勇者ルカ7
「ありがとう、勇者様!」
「勇者様!」
「ああ、これでようやく、何の心配もなく家族を弔うことができる……!」
「自分が自分でなくなることに怯える必要もない!」
「勇者様、ありがとう!」
「ありがとう!」
人々の喜びの声は大きく、ルカは「自分は勇者ではない」とは言い出せなくなった。彼らは救いの手を欲している。ルカが伝説の勇者ではなかったと知れば、また不安な日々を送ることになるだろう。
死王を倒したと言っても、この大陸から魔物が消えたわけではない。
そんなことは彼らもわかっているはずだ。わかっていながら、一時の喜びに浸りたいのだ。苦しいその心に現実を突きつけようとは思わなかった。
だから勇者ルカは彼らに手を振り、次の大陸へと渡った。
もっと魔物を、そして魔王を倒さなければ、人々が完全に救われることはないのだ。
そうしてどこか人々から逃れるように、ルカとアンシーがやってきたのはラッカニアと呼ばれる国だ。鬱蒼とした森が多く、小さな蟲たちが寄り集まって人間を襲う。
森のそばにある村の入口で、ルカは見慣れないものを見つけた。積まれた木材の間から、ほそぼそと煙が上がり続けているのだ。
「これは……?」
「ああ、蟲の嫌う煙ですよ。あんたがたも浴びていった方がいい」
毒性のある煙をまいて蟲を退けているのだ。
それらの毒はわずかながら人間にも害を及ぼす。しかし体の小さな蟲へは強力に作用するため、蟲に食われたくなければ甘んじて毒を浴びる他なかった。
「蟲はそんなにも、その、」
「外の人にはわからんだろうがね」
村の住人である男は、疲れたように苦笑して言った。
「小さな蟲ごときと思うだろうが、昨日も旅人が食われた。五人組の、旅慣れた様子だったんだがね。まず小さな蟲が目に飛びついて視界を奪う。蟲にとっちゃ人間なんてのは弱点だらけだ。助けを呼ぼうと開いた口にも入り込む。あとは人知れず、少しずつ食われていくだけさ」
「……」
ルカは想像しただけでぞっとして、沈痛に首を振った。恐ろしく大きな魔物よりも、そういった蟲たちの方が死に様はひどいものになりそうだ。
「それは、通常の蟲とは違う?」
「そう思いたいな。こいつらが増えてから、昔からこの国に本来いた蟲はいなくなった。知ってるか? 蟲がいなくなるとな、作物が実らなくなる」
「……俺の両親は農民だったので、聞いたことがあります」
作物を食い荒らす蟲を駆除しすぎると、なぜか作物が実らなくなる。そのことは誰に教えられたかわからないが知っていた。
「こいつらが食えりゃいいんだが」
そうはいかないということだ。
魔物は肉でできていない。食べたとしても腹に溜まらない。消化もできずただ排出されるだけだった。
「この国に魔王がいるということは?」
「さあ。だが少なくとも、この国の蟲を支配しているのは、蟲王ギルビートって大層な名前のやつだ」
作物の実りが減り、集落外での活動を制限された人々には限界が近い。このまま冬になれば餓死者が出るのは避けられないだろう。
それをすぐさまどうにかすることはできない。ルカにできるのは魔物を倒すことだけだ。
「行こう」
だからすぐに決意した。
しかし蟲王の縄張りは森の最奥であり、容易にたどり着くことはできない。何よりルカは蟲との戦いに慣れていなかった。
一匹一匹は小さな蟲だ。それにやられることはない。だが倒そうとすれば苦労する。ならば無視をして進めばどうなるかというと、気づけば蟲が体中に取り憑いている。動きを制限される。特攻した一匹が目を突き、叫ぶために開いた口から次々に入り込んでくる。
とても戦いというものではない。
まるで巨大な一匹に見える蟲たちに剣を突き立てても、形をなくして散り散りに逃げていくだけだ。ルカは蟲に比べて大きく鈍重な剣で、小さな虫を一匹一匹と倒す必要があった。
毒煙のようなものがあれば簡単に殲滅できる。だが蟲王までの道のりは長く、必要なだけの道具を持ってなどいけない。ルカは小さな蟲たちを剣で斬り捨てる他なかった。小さな切っ先が小さな蟲の腹を割く。一振り一振り、針に穴を通すような作業だ。
しかし繰り返し、繰り返すうちに、気づけばルカは一振りで多くの蟲を屠るようになった。意識せずとも剣の動きは繊細になり、ルカは無心で剣を振るうことができた。それには百を超える日々が必要だったが、確かに前に進んだのだ。
蟲の中には硬い殻をまとったものもいる。それらには最初苦戦したが、そのうちにどこを斬ればよいか、はっきりと見えるようになった。何にでも弱点はある。ルカはそう学んだ。
蟲との戦いの中で倒れることもあった。目をやられ、あちこちをかじられ、蟲に包まれてもう終わりだと思ったこともある。
だが目を覚ませばアンシーがいた。
「なぜ……俺は、生きているのだろう?」
「ルカ様、あなたは生きるべき方なのです」
アンシーがいると蟲たちはなぜか近づいて来ない。ルカは、アンシーこそが神に選ばれたものなのだろうと思った。そのアンシーに選ばれたのが自分なのだ。
成さねばならない。
そうしろと言われているのだ。
何度倒れても立ち上がった。立ち上がるたびに思いは強くなった。そうしろと、世界に言われているのだと信じた。