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王子と電波ストーカー

 下校時間。

 ヘーボン、お清、お千は連れ立って校門に向かう。

 昼休みのことについて、お千が文句を並べる。

「僕が思うに、山田くんの前で、お清の節操なきこと酷し」

 それにはヘーボンも同感だった。

 冷やかす。

「何かあれば、京都名物糾弾会だとか、総括せよとか、自己批判せよとか、粛清せよとか、騒いでいたお清さんはどこに消えたの?」

せうに都合が悪い記述があれば、必要に応じて団体の記録から革命的に削除すればいい。ノリ弁当大好き」

 ぬけぬけとお清は言い放った。

 続けてアジる。

「妾たち、若者の可能性は無限大! 若い力が新しい時代を切り開く! 古く腐った旧体制の常識を打破せよ!  青春は何でもアリ! 自由民権運動アリ! 甘酸っぱい恋アリ!」

 喰いタンもアリ。

 役の後付けもアリ。

 アリアリのルールである。

 お千は顔をしかめた。

「官員が近年の女学生の風紀の乱れを云ふも道理なり」


   *  *


 お清は自分の身体を両腕で抱きしめて周囲の目をはばかることなく腰をくねらせる。

「ミタエちゃん、革命的にかわいい」

 ヘーボンはあきれた。

「確かに二中の姫にはびっくりしたけれども、一中にも去年に入学してきたアキラくんがいるよ。アキラくんのときには、お清はそんなに騒がなかったのに」

 然り、とお千はうなずく。

「二中に姫あらば一中に王子あり。其の名は川上亮」

 アキラくん。

 川上亮。

 明治二年(一八六九年)生まれ

 後に作家の川上眉山となり、山田美妙と共に研友社に参加する。

 長身の美形。

 眉山の大学予備門時代の話だが、

 ━━通学の道筋に当る町の若い女は眉山の往帰を楽しみにして、目牽き袖引き見送って人知れず焦がれていたものも少なくなかった━━

 と伝えられる。

 山田美妙とはタイプの違う美少年。

 ミタエちゃんが活発な女子に追いかけられて逃げまわるタイプだったのに対して、アキラくんは高嶺の花として遠くから溜め息をつかれるタイプであった。

 一中の王子。

 噂をすれば影とやら。

 ちょうど、校門から川上少年が出ようとしていた。

「アキラくんだ」

 と、ヘーボンは呟いた。

 そして、校門の外にいた一人の娘の姿を見つける。

 溜め息。

 横からお千がたずねる。

「何事か?」

 ヘーボンは木の陰に隠れた娘を指さした。

「あの子、一中の頃からのアキラくんの追っかけだよ。あの顔に見覚えがある」

「ヘーボンくん、よく気づく」

「ちょいと目立つ綺麗どころ。見たところ、年齢はあたし達と同じぐらいかな。アキラくんを出待ちする女の中でも変わり種」

 ストーカー規制法は明治の御代には存在していない。

 お千は言う。

「四谷怪談の岩女の怨霊の如し」

 お清は考え込む。

「しつこい女は嫌われるというのは、革命的にどう言えばよいものか?」

 そして、

「官憲による執拗な追尾から逃れるべく地下に潜るしかない」

 とつなげた。

 まるで「キャンプ行こうぜ♪」から色々と粛清して最後に「カップラーメン、おいしそう」という結末になりそうなノリである。

 しかし、とヘーボンは話をもとに戻す。

「あの娘は何者なの?」 

「妾たちが特に知るべきことではない。知ったところで、何の得にもならない」

 と、お清。


 へーボンは言う。

「でも、気になる」

「然らば、本人に訊く可し」

 お千の言葉に従って、ヘーボンはその娘のもとまで行って声をかけた。

「失礼。お聞きしたいことがありますが」

「私ですか?  ご用件なら手短かに願います」

 と、娘。

「一中が神保町にある頃から川上くんのことを出待ちする女たちがいたのですけれども、その中にあなたのお顔も混じっていたように思うのです。もしかして、内幸町に校舎が移転したのに川上くんを追いかけているのですか?」

