勇者ルカ6
勇者ルカは、ついに死王の城にたどり着いた。
ゲシュニ大陸はかつて美しい場所だった。温暖な気候の中で多くの動植物が生まれ、この世の春を謳歌していたのだ。
しかし死王グラヴィドゥの支配下となり、輝かしい命たちは呪われた。おぞましい死体の跋扈する地獄へと変貌したのだ。人々は嘆いたが、剣の通じない魔物たちには太刀打ちできない。
農作物までが魔物に転ずるに至り、国力は落ち、他国の魔術師を呼ぶ力すら失われた。
「死王グラヴィ……」
舌が絡んでしまい、ルカは途中で言葉を切った。歴史書などないだろうに魔物たちは妙に呼びにくい名前をしている。
それさえ忌々しさに変えて、叫んだ。
「この国を、これ以上穢させはしない!」
死王は多くの屍体をつなぎ合わせた悍ましい姿をしている。いくつもの骨が歪に組み合わされた足、腐り落ちた腕で膨れた体。とうてい生き物でない姿の魔物が、肉片の残った口を開いて告げる。
「フッハハ、ヨウヤク……キタカ、勇者……!」
「勇者だと?
死王の言葉にルカは眉をひそめた。
この国の現状に憤り、死王グラヴィドゥを倒しに来た。しかし己が勇者だなどとは思ってもいなかったのだ。
勇者とは、人々の希望のように囁かれる存在だ。人を守り、決して諦めず、魔物を、魔王を滅ぼしてくれる。はるか昔からおとぎ話にあった存在が、近頃、まるで実在するかのように信じるものが増えていた。
「俺は……」
「ルカ様」
そっと、ルカの背に触れたのはアンシーだ。そして力強い瞳を向けてくる。
(そうです。あなたこそが勇者なのです)
言葉にこそならずとも、そう語る瞳だった。
ルカは戸惑う。役立たずと言われてきた自分が勇者などという大層な存在だとは、全く考えたこともない。
だが、目の前には魔王の配下、四天の一柱。
倒さねばならない。
であれば今、今だけであっても、己は勇者とならねばならないのだ。
「……お前を倒す!」
ルカは剣を抜いて挑みかかった。魔力を持つ剣は、一振りすればビリビリと空気が震え、二振り、三振りとすれば金の光が弾ける。
死王グラヴィドゥは避けなかった。
しかしそれも、ルカの剣がはっきり雷をまとうまでだ。
「コシャクナ……ッ!」
刃の攻撃など死王には通じない。取り憑いた身が痛むだけで、敵を己のそばに引き寄せることができる。
しかし雷の魔法となれば、甘んじて受けるわけにはいかなかった。雷は死王の本体を貫き、魔素までを焦がしてしまう。
「くっ……!」
避ける死王に、だがルカも強くは攻められなかった。相手がアンデッドである以上、もっとも恐れるのは自分が取り憑かれることだ。それだけは避けなければならない。
ルカは目を凝らし、死王の正体を見つめようとする。霧のようなその本体が、いつそろりと忍び寄るかわからない。かといって、死王の動かす肉体も無視するわけにはいかない。
腐り果てた腕を避ければ、広がる腐臭にめまいがする。鼻の奥から脳、更に目までが痛くなった。
気にしないようにするにしても、難しい。剣を振るうための呼吸は変えられない。肺に毒が入り込む心地がした。
「落ちろ!」
力を込めて剣を振り下ろす。
何度も雷を呼ぶうちに、ルカは己が雷の主であるかのように思えてきた。今、今だ。呼べば応える。呼べば来る。
「グアアアアアアアア!」
特大の雷が死王の腐った体を貫いた。光の粒子がその体に収まりきらず、びりびりと空気を伝って本体までを焼いていく。
「ユルサヌッ……ユルサヌゾ! ソノカラダヲ、ヨコセ!」
「……!」
ざざざざざざと羽虫が蠢くように、闇の流れる音が聞こえた。
周囲の光が消えていく。ルカは見えない世界で闇雲に斬り、もがいた。雷を打てば闇は遠ざかるが、すぐにまた近づく。永遠に同じことを繰り返しているようだった。
「はあっ、はあっ!」
形さえない相手と違い、ルカは人の身である。息が乱れ、足元がおぼつかなくなる。それでも呼吸を整えて地道に攻撃を続けた。雷、衝撃、己の起こしたそれにすら揺らぐ。
(俺は……)
やはり足りないのだ。
(俺は弱い)
無能な奴だと言われた、何度も、そのことを思い出した。だがこうして剣を振り雷を落とし、それをやめようとは思わないのだった。
(追い詰めている!)
姿のない相手は、だが無限ではない。
その力を奪っている。確かに奪っている。そう確信した。終わりが見えた。すぐそこに、あるのだ。この悍ましい魔物を倒してこの大陸に平和を
「……っあ」
間の抜けた声が漏れた。
勝利が見えた、それを信じた瞬間、生まれた隙に入り込んでくる。死王の笑い声を聞いた気がした。
ルカは黒い霞が自分の肌を覆っているのに気づいた。
一瞬だけ意識が明瞭になる。自分が負けるということを、最後の最後に理解させられた。もはや逃げられない。
そのはずだった。
「グッ、ガアアアアアアア!」
肌に触れた闇が燃え上がった。
「は……っ?」
何が起こったのかわからなかった。まるでルカの体を、なにか不思議な力が守っている、そう感じられた。
なにもわからなかったが好機だ。ルカは特大の雷を呼び、ひるんだ死王に叩きつけた。
「マ、オ、……!」
闇が、死王の本体が光に消し飛ばされる。最後に仕える相手の名を叫ぼうとしたか、呆気なく死王は姿を消したのだ。
呼吸を整え、ルカはまだ呆然としている。
「どういう、ことだ……?」
「ルカ様」
「アンシー、死王は……」
「倒されました! ああ、やはり、ルカ様こそが勇者!」
「そんな、ばかな」
「いいえ、いいえ! わたくしは見ました。ルカ様の全身を守る光を。強い神の加護を!」
「……」
そうなのだろうか?
ルカは訝しく思った。本当にそんな力が自分を守っているのだろうか。だが、死王を退けたことは確かだった。
ゆっくりと体を伸ばし、息を吐く。
(そうだ、俺は、勝ったんだ)
ようやくやってきた現実感に、ルカは高揚し、拳を握った。
あの恐ろしい魔物を倒したのだ。




