫌を損ねて〝食事に行かない〟と最初からやり直すのも面倒なので、今回は追求しないでおいた。
本当に変な女。
でも、子供好きなのは良かった。変なのは確かだけれど、家庭は築いていけそうだ。子供が好きなら後継ぎも産んでくれるだろう。たぶん。
先行きの見えない未来だけれど、公爵家を守ることができて、これからも続いていける、そう思うと少し安堵した。




