勇者ルカ4
旅立ちは翌日だった。わずかでもためらってはいけない、そんな気がしたのだ。捨てられないものなどもう持ってはいない。世話になった人々に挨拶をすると惜しまれたが、引き止められはしなかった。冒険者が町を出るなど珍しいことではない。
ただアンシーが同行を希望した。
「私も西の町へ向かおうと思っているのです」
アンシーは旅を続けるシスターで、故郷は神聖都市だという。
「神聖都市は神の住まう場所です。わたくしのようなシスターも含めて、多くの聖職者がおります。神の加護を受けて魔物はほとんど現れず、土地も富んでおりますから、みな平和に暮らしているのです」
早朝に旅立ち、共に歩きながらアンシーはゆっくりと語った。悪くない旅だ。二人の度は二度目だったが、一度目のことはあまり覚えていない。燃え尽きた町からの旅立ちに、まだルカは落ち込んでいて、人形のように会話もなく歩いていたのだろう。
「ではなぜ、旅を?」
ルカは生まれた村が平和であれば、そのままそこで生涯を全うしただろう。平和な故郷を出る気持ちがわからない。
「平和なばかりでは人の力は失われます。そして、いずれ魔王の力は神のもとにまで届くだろうと言われていたのです」
驚き、ルカは目を丸くした。
「ではまさか、魔王を討伐する旅を?」
するとアンシーは眉を下げて首を振った。
「いいえ、さすがにそれは無茶だと知っています。ただ世界の状況を知り、討伐の助けができるのではないかと思ったのです。わたくしと同じ考えで、神聖都市から旅立った者は多かったのですよ」
「なるほど……」
アンシーは弱くはない。旅をしてきただけあって、その見た目から想像もつかない腕力を持っている。落ちた木切れ一本でも、弱い魔物程度は倒せるのだ。
それに何より、魔物の習性をよく知っている。人を視覚で認識しているのかそれとも音か、あるいは匂いか。動きはどのようになるのか、足は早いか、遅いか、どういう場所を嫌がるのか。
「確かに、アンシーの魔物の知識はすごい。広めれば討伐の力になるだろう」
そういった知識を使って、魔物をあしらいながら旅をしてきたのだろう。
そしてアンシーの力はもうひとつある。
「ルカ様!」
「あ、すまない、少し数が多くて避けきれなかった」
さきほど交戦したのは吸血ウルフと呼ばれる魔物だ。ウルフと言うには小さな個体なのだが、集団で襲いかかり、少しずつ人間の皮膚をかじり取っていく。真正面からの戦闘を避ける、実にいやらしい相手だ。
ルカはそれらをすべて倒した。忍耐力と素早さがなければ到底できない芸当だ。しかし相手が強いとみるや逃げ出す魔物でもあるので、殲滅を狙ったために傷を負ったとも言えた。
「黙って、じっとしていてくださいませ!」
アンシーはルカをそう叱ると、傷口に触れてささやくように祈りを捧げた。
すると出血は止まり、開いていた傷口が閉じる。痛みはまだ続いているのだが、ずいぶん和らいだように感じられた。
「ありがとう。やはり君の回復魔法はすごいな……」
「回復魔法なんて呼べるものでもありませんわ。傷口を塞ぐだけなのですから」
「そこがすごいんだ。普通、回復魔法に即効性はないだろう?」
回復魔法の使い手は少ない。集落にどうにか一人いるかという程度だ。当然大事に囲い込まれるので、冒険者として旅をしているなど、めったに見られるものではない。
そもそも通常の回復魔法は「治癒力を上げる」という程度のものなので、余裕のない戦いの中で使われるものではないのだ。集落の中にいて、病気や、骨折などの長引く怪我の治癒を促進するのに向いている。
冒険者が使う回復手段としては、血止めの薬草などが一般的だ。ルカも装備とともにそれらを買い揃えたが、アンシーがいる限り使う必要がなさそうだ。
「ええ、旅には役立ちます。冒険者の死因に、失血死というのが案外多いようですから。……ただ、」
「なにか問題が?」
アンシーはうつむいて表情を陰らせた。
「通常の回復魔法ではないので、異端ではないかと言われることが多いのです。わたくしが神職になければよかったのですが……」
「ああ」
回復魔法のみが神のみ技で、攻撃魔法をはじめ他の魔法は悪魔のものであるという風説は根強い。一般市民ならまだしも、神職者の中では問題とされるのだろう。
「ですので、できるだけ内密にお願いします。もちろん治療が必要な方がいらっしゃる時には、遠慮なくお呼びくださいね」
あまり言い回らないように、ということだろう。
ルカは頷いた。二人で旅をしている間は話す相手もいないし、もともと饒舌な方ではないので、わざわざ同行者の能力を喋ったりはしない。