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10-(3)

 朝食をとり、老夫婦の畑仕事を手伝ったファンヌは、彼らに学校へ行ってくると伝えた。恐らく、帰りは夕方になるだろう。


「いってらっしゃいませ」


 老夫婦に見送られ、ファンヌは学校までの懐かしい道のりをエルランドと肩を並べて歩く。そして、老夫婦の姿が見えなくなったところで、すっと手をエルランドの方に伸ばしてみた。


 彼もすぐにそれを感じ取り、ファンヌの指に自分の指を絡めてきた。


「少し、以前よりも雰囲気が違うような気がしませんか?」


 ファンヌが口にしたのはパドマの印象だ。


 学校に向かっているこの時間、普段であれば通りに人が溢れている時間帯でもある。だが、今は、以前ほど人が多いように見えない。


「そうだな。人が少なくなったように見える。だから、賑わいが足りないのだろう」


 エルランドの言葉で、ファンヌも感じた。閉められている店が増えていることに。学校帰りに立ち寄ったパン屋が無くなっていた。


 少しだけ寂しい気持ちを背負いながら、学校までの道を歩く。


 学校に着くと、入口にある事務所に顔を出した。


「あら。ファンヌさんと……、キュロ教授ですか? 雰囲気がお変わりになられて、すぐにはわかりませんでした」


 事務所にいた事務員は変わっていない。ファンヌも変わっていない。変わったのはエルランドだ。


「マルクスの野郎に会いに来た」


 エルランドはマルクスに向かってだけは相変わらずの口調であった。


「パイヤル教授とのお約束ですよね。お聞きしております」


 マルクス・パイヤル。ファンヌも忘れていたが、それがマルクスのフルネームであった。それもエルランドがすぐに「マルクス、マルクス」と口にしているからだ。


「研究室にいらっしゃいます」


 許可証を受け取った二人は、真っ白い外壁に青い屋根の四階建ての建物の東側へと向かう。


『調薬』や『調香』の研究を行っている東側の独特の匂いがツンを鼻につく。慣れない者にとっては顔をしかめたくなるような匂いであるが、ファンヌにとっては心が震えるような匂いであった。


「なんだ、この階段。直ってるじゃないか」


 ギシギシと歩くたびに軋んだ音を立てていた階段が、新しくなっていた。木目がむき出しの年代を感じさせる階段であったのに、軋まないだけでなく、サーモンピンクのお洒落な色まで塗られていた。


「東には予算が無いはずなのに」


「てことは、予算がついたんですね」

 ファンヌがそう言うと、エルランドは面白くなさそうに、フンと鼻から息を吐いた。

 三階の一番手前の扉がマルクスの研究室である。


 ドンドンドン、とエルランドが乱暴に扉を叩けば「どうぞ」と穏やかな声が中から返ってきた。

「入るぞ」


「相変わらずだな、君は……。なんか、雰囲気が変わったような気がするが?」


 エルランドとファンヌを迎えてくれたのは、丸顔でおでこの広いマルクスだ。茶色の髪は少しくせがあるが、とにかくちょっとだけ広いおでこが特徴的である。


「気のせいだろ? それよりもお前の方が、おでこが狭くなって雰囲気が変わったんじゃないか?」


「おお、気づいてくれたか? そうなんだよ。『調薬』がうまくいってね……。まあまあ、立ち話もなんだから、そこに座れ。って、ファンヌか? 一年ぶりか? それ以上か? 元気にしていたか?」


 ファンヌに気づいたマルクスは懐かしそうに目を細めた。


「なんだ。ファンヌも雰囲気が変わったな」


 学校で研究に励んでいた頃のファンヌは、シャツにトラウザーズという格好が多かった。だが今日は、研究のために学校を訪れたわけではないので、お気に入りのラベンダー色のワンピースを着ている。


「ああ、そうだ。マルクス。お前に報告があったんだ」

 ソファに座りながらエルランドが口を開く。

「オレとファンヌ。婚約したんだ。ということで、これでお前に結婚できないとは言わせない」


 エルランドの隣に座ったファンヌは、思わず噴き出しそうになった。


(どうしてこのタイミングでその件を報告するの?)


 お茶を淹れようとしていたマルクスの背中が震えている。そして振り返り、目を大きく開いてエルランドを見ていた。


「え? 君とファンヌが? ファンヌは王太子殿下と婚約をしていた……。いや、解消されたか……。え? いや、ちょっと待て。とりあえずお茶を淹れる」


 お茶を淹れるマルクスの手が震えていた。よほど動揺しているのだろう。


 三人分のカップを手にしたマルクスがソファに座っても、まだ震えていた。


「そんなに驚くことか? 失礼なやつだな」


「失礼なやつって。君には言われたくないな。君の方がよっぽど失礼なやつだろう?」


 そう冗談を言い合っているうちに、マルクスの震えはおさまったようだ。


「それで、私の聞き間違えでなければ、エルランドはファンヌと婚約をした。つまり、結婚する予定があるということか?」


「そうなるな。結婚の予定がなければ婚約などしないだろう。本当はすぐにでも結婚をする予定だったんだが。いろいろ揉めて、婚約の状態だ」


 エルランドの隣にいるファンヌは居たたまれない。恐らくマルクスもだろう。何しろ、ここにいた頃のエルランドは、そのようなことを一切口にしない男だったのだから。


「そ、そうか……。とりあえず、おめでとう」


「ありがとうございます」


 エルランドが変なことを口走る前に、ファンヌが頭を下げた。


「ところでマルクス先生。今日は、こちらの図書館で論文を調べたくて来たのですが」


 少し惚気ているエルランドに任せては話が進まないと思ったファンヌが本題を切り出した。


「ああ、そうだった。それはエルランドの手紙にも書いてあったな。私が申請を出しておいたから、自由に使えるよ。これが許可証だ」


「ありがとうございます。って、エルさん。マルクス先生に手土産を渡すのを忘れていませんか?」


「あ、忘れてた」

 ファンヌの指摘によってエルランドは鞄からごそごそと荷物を漁った。

「ほら。土産だ。お前に頼まれた薬草」


「普通、手土産はすぐに手渡すものだろう? そういったところは、変わってないな」

 薬草を受け取りながら、マルクスは笑っている。

「お。さすがベロテニア。こちらではなかなか手に入らないような薬草ばかりだな。君たちは図書館へ行くのだろう? 私は早速この薬草でいろいろやりたいからな。その茶を飲んだら、さっさと出て行け」


「ちっ」

 苦々しく舌打ちをしたエルランドではあるが、その顔は笑っていた。


「ファンヌ。これ以上ここにいると、マルクスの邪魔になるようだからな。さっさと行くぞ」


「ああ、邪魔だ邪魔。特に色ボケしているエルランドなんて、見てられるわけがない。しっ、しっ。さっさとあっちに行け」


 追い出されるようにしてファンヌとエルランドはマルクスの研究室を出た。

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お読みいただきありがとうございます。
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