賢姉愚弟地獄
後に夏目漱石という小説家になる塩原金之助。
慶応三年(一八六七年)に江戸の牛込馬場下にて、名主の夏目小兵衛・千枝夫妻の末子として出生した。
夏目小兵衛は江戸の牛込から高田馬場までの一帯を治めていた名主であり、夏目小兵衛に仕えていた塩原昌之助のという男が、子どもを欲しがったため、明治元年(一八六八年)に塩原家に養子やられた。
明治九年(一八七六年)に、塩原昌之助が日根野かつという女と不倫をし、日根野かつとその連れ子の日根野れんが塩原家に連れ込まれる。
夏目家からすれば、金之助は養子として塩原家にやった子だけれども、金之助がかわいそうだということで、明治九年に夏目の屋敷に預けられた。
ただ、塩原金之助は二十一歳まで夏目の家の者ではなく、塩原の家の者であった。
この間の金之助の血のつながらない義理の姉として、日根野れんがいる。
さて、「血のつながらない姉ができたら、ものすごい美少女で・・・」になってしまったのだけれども、金之助にとって話はうまく転がらなかった。
明治十四年(一八八一年)の七月。
東京府第一中学校と東京府第二中学校の合併があった。
授業レベルは、二中に合され、学業試験の成績は、おおむね元一中生徒元二中生に大敗する結果に終わった。
しかし、元一中生徒の日根野れんという女子生徒が気を吐いた。
後に東京高等女学校へ進学して、【日根野れんと三宅花圃が首席争いをした】とも語られる。
日根野れんは当時の東京一に頭のいい女学中学生の候補の一人だったかもしれない。
東京府第一中学校と東京府第二中学校の合併の混乱時に、元一中の女生徒が、全国から上京した秀才のそろった二中生たちを相手に学業で対抗できたというのは、デタラメである。
もちろん日根野れんが悪いわけでない。
けれども、年齢のあまり変わらない姉が、同じ学校で優れた学業成績をあげて、弟が授業についていけないというのであれば、弟としては立つ瀬がなかった。
哀しい。
発作的に、塩原金之助は家族に隠れて東京府中学校を退学した。
* *
金之助の退学は、家族に内緒でも、東京府中学校で話題になった。
特に、同じ元一中の生徒たちの間で。
平さんのところをの凡さん。
ヘーボンは明治初期の東京の平凡な女学生。
まかりまちがっても歴史に名前を残すような大人物ではなかった。
ごく平凡に親族の死と葬儀の手伝いがあって、授業を昼頃に早退するようなことがあった。
その時に見てしまった。
つい先日まで同級生だった塩原金之助が、学校の近所の公園で、弁当を広げて食べているのを。
(あいつ・・・)
家族に内緒で中退した後も弁当を持ってまだ学校に通っているふり。
なぜだろう?
この時ばかりは平凡なへーボンも閃いてしまった。
(新しい学校の授業についていけなくて、勝手に退学したことを家族に言えなくて、金之助くん、まだ学校に通っているふりをしているんだ!)
明治十四年。
世間的には政治の季節ではあった。
しかし、東京の元一中生の多くにとっては政治どころの騒ぎではなかった。
┅┅勉強のできない奴は消えろ。
いきなり授業のレベルをあげられてしまい、そちらの方が学生にとって大問題であった。
* *
翌朝の中学の教室でも、へーボンは自分が目撃した塩原金之助(夏目漱石)の惨状の話をした。
同級生のお清は呻く。
「悪政府は元一中生に死ねとでも言うのか?
