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経験主義のアジテーション

 明治十四年の秋。

 東京府立第一中学と東京府立第二中学で合併した東京府立中学で、校内相撲大会が初めて行われることになった。

 日本各地から集まったエリート秀才ぞろいの東京府立第二中学生は決してひ弱ではなかった。

 金の問題である。

 この時期に士族の子どもが公務員を目指すというぐせ

 明治二十年(一八八七年)に文官試験試補見習規則が制定されるまで公務員試験はなく、士族の子どもたちは公務員になるための人脈を東京の官立学校でつくろうとした。

 地方の士族の子どもが東京に出てくるための金を集めるには、学力だけでなく武芸もに秀でて郷里の期待の星にならねばならなかった。

 弱ければ男として信用されない。

 金が集まらない。

 東京に行けない。

 そういう事情もあって、地方から東京に来た士族出身の学生は武ばっていることが多かった。


 多くの男子学生たちは、学校の休み時間中の校庭で、校内相撲大会を視野に入れて相撲に興じていた。

 そんなある日のこと、本作の主人公であるヘーボンこと平凡たいら・なみのもとに一人の女生徒がやってきた。

 新堀松子にいぼり・まつこ

 維新前には幕府の旗本の娘で、一中と二中の合併前には二中の女子生徒でありながら、元一中の美少年の川上亮に勝手に運命を感じている。

 根拠薄弱。

 後に川上眉山を名乗って小説家になる川上晃も旗本の家の出と言うことぐらいか。

 松子は言う。

「運動場で男子生徒たちの相撲をしているのを見物に行きましょう」

「何ゆえ?」

 と、へーボンは問う。

 横から漢学者の娘であるお千が言う。

「兵法三十六計で言えば、借屍還魂」

「借屍還魂とは?」

「死者・大義名分を持ち出して自らの目的を達する計なり。

 それなる元二中女子は元一中の王子さまと呼ばれる川上亮の姿を見たいのであろうが、一人で行くのは目立つから、元二中女子の知己たちに誘われたという形式を取りたいのであろうと僕は思う」

 僕っ娘。

 この時期の漢文教育は、僕っ娘を量産した。

 女子が兵書を読みふけることを嫌う家庭では、女子の中学校進学に反対したらしい。

 そういう理由で、樋口一葉は小学校を卒業した後に萩の舎という歌塾に通うことになる。

 Get back on track.

 ヘーボンがわからないのは、

「どーして用事に、アキラくん、見に行くのに、あたし達に声をかけるのですかね?」

 ということ。

 松子は言う。

「もともと一中自体が女子はほとんどいませんでしたからね」

 横から流行の民権派気取りのお清が言う。

「我に自由を与えよしからずんば死を与えよ。パトリック・ヘンリー。

 好きな男の子を見に行くのに 、一人で行くと目立ちすぎるから、まわりの朋輩に連れていかれたという風情を装いたい」

「はあ」

「考えるよりも先に行動。先手必勝絶対勝利どうせ勝つならば圧勝」

 チートとか最強とか感動クリエイトとか言い出しそう。

 平凡なへーボンは頭が痛くなる。

「あんたみたく、最初から何も考えてなければ、いつだって行動が先になる」

 お清は気楽に言う。

「下手な考えは休むに似たり。松子さんがアキラくんを見に行くのに混じって、せうは武太郎くんを見に行く」

 武太郎くん。

 お清は元二中の美少年の武太郎を狙っていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 山田武太郎。

 後の小説家の山田美妙である。

 美妙と東京府立中学で一緒だった尾崎紅葉は、当時のことを以下のように語る。


 ━━私は十四五の時分はなかなかの暴れ者で、課業の時間をにげては運動場へ出て、瓦まわしを遣る、ブランコ飛びを遣る、石ぶつけでも、相撲でも撃剣の真似でも、悪作劇わるいたずらは何でも好きでした(もっとも唯今でも余り嫌ひの方ではない)。しかるに山田は極温厚で、運動場へ出て来ても我々の仲間に入った事などは無い、超然として独り静かに散歩して居ると云ったやうな風で、今考へて見ると、なるほど年少詩人と云った態度がありましたよ━━


