夢の始まり②
階段を降りると、お兄ちゃんが待っていた。
「制服、よく似合ってる。」
エスコートするようにお兄ちゃんは私の手を取った。そのまま玄関を出ると、私の幼馴染みで同い年の、エヴァン・リシャーラが護衛騎士を引き連れ、私を待っていた。
「おはよう、ミリー。」
ミルキーホワイト色の詰襟に、同じくミルキーホワイト色のスラックス姿で、エヴァンは爽やかに挨拶をした。
アンティックゴールド色のベリーショートヘアーとアクアマリン色の瞳を持つ彼は、隣に馬車二台が待機していることも相俟って、童話に登場する王子様そのものだった。
「今日は一段と可愛いね。」
「ありがとう。エヴァンも格好良いよ。」
エヴァンは何かに付けて私を可愛いだのなんだのと言ってくれる。それはまるで全身で愛情表現をする忠犬のようで、幼い頃、私はエヴァンをよぉしよしよしっと頭を撫でていた。でも今は私よりも背が高くなってしまい、エヴァンをよしよしすることはなくなった。ちょっと寂しい。
「エヴァン様。」
お兄ちゃんが私を背にしてエヴァンの前へずいっと立った。
「くれぐれも、僕の可愛い妹をよろしく頼みますよ。」
「もちろん。ミリーのことは、ミゲルお義兄さんの分まで、ちゃあんと面倒を見ますから、ご安心ください。」
にこやかに火花を散らすお兄ちゃんとエヴァン。
二人が会話する場面はゲームでは一度もなかったはず………。ということはやっぱりここはゲームの世界じゃないんだ!
それに前々から思ってたけど、二人って顔を合わせる度にニコニコ話してて、本当に仲が良いなぁと思う。
「………で、いつまで手を握ってるつもりですか?」
エヴァンがお兄ちゃんの手を指差した。
「あ、ほんとだ。」
確かに、と私はパッとお兄ちゃんの手を放した。お兄ちゃんの手が宙に浮く。
「それじゃあ、元気でね、お兄ちゃん。月に一回、必ず帰るから。」
そして私はお兄ちゃんをぎゅっと抱き締めた。
「………うん。」
お兄ちゃんは私の肩に顔を埋めて強く腕を回してくれた。なんだか擽ったい。
「お母さんも、元気でね。」
片方の腕を広げて、お母さんも一緒に抱き締めた。
「それじゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
「いってらっしゃい!」
私はエヴァンの助けを借りながらトランクケースを馬車に積み、もう一台の馬車へ彼とともに乗り込む。窓から身を乗り出し、馬車に揺られながら二人が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
ここ、リシャーラ領はヴォクトルと呼ばれる国の端に位置する片田舎だ。その名の通り、エヴァンの家―――リシャーラ家の領地で、王都から馬車で片道半日以上かかる。
王都に程近いフレスチ学園は、私とエヴァンのような、学園から遠くに暮らす生徒のための寮が備わっていて、私たちは学園に通う二年間、その寮で生活することになっている。
でもエヴァンはリシャーラ家の嫡男だ。二年間ずっと領地に帰らないわけにもいかない。そのため月に一度、リシャーラ領に戻ることを条件に、彼はフレスチ学園での寮生活をリシャーラ家に認められた。
そのことをエヴァンから聞いた私は「私も一緒にいい!?」と挙手したのだ。「もちろん!」と彼は快く承諾してくれた。本当に優しい。
故郷との別れの余韻に浸りながら、しばらく馬車に揺られていると、ふと『TRUE LOVERS』のことが頭を過った。
二周目以降は魔法科に入学できるけど、一周目は普通科に入学する。通称、幼馴染みルートだ。
右斜め向かいに座るエヴァンが口を開く。
「科は分かれたけど、何か心配事があったら、すぐ俺に言うんだよ?」
目の前にいる幼馴染みの顔から一周目のあれやこれやが私の脳内を駆け巡り、頬が一気に紅潮した。そんな私の意味不明な反応にエヴァンは面食らう。
「ど、どうしたっ? 悩み事っ?」
「なななんでもないっ!」
そもそもここはゲームの世界じゃない! そんな展開にはならない!
