姫と革命戦士
内幸町の校舎に通うようになって一週間。
ヘーボンは思う。
「二中って、本当に女がいなかったのね・・・」
昼休み。
友人のお清がつきあう。
「二中は将来に政府の役人になりたい者たちが出世のコネを求めて集まる学校だった」
それはヘーボンも承知。
公務員試験が開始される明治十八年(一八八五年)までコネ以外に官職につけない。
「男子は官員になりたいわけか・・・」
「有司専制打破! 断固粉砕! 女子だって官員になりたい!」
いきなりお清は叫ぶ。
明治十四年(一八八一年)、日本の自由民権運動が最高潮に盛り上がっていた。
小学生が政治演説して新聞沙汰になり、その小学生が社会運動家たちに勧誘され、やがて強盗による資金稼ぎを命じられて逃げ出す。そんな政治の季節であった。
お清は流行に弱い。
ヘーボンは一言。
「うるさい」
お清は演説を続けた。
「差別だ、差別。明治五年の学制から女子の権利は大きく後退した。女性の職業門戸が閉ざされた。
かかる不公正な社会構造の下で、日本全国から頭のいいガリガリ出世亡者の男子が集まるのが二中。それに対して、東京の普通の中産階級を育てる学校として一中はつくられた」
ヘーボンはうなずく。
「一中は商家の子が集まる学校だし」
「だから、一中には普通にけっこう女生徒がいたってわけなのサ」
と、お清。
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明治五年に男女の区別なしの学制が全国公布された。
しかし、その翌年の明治六年には、首都の東京府では女子の断髪禁止令が定められている。
女性は特に理由がなければ長髪のみ。
断髪するには断髪届が必要。
男女の区別をしっかりしないと西欧世界の軽蔑を買い、明治政府の悲願とする条約改正がうまく行かないのではないか?
そして、明治十二年(一八七九年)の九月の教育令で「凡学校ニ於テハ男女教場ヲ同クスルコトヲ得ス」とされた(ただし、明治十二年以前に入学した女子生徒たちは同じ学校に居残ることが許された)。
さらに、明治十六年(一八八三年)以降の鹿鳴館政策の一環として、官立の高等女学校の生徒たちは洋装を義務づけられるようなこともあった(袴姿の日本の女学生たちは当時のロングドレスの西洋の女学生たちと違って平気で走った。そのあたりを明治政府は気にした。もっとも、日本の女学生たちの女袴がイギリスで評価されてブリーチ・スカートとなり、西洋の女学生たちも走るようになった)。
明治十二年の普通高等教育の旧制中学(開始時の年齢は十二才から十七才)における女子の割合は全国平均で六人に一人だったというデータがある。
江戸時代の連座制の影響で婿入り婚が盛んだった大都市の商家たちの間では、女子の教育を重んじる風潮があった。
東京の中堅経済人を育てる目的で建学された一中であれば、全国平均よりも女子の割合が多かったものとと合理的に推測できる。
明治十二年の時点ならば、三人か四人に一人ぐらい女子生徒だったのではないか?
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お千が走って教室に飛び込んできた。
報告。
「竟に僕は二中の姫を見たり」
「二中の姫?」
ヘーボンはきょとんとする。
お清は言った。
「今の今まで、妾 (せう)たちは二中に女子生徒がいないという話をしていたところだけど」
「愚物」
吐き捨てるようにお千は言った。
あまりの言い草にお清は腹を立てた。
「誰が愚物よ? いい加減に漢文の読み下し文みたいな話し方は自粛しなさい、この痴れ者め。文明開化の時代にそぐわない。自己批判を要求する」
「君の民権運動壮士の如き話し方は不快なりと僕は君に忠告す」
と、お千。
どうして、あたし、この子たちと友人づきあいしているの?