 娘は言う。

「亮さまは元旗本の御家柄ですが、私の家も元旗本の家柄です。私は亮さまと浅からぬ縁を感じているのです」

「元旗本の御姫さま!」

 ヘーボンは仰天した。

 言われてみれば上等な服を着ている。

 顔立ちは、美人の部類だ。

 瞳の奥に冷たい狂気の光があった。

「あなた達の名前を教えてください。私は新堀松子と申します。きっと将来に亮さまと結ばれる運命にある者です。変な虫がつかないように亮さまのことを見張らないといけません」

「私はなみ、後ろにいるのはきよせん

「かわいい名前」

 と言って、微笑みを浮かべる松子であったが目は笑っていない。

「ただの同級生です」

 と言い訳をするヘーボンの目を凝視していたかと思うと、急に松子の目つきが変わった。

「今、【同級生】という言葉を強調しましたね。それは、なぜでしょうか。ひょっとして、恋仲なのですか? まさか、あなた方の誰かが亮さまとお付き合いされているなんてことはありませんよね?」

 電波ゆんゆん。

 元旗本の家の御姫さまという話であるが、何故に彼女の家族はこんな頭の悪い生き物を座敷牢に放り込まず野放しにしているのか?

 お千が口を挟んだ。

「僕は問いて曰く、君は何者や。君は自らを元旗本の家柄の女と云ふ。然れども、良家の女子が供を一人も連れず独り歩くは僕において不審なる可し」 

 松子は笑った。

「私も東京府立中学校の生徒ですもの。また、後で家の馬車が迎えに来ます」

「それは真なりや?」

「私は、合併前は二中の生徒でした。亮さまと別の中学に通ってしまった不運を嘆いておりましたら、この度の両校の合併。やはり、私と亮さまは前世からの特別な宿縁があるのでしょうね」

 元二中の女子生徒。

 さすがに一人ぐらいは存在していたのだろう。

 そして、ヘーボンが初めて見たのは、危険な電波ストーカー。

 どーでもいいけどさ、とお清が言う。

「同じ学校になったと喜ぶだけでは不足。松子くんは川上亮に突撃せよ。恋愛も闘争。徹底的に戦い抜いて要求を貫徹せよ」

「はしたない・・・ 婦女子がそんな大それたこと・・・」

 松子は頬を紅に染めた面を伏せた。電波ストーカーのくせに、肝心のところで無駄に常識がある。年頃の乙女らしく恥じらう。

 お清は激怒した。

「この敗北主義者め! 総括だ! 糾弾会を開催する! 恋愛革命戦士としての覚悟が足りない! 断固として自己批判を要求する!」

 すっかり松子は困惑していた。

「何ですの、この方? 敗北主義者とか総括とか糾弾会とか恋愛革命戦士とか自己批判って、いったい何のことです?」

 そんなことを聞かれてもヘーボンも知らない。恋愛革命戦士に比べれば電波ストーカーはまだ常識人に見えた。比較の問題である。



 樋口一葉が深刻小説で成功して以来、当時の女流作家は競うように深刻小説を書き、後世にそういうものばかりが残っている。

 確かに、明治は闇の多い時代であった。

 それでも、元気いっぱいの女学生たちがいなかったわけではない。

 本編『明治十四年の政変・前夜祭』のヒロイン田辺たつ子(三宅花圃)は『大幣学士』という小説を明治二十五年に出版している。

 主人公は、大幣くん、二十四才の美形の医学士。

 三人のヒロインがいる。

 瀧川波子(十七才)・・・勅任官の娘。

 眞野政子(十九才)・・・大学教授の姪。

 深野花子(十七才)・・・富豪の娘。

 みんな、同じ女学校の出身で、表面は仲良くしつつ、裏では相手の悪口を言い、家の力を使って、家ぐるみで、大幣くんのことを婿として取りに行く。

 最後には、追い詰められた大幣くんは、文部省からドイツ留学の話が来た途端に「郵船の都合次第、できるだけ早く」と海外逃亡エンド。

 NHKドラマとかに『大幣学士』は無理だろうか?

 深刻小説が流行した時期に深刻になれなかったのが、本編『明治十四年の政変・前夜祭』のヒロイン田辺たつ子(三宅花圃)である。


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