 幻想詩の美少年のごとき山田美妙は活発な女の子たちに追いかけられたという。

 山田美妙の友人である尾崎紅葉は、本名を尾崎徳太郎と言った。

 勤皇志士が多く出入りした医者が父方の祖父であり、平民でありながらも、武術にうるさかった。

 アキラくんこと川上眉山は、後に尾崎紅葉から弓の指導を受けるが、

「そこがいけない、ここがいけないとやかましくばかり言うので手も足もでなくなってしまう」

 と語る。

 尾崎徳太郎。

 後の小説家の尾崎紅葉は、親分肌で下の者への面倒見がよい。

 研究熱心であり、好きなことになると話が長く細かくなってしまう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 休み時間に運動場に向かったヘーボンたちが最初に見つけたのは、山田武太郎であった。

「らっけー♪」

 そう喚いてお清は走り寄る。

 イケイケGOGOてなものである。

 清がどのあたりを潜んでいるのかヘーボンにはさっぱりわからない。

 自分のことを恋愛的暗殺者とか言うのならばちっとは潜みやがれと言いたくなる。

 武太郎が振り返る。

「え?」

 お清は満面の笑み。

「いやあ、これは偶然ですね。まあ、同じ学校になったのですから、何かとご縁があるということで」

 続けて

「お近づきのしるしに」

 と言って、武太郎の胸ぐらを掴み、唇を重ねようとするお清。

 何ということを!

 古ぼけた旧体制アンシャン・レジームを若者の情熱で打破する革命的手籠めである!

 ━━まるで花魁の手管のような一連の流れであった━━

 とか執筆援助AIは記すが、そこまで獣翌をたぎらせた花魁はいなかったように思われる。

 止めたのは、お千だった。

「不許校内淫行!」

 ドンとお清と武太郎は突き飛ばされた。

 このような場合、アクシデントを装って、二人が一緒に転んで密着してしまうというのも、ありふれた一つの展開である。

 しかし、そうは問屋が卸さない。


 通りすがりの一人の少年が武太郎の身体を抱き留め、お清の身体を慣れた手つきで引き離した。

 武太郎が声をあげる。

「徳ちゃん」

 その少年は尾崎徳太郎、後の尾崎紅葉だった。

「いったい何やってるんだい、武ちゃん? また、元二中の女子に襲われていたのか? 気をつけろよ、元二中の女子は狼がそろっていやがる」

 憤然としてお清は演説する。

「なるほど、せうたち、若者はすべからく恋愛革命に燃える餓狼であるのだ。今や文明開化の自由恋愛の時ぞ。行動行動行動だ。行動につぐ行動につぐ行動が旧体制に風穴が開く」

 元一中の松子は顔をしかめる。

「破廉恥な」

 お清は言い返す。

「時代のテ桎梏を破壊するには徹底的な行動が必要であろう。考えのない行動は失敗するかもしれぬ。しかし、わからないのならば、まず行動だ。行動している間にわかるやもしれない。考えている間に時間は無為に過ぎていく。それは残酷な現実を無為に受け入れて賛同することに等しい。怯えて地面に蹲っているひまはないゾ! 

 時代を変えるのは、いつだって若者の過激な行動だ。

 知者は歴史に学び愚者は経験に学ぶという。新堀松子よ、貴君は若くして自らを賢者と位置づけるのか? この世間に賢者など滅多にいるものか。せうは胸を張って自分を愚者と認めよう。若者に必要なものは経験だ。経験せねばわからない」

 経験主義のアジテーション。


 一理ありやがるな、と徳太郎は言った。

「世間知らずの馬鹿は身体を張って覚え込むしかないかもしれんな」

 ヘーボンは溜め息。

「迷惑な話ダ」 

 おや、とへーボンの顔、徳太郎は気づいた。

「アレ、お前さん、ちょっと前に、俺が岡本さんから相撲を教わっているときに瓦で顔を会わさなかったかい? 岡本さんの娘のお梅ちゃんの音曲の先輩だとか」

 へーボンからすれば何か気まずい。

「いや、まあ、そのですね」

 元一中VS元二中の対立構図は、両校の合併した寛永十四年の校内相撲大会では確実にあった。

 この年の校内相撲大会でも徳太郎は活躍したと思われる。

 後に尾崎紅葉を名乗る徳太郎は、東京府中学校時代の相撲大会では、自分が優勝したと自慢している。

アジ歴グロッサリー

https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa31.html


硯友社の沿革

https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/3830_17027.html


あの頃の川上眉山君

https://promeneur-libre.raindrop.jp/litterature/pdf_jp/BabaKocho_KawakamiBizan-kun.pdf


礼の古典的意味と現代的解釈

file:///C:/Users/owner/Downloads/kb0004_01.pdf

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