もう誰か暗殺せよ。
こんなことを言うと、また顰蹙を買うかもしれないけど、いままで何ら一矢報いることが できなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺が成功して良かったな』と。まあそれしか言えない」
「この乱子賊子め。易姓革命とか言いかねん、と僕は憂慮す」
と、漢学者の家にして産まれたお千は嘆く。
男女共学・小学生に漢学義務教育が開始された明治初期に僕っ娘が増えた。
地方出身者の多い都会では、田舎なまりの方言で話すよりも漢文で話す方がまともに意思疎通ができた。
へーボンは言った。
「金之助くん、退学したことを親に言えなかったみたいダ」
お千の指摘。
「隠れたるより顕るるは莫く微なるより明なるは莫し」
いつか自主退学は家族にばれる。
ならば、最初から全て正直に話しておけばいいのではないかという意見。
(世の中はそんなに簡単にうまくいくわけない)
とへーボンは思った。
「勝手に退学しましたといきなり親に言うのは、厳しい。まず心が死んでしまう」
拳を振り上げてお清はアジった。
「革命だ革命だ革命で何でも解決だ。悪いと思うものをすべて潰していけば世の中には良いものだけが残るはず。そうだ、全て革命だ」
学問は責任を取らない。批判だ。批判だ。自分は何もやらず政府の批判をするのが仕事なのだという批判主義。
反対意見が多数者に支持されている理由を分析せず、むしろ革命的に無視して扇動するのは、マルクス『ドイツ・イデオロギー』の教えだ。
┅┅それは対象の正確な認識に欠けており、何も批判したことにならない。
あらたまっての近代主義・科学主義な指摘は通俗的にすぎよう。
わずかな時間で「キャンプ行こうぜ」から「カップヌードル流行」につながる地球市民のスピード感を評価するのは、やぶさかではない。
とはいえ、そのスピード感を楽しんでいる場合ではないとへーボンは思うのだ。
「れんさん先輩がお姉さんというのは、金之助くんも辛い。
一中と二中の合併して、平然と元一中生が試験で勝ち抜いてしまうなんて、あの人は特別ダ。
親の口から『お姉ちゃんを見習いなさい』とか、れんさん先輩のことを引き合いに出されたら、金之助くん、立つ瀬も座る瀬もない」
お千は言う。
「もともと、塩原くんは御父君の主筋の夏目の家から請われて塩原の家に養子に入ったと聞く。それが塩原の家の後妻の連れ子に学業であからさまに劣るようでは問題であろう」
この場合、日根野れんが甘ったるい容姿の美少女だったということは、塩原夏之助の利益に決してならなかったであろう。
れんがヒョイとやっただけで簡単に好成績をあげてしまうことは、異常だった。
それを通常と周囲の大人たちが勘違いすることがあれば、塩原夏之助は地獄に投げ込まれたようなもの。
背筋に冷たいものをへーボンは感じた。
「まあ、こちらも学業のことで他人さまのことを同情できる余裕はないけどネ」
「明日は我が身よ」
まじめな顔で、お清は身をブルブルと震わせた。
* *
一中の隠し球、日根野れん。
夏目漱石(塩原金之助)の血のつながらない姉であり、夏目漱石にとって初恋の少女と目される。
とびぬけた美形で、夏目漱石の『文鳥』『道草』『それから』等の小説にも彼女をモデルにしたキャラクターが登場する。
れんが陸軍中尉の平岡周造と結婚したことで、ショックを受けた漱石は世の中が厭になり、その悩みを正岡子規に書き送った。
さて、夏目漱石の話によると、れんが結婚した夫はれんを掌中の珠として扱い、れんは息苦しい生活を送ったとされる。
れん本人の話によると、結婚後も東京高等女学校まで卒業させてもらい、平岡周造は別にひどい夫でもなかったそうである。
左がかっていれば、「キャンプ行こうぜ」は死亡フラグかも。「粛清だ」「総括を要求する」「京都名物糾弾会」「アイスビックで自己批判援助してやる」「こいつ敗北死しやがった」「党の記録抹消」と続きます。ただ、彼らがいたおかげで、警察の人たちがカップヌードルを食べる姿がテレビ放映されまくり、「カップヌードル流行」につながったそうです。