ヘーボンは軽い頭痛をおぼえた。
「二中の姫って何さ?」
「曰く、二中に姫と呼ばれる美少年あり。そして、僕は彼の教室に向かいて自ら確かめたり。百聞は一見に如かず。まさしく彼は傾国の美姫。夢幻の如き妖しき美。彼の名は山田武太郎なり。おのれの美しく妙なる容姿を誇りて美妙と号す。綽名はミタエちゃん」
ヘーボンの平凡な感想。
「やれやれ、物見高いね、お千さんは」
でも、お清は違った。
「面白い。ならば、妾も見に行こうぞ。当たって砕けろの革命精神」
「別にいいけどさ」
友人づきあいとしてヘーボンも二中の姫を見物に行くことにした。
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昼休みの時間はまだ続く。
お千の案内で、ヘーボンはお清とともに二中の姫と呼ばれるミタエちゃんなる男の子のいる教室へと向かった。
噂のミタエちゃんを見てヘーボンも衝撃をうけた。
「これが二中の姫・・・」
「甚美なり。見る者をして幻想詩の世界を想起せしむるや。美しく妙なり」
お千が自慢する。
もちろん、ミタエちゃんが浮世離れした美少年であることについて、彼女に何の功績もない。
それはそれとして、ヘーボンは認める。
「姫と呼ばれるだけはある・・・」
「ぎゃっ」
悲鳴のような声をあげてお清は腰が抜けたようにへなへなその場で座りこんだ。
心配したヘーボンは声をかける。
「どうしたの?」
「革命戦士には恋など不要と思っていたのに」
「恋?」
「アジア人民戦線による革命に必要なのは、金と銃と人質か、と」
「巡査さんを呼ぶ」
「いや、待って、ヘーボン、話せばわかる。来る。きっと来る。貞子はきっと来る」
「貞子って誰?」
「そいつは妾も知らない」
「おい」
「恋の瞬間は唐突に訪れるのカナ? どうやら妾は彼にラブしたらしい。どうしよう?」
「巡査さんに来てもらってあんたも貞子も引っ張ってもらう」
大声で騒ぎすぎ。
ミタエちゃんこと山田少年が振り向いて声をあげた。その容姿に見合う可憐な響きがあった。
「ちょっと、そこ、うるさいよ」
ヘーボンとお清は謝る。
「すみません」
「ごめんなさい」
山田少年が頬をふくらませた。
「声が大きすぎだよ。話している内容もみんな聞こえている。僕は別に見世物じゃない」
山田武太郎。
慶應四年(一八六八年)生まれ。
本編『明治十四年の政変・前夜祭』の主人公。
自分のことを美しく妙なると言ってしまうぐらいの美少年。
後の人気作家・山田美妙。
十代で新聞に小説を連載し、活発な束髪女子たちに追いかけまわされることになる。
清は言った。
「ヘーボン、声大きすぎ、静かにして。ほら、山田くんだって迷惑だって言っているでしょう? あたし、友達として恥ずかしいわ」
「え? ちょっと待て」
頭をぶん殴られたような衝撃をヘーボンは受けた。
いつも革命戦士気取りのお清が一人称として【妾】でなく【あたし】を使った。
理解が追いつかなかった。
お清はしなをつくりながら話す。
「初めまして、山田くん。あたし、伊勢屋のお清と言うの。伊勢谷清。どうか、よろしくお願いします」
何をよろしくしたい?
「そこの友達のヘーボンとお千が山田くんのことを凄い美少年だって騒いでいて、見に行こうって言われて、あたしも何かついてきてしまいました。うるさくして本当にごめんね。でも、せっかく同じ学校になったんだし、あたしの顔と名前を少し覚えてくれたらうれしいな」
こいつ、ハッタリだけで地球を回すつもりか?
間違いない。
お清が普通の娘の言葉遣いで話している。いつもの民権運動コトバではない。友人としてヘーボンやお千がいくら忠告してもやめなかったのに。
やはり革命はお清にとって単なるファッションだったのか・・・
理解が追いつく。
ヘーボンは拳をにぎった。食らわしてやらねばならぬ、しかるべき報いを。
「ちょっと、お清さん?」
「今、いいところなんだから、静かにしなさいよ、ヘーボン」
山田少年は首をかしげた。
「ヘーボン?」
お清は説明する。
「この子、本当の名前はタイラ・ナミって言うのよ。漢字で平凡の凡って、ナミって読む。苗字と名前を漢字で続けて書いたら、平凡になるの。だから、友達は、みんな、彼女のことをヘーボンって呼んでるの」
「面白いね」
山田少年はクスリと笑った。
うっとりした目つきになってお清は、さらに続ける。
「あたしも凄く面白いと思う。何か、あたし達、気が合うね? 初めて会ったのに、ぜんぜん初めて会ったという気がしない。本当に二中に貴方みたいな人がいるなんて想像していなかった」
見てらんない。
そう思ったのはヘーボンだけではなかったようだ。
長身のお千が小柄なお清の背後からことに両手を回して抱き上げる。
「何するのよ?」
「僕は君の醜態を看過することをもって君の友人と称すこと能わず」
強制退場処分。