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九条ナイフと恋愛的暗殺者

 明治十四年。

 東京府第一中学校と東京府第二中学校が合併して生まれた東京府中学校の平凡な女学生のヘーボンは、本名をたいら・なみと言う。

 商家の娘。

 江戸時代の都市部の商人たちの間では、業種によっては商人の連帯責任もあった、

 ギルド、講といったた商売の連帯責任制というのは、営業の自由に反するというマイナス面だけではなく、社会の安定に資するプラス面があることも見逃してはいけない。

 経済的自由の制約の是非を論じるには一般に高度な政治的判断が必要であろう。

 そういう社会ではつまらない馬鹿に店を継がせれば、他の同業の店にも迷惑がかかる。

 いきおい婿取り婚が盛んになった。

 変な跡取りは許さないように相互監視。 

 よい婿をとるべし。

 ただ、新しく家に入ってきた婿に自分が追い出されるのは困る。

 そこで、娘の教育に力を入れることになる。

 明治時代の高等女子教育で、いきなり男子と変わらない全教科を設けることができたのは、江戸時代の都市部の女子が(一部にせよ)それだけ知的レベルが高かったということである。

 東京では、なよっとしたイケメンが女の子たちにモテモテで囲まれる為永春水『春色梅児誉美』が江戸時代の天保年間から流行するぐらいには、都会の女性の地位は部分的に上昇していた。


   *  *


 へーボンは商人の娘として平凡に三味線や長唄を趣味としていた。

 名人と言われる杵屋お六のもとに麹町に習いに行っていた。

 そこて知り合ったのが、岡本お梅という、小学校高学年な女の子である。

 お梅と一緒の長唄の稽古の帰り道、ふとお梅が近くの空き地で相撲をとっている大人と中学生を見て声をあげた。

「お父さん・・・」

 と、お梅は声をあげる。

 彼女の父親の岡本純きよしは元御家人でイギリス公使館の書記であった。

 ちなみに、彼女の弟の敬二は、明治五年(一八七二年)の生まれで、岡本綺堂という小説家になる。

 弟の岡本綺堂の筆名は『半七捕物帳』で名高いが、父親の岡本純にも 『相撲四十八手:相撲宝鑑』という著作がある。

 江戸幕府の御家人であった岡本純は技術解説本を書いてしまうほど、相撲好きだった。

 純は言う。

「二か月ほど前に、東京の一中と二中が合併して一つになっただろう。

 こいつは元一中の学生だ。

 何でも、話を聞くところによると、一つになった東京府立中学校で秋の相撲大会があるらしく、それで一中が二中に負けるのはシャクだという話よ。

 元一中の連中がこのあたりで相撲を稽古しているところを見つけて、そんなに勝ちたいならば、俺も少し相撲を教えてやろうということになった」

 やめろ。

 話を聞いてへーボンは唖然とした。

「学校の試験で元一中の生徒を叩きのめしたかと思えば、次は秋の相撲大会でも元二中を打ち負かそうというつもり?」


 仕方あるまい、と元二中生の少年は言った。

「弱者死すべし邪悪断つべしというのは、この世の習いであろう。

 勝ちたいならば稽古する。稽古すれば勝つというものでもないが、稽古して自分の思った通りに勝つのは楽しい。世の中が広がった気がする。知らないことで負けるのも楽しい。そいつがわかれば世の中が広がった気がする」

「酔狂な」

 と、ヘーボン。

 好きこそものの上手なれ。

 ある意味、真理である。

 別のことをやっても自分の好きなことと結びつけて考えるわけで、自分の好きなことについての経験になる。

 ただ生きているだけで、その時間が練習時間に変換されているので、練習時間が短く見えて実は長いという。

 しかし、そういう性根の元二中生が元一中生の敵に見たてているというのは、元二中生としては嘆かわしいかぎり。

 明治十四年の一中と一中の合併は、当然に元二中生と元一中生の対立を生んだ。

 公務員志望の元二中生は郷里の期待を背負って送り出された者たちで、当然に学業はできる。

 そして、士族の家の出の確率が高く、武芸にこだわりのある生徒が多かった。

 元二中生の少年は両手を握りしめる。

「どうせ、元一中生の諸君も、頭で負けても腕ずくなら元二中生に勝てるとか思っているだろう? そうは問屋がおろさないぜ。元二中生が退治してやる」


   *  *


 翌日の朝の教室にて、へーボンは友人のお清やお千に言う。

「もう頭きた。女の声援で元一中を元二中に勝たせたい。そう簡単に元一中生が退治されてたまるものか」

 真っ先に反対したのはお清である。

「平和、平和、社会主義、社会主義、夢、夢、理想、理想、希望、希望。ドーダ、中学校の男子の相撲大会みたいな細かいこと、どうでもよくなっただろう?」

「うすっぺらいことばかり言うない。今いきなり、お清に腹たってきた」

 と、へーボン。

 お千の意見。

「男子は女子の前でいいところを見せんとす」

 まあね、とへーボンは言う。

「元一中とか元二中とかいってみても男子なんて馬鹿ばかりで、いいところ見せて女子の前で恰好つけたい生き物」


 お清が言う。

「そんなことよりもせうには大切な話がある」

 どうせろくでもない話だろうと予想しながら、へーボンは聞いてやる。

「何よ?」

「自己批判せよ。総括を要求する」

「は?」

「革命意思の足りない人民を思想教育するため、自己批判金援助のアイスピックは必携。邪魔する奴は九条ナイフで滅多刺し。九条ナイフは武器に入りません。無防備都市宣言。都合の悪いことは全て九条の会の記録から抹消。アフターケアばっちり」

「九条ナイフ・・・」

 へーボンが何となく思うに、明治の時代ならば人力車夫は九条ナイフの凶刃に要注意である。


 さておき、とお清は話を元に戻す。

「今のところ、せうには革命よりも大切な話がある」

 お千が口を挟んだ。

「僕思えらく、学生の本文は勉学なり」

 お清は喚いた。

「しゃーらっぷ! 

 勉学みたいなものは犬に食わせておけ。

 だいたい、いいお年頃の女は目標にする男を見つければ至急に子宮を疼かせるのが大自然の摂理。

 生命短し恋せよ乙女。

 あたしが山田くんという標的にどのようにしたら自然に近づくことができるのか、ちょっとは頭を使って考えなさい」

 山田武太郎。

 元二中からの山田武太郎は数年後にに山田美妙というペンネームで小説家デビューし、その恵まれた容姿もって、女学生の間で人気が爆発した。

 自分のことを美しく妙なると称するミタエちゃん。

 心の底から、どーでもいい、とへーボンは感じてしまう。

「何で、お清って男子にばかり興味を示すの?」

「恋愛的暗殺者」

 と、お清。

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