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遠くからアンジュを呼ぶ声が聞こえた。すると「あら? もうそんな時間なの。ごめんなさいね。私行くわ。また今度食事でもしながら話ましょうね」と笑顔で言って颯爽と呼ばれた方へと歩いて行った。
「アスレイは大丈夫なの?」
「俺はあとセルディオと今回の任務について話せば終わる」
「それじゃあ早く行ったほうがいいわね。セルディオ隊長が待っているわ」
「そうする……けど先にイリスに聞きたい」
「なに?」
「イリスのこのあとの予定は?」
「ブルエイダで本を買って、そのあと紅茶も見に行こうと思っているわ」
「そうか。俺も一緒に行ってもいいだろうか?」
「ええ、もちろんよ。それじゃあ談話室で待っているわ」
「ああ。すぐ終わらせる」
そう言うとアスレイは心なしか早歩きでセルディオ隊長が待っているであろう部屋へと向かった。私はその後ろ姿を見送り、談話室へと向かう。その途中の曲がり角で聞こえてきた会話に思わず立ち止まる。
「アスレイがね、すっごくかっこよかったの! わたしを危険から守ってくれたんだから! そのときに、こう抱き寄せてくれて「大丈夫だ」っていい声で言われたからどきどきした!」
「いいなあ。わたしも守ってもらいたあい」
「ねー。あ、でもアスレイって付き合ってる人いるんじゃなかったっけ?」
「ああ、いるね。だけど今日見た感じアスレイはあんまりその人のこと好きじゃないと思ったよ」
「そうなの?」
「うん。なあんか冷めてる感じがした。それにわたしと違って守ってもらえる感じでもなくてさ、なんか渡されてはいさよならってされてた」
「えー、そうなの? それは可哀想。あ、でもそれじゃあアスレイに見初めてもらえるチャンスってことだよね」
「そうなの! だから積極的にいこ! 誰がアスレイの恋人になっても恨みっこなしで!」
彼女たちのわいわいと弾んでいる会話を聞きながら、壁に背を預ける。
なるほど。私とアスレイが付き合い始めてすぐの頃にセルディオ隊長たちが言っていたのはこれのことだったのか。
『ディアーズ。グレイヴはお前に恋をしてからモテるようになった』
『それはもう異常なほどに、だ。いいか。誰が何を言っていようが気にするなよ』
『『グレイヴが好きなのはディアーズ、お前だからな』』
そうセルディオ隊長たちが話してくれたのを聞きつつ私は思ったのだ。
アスレイは元々綺麗な顔立ちをしていたし、背格好だって男らしくてモテる要素がたくさんだと。まあ、最初に出会ったときは顔や身体中が傷だらけの死に急ぎ人ではあったけど。
「……」
確かにね、最初の頃のアスレイは人によっては小汚なく感じたかもしれないし弱く見えていたかもしれない。
『怪我はないか』
血を流し傷だらけの彼の声が頭の中で響く。
だけど私の中でアスレイは戦闘面で強いと思っているし、ずっと綺麗だとも思っている。特に藤の花を彷彿とさせるあの藤紫の瞳が好き。
懐かしく温かい……そう思いながらその瞳を見つめていて気がついた。
淋しい、と。
置いていかないで、と。
瞳の奥で泣くあなたがいることに。
「きっと私、だから気づいたんだわ」
床を見つめ、声となった小さな言葉を自身の中へと戻した。
***
誰もいない談話室でアスレイを待つこと一時間。考えることはさっきの彼女たちのこと。
さっきの会話を聞いて、彼女たちはアスレイのココロについて知らないような気がする。
「あ……」
そういえば最近この国以外の特魔力者たちが囮になることに積極的だという話を聞いた。もしかすると彼女たちもそうかもしれない。それでここへ来て間もないのなら、アスレイについての情報に偏りがあってもおかしくない……おかしくはないけれど、でもアスレイを呼び捨てにするくらいにはここにいるはずだから知らないはずがないと思うのが正直なところ。
「んー」
少し、もやもやとする。
こういう気持ちを抱くのは前世を含め、初めてだ。だからこういうときどうしたらいいのかがわからない。ただ言えることが一つ。
「アスレイに会いたい……」
そう呟いた瞬間、どこからともなくハートが飛んできた。そして私の頬に寄り添うようにそっとくっついたハートを両手で包むと、満足そうに重さが増していく。
艶やかで温かなハートを撫でると、先ほどのもやもやとした気持ちが消えていることに気づいた。
「ありがとう。あなたのおかげで気持ちが楽になったわ。あら?」
少し遠くのほうからアスレイの足音が聞こえてくる。その音に私が入り口を見ると、慌てたように駆け足の彼が談話室へと入ってきた。
「イリス」
「わっ……! え? 突然どうしたの?」
アスレイに名前を呼ばれるのと同時に抱き寄せられ、驚きで少し固まってしまう。そして問いかけながらそっとアスレイの背に腕を回す。するとハートは私の見える位置で浮いてくるくると回っている。
「アスレイ?」
「俺も、会いたかった」
「え……あ、もしかして聞こえた?」
「聞こえた。イリスが俺に会いたいって言ってくれて嬉しい。だけど俺より先にハートがイリスのところへ着いたことは不服だ」
アスレイのその言葉にハートがぷるぷると動き、彼の頭の上で跳ねている。もしかするとハートもアスレイに何かを言っているのかもしれない。だけどアスレイ自身は気にする様子もなく話続ける。
「最近任務が立て続いたから会えなくて、イリスが足りない」
「それじゃあ今日は帰ったら一緒にご飯を作ったり、たくさん話したりして過ごしましょう」
「ああ」
アスレイは私を強く抱き締めてから離れて、嬉しそうに頷いた。宙に浮いているハートも嬉しそうに揺れていて笑みが溢れる。
このあとブルエイダで探していた本が購入できてはしゃいだ私に、アスレイのハートがくっついて服の柄のようになっていた。