絶対ありえないと私は脳内の幼馴染みルートを打ち消した。そしてその根拠となる話題をエヴァンに振る。
「悩み事があるのはエヴァンのほうでしょ! 学園に通う二年間で、婚約者を見つけないといけないんだから。」
途端にエヴァンの表情が曇った。
爵位のあるリシャーラ家、その跡取り息子のエヴァンには許嫁も婚約者もいなかった。
リシャーラ領は辺境の地にあり、爵位を持っている家は殆ど王都周辺に住んでいるため、都会で不自由なく育った息女がわざわざ片田舎に嫁ぎに行きたいとは思わないから。………というのを以前、エヴァンから聞いたことがある。
「………俺はそんなことのために入学試験を頑張ったんじゃない。」
エヴァンは揺れる馬車の中、すっと立ち上がり、私の右隣に座った。
「俺のあげたコンパクトミラー、持ってる?」
「うん、持ってるよ。」
どうして唐突にそんなことを聞くのか私は首を傾げながら、今朝と同じように、左隣に置いてある鞄からミラーを取り出した。
………んん? よく見るとこれ、なんか見覚えが………、―――あっ!?
『TRUE LOVERS』において、各攻略ルートのエンディング3種類を終えて完全クリアするごとに獲得できるアイテムがある。そのアイテムはトロフィーと呼ばれ、ゲーム本編に直接関わるものではないけど、やり込み要素として隠されたものだ。
そして私の手にするこのコンパクトミラーこそがまさにそれ。幼馴染みのエヴァンルートを完全クリアした際に獲得できるアイテムなのだ。
当然だけど、完全クリアには攻略対象者の好感度がマックスということも含まれている。
どうしてそのようなものを私が持っているのかというと、私の15歳の誕生日にエヴァンからプレゼントされたからだ。
つまりエヴァンは私のことを―――………、いやそれはさすがにないか。
先程駆け巡った幼馴染みルートがまた過ったけど、エヴァン本人から今までそのような素振りを一度も見せられたことがない。
「俺、頑張るから。」
いつの間にか彼のアクアマリンの瞳が真っ直ぐ私を見つめていた。
なんとなくエヴァンの雰囲気に違和感を覚えるけど、会話の流れからして『婚約者探しを「頑張る」』ということだろう。私は「頑張って!」とその肩を叩いた。
「ミリー、俺は………、」
コンパクトミラーを持つほうの私の手にエヴァンの手が重なる。
「エヴァン………?」
なんだかよくわからない空気を察したそのとき―――
ぐぅ~~………
間の抜けた音が鳴った。………私のお腹から。
「あっいやっ、これはっ、そのぉ………、、」
「ぷっ、あははっ!」
吹き出すように笑うエヴァン。
「昼食にしようか。といっても、簡単なものしかないけど。」
そう言ってエヴァンは、私の手を放し、先程まで彼が座っていたほうのベンチシートにあった籠を腿の上に移した。そして中から包みを取り出す。
エヴァンからどうぞと手渡されたそれはサンドイッチだった。
「美味しそう!」
私は早速手に取り、包みを剥き、一口頬張る。トマトのジューシーさ、レタスのシャキシャキとした音、少し厚めに切られたハムの塩気が口の中いっぱいに広がった。
******
昼食を取ってからもミリーと他愛のない話をしていたが、馬車の揺れを心地良く感じてしまったのか、彼女はうとうとし始めた。
「寝ていていいよ。まだ当分着かないし。」
「ん………ごめん………、そうする………。」
ミリーの瞼が静かに閉じられていくのを、俺は静かに見守る。やがて彼女から小さい寝息が聞こえてきて、俺は息をひとつ吐いた。
馬車から見える景色は畑から徐々に住宅街へと変わっていく。活気も段々増えてくるだろう。
俺はリシャーラ領領主の嫡男として、幾度となく王都を訪れていた。そのため馬車から見える景色に対して何も思うことはなくなったが、しかしミリーは違う。彼女は一度もリシャーラ領を出たことがない。この間初めて馬車に乗せたとき、それはそれはとても感動していた。
王都の活気に触れたら、ミリーはどんな反応を示すのだろうか。
想像するだけで、俺の口元が綻ぶ。
俺は、学科こそ彼女と分かれてしまったが、ミリーの初めての体験を共にできることに喜びを噛み締めていた。
******
「ミリー、着いたよ。」
エヴァンの声が聞こえ、私は目を覚ました。車内は暗く、ほんのりとした明かりが灯されていた。
顔を上げると、エヴァンの顔が真上にあって。
「ごっ、ごめん!」
私はいつの間にかエヴァンの肩に頭を預けていたらしい。身体を慌てて起こした。
「よく眠れたようでよかった。」
一応、涎を彼に付けていないか確認する。染みひとつない制服に、私は安堵した。
馬車は停まっていて、でもエヴァンに馬車を降りる気配がなく、私は窓から外を覗いてみた。
空がオレンジから紫へと移り変わっていた。そして目の前には巨大門扉が聳え立っていた。下から照明が当てられているため迫力が増して見える。
外から話し声が聞こえてきた。どうやら御者が警備員らしき人と手続きを取っているようだった。
間もなく警備員が私たちの乗る馬車のドアをノックした。エヴァンが扉の出窓を開けると、警備員は馬車の中を窺いながら尋ねてきた。
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「エヴァン・リシャーラです。」
「ミリー・ジークムントです。」
「………はい、どうぞ、お入りください。」
警備員は近くにいるもう一人の警備員に合図をした。すると、大きな重い金属を引き摺るような低い音が聞こえ、馬車は動き始める。
門扉の中は林だった。その林もすぐに抜けて現れたのは、城を思わせるような壮大な造りをした建築物だった。
それは、どこからどう見ても、フレスチ学園だった。ゲームのスチルで見たまま。
今日目が覚めてからここに来るまで『TRUE LOVERS』の世界を否定する要素がどこにもなかった。人も景色も、私の目前にある学園も、何もかもが、ここが『TRUE LOVERS』の世界であると主張していた。
でもゲームの世界に転生するなんてことは現実では有り得ない。ゲームは現実じゃない。
それじゃあこれは………、走馬灯?
私は走馬灯を見たことが一度もない。馬が走るような速さで思い出が再生されるらしいけど、でも実際はこんなにもリアルなのかもしれない。………って、そんなわけないか。
「お手をどうぞ。」
先に馬車から降りたエヴァンが左手を差し出す。
「ありがとう。」
私はエヴァンの手を取りフレスチ学園に降り立った。
ユウとしての記憶が甦ったけど、“ユウ”も“ミリー”も、どっちも“私”だ。忘れていたことを思い出しただけ。そして思い出したことには何か理由があるはずだ。
ゲームは一年の間で『本当の恋人』を見つける物語だった。
もし本当に走馬灯だとするなら、ミリーとしての人生は来年で終わってしまうかもしれない。そうなったら今までの15年間はなんだったのかと虚しくなる。
急に背筋がゾッとし、私は思わずエヴァンの手を強く握ってしまった。するとエヴァンは優しく握り返してくれた。
エヴァンの手はとても温かかった。
私は目を瞑る。
現実がどうなるかなんて誰にもわからない。だったらとことん好きなように過ごしてやろうじゃない!
目を開け、フレスチ学園を見上げる。
そして私は決心した。
私は私のやるべきことをやるだけだ!