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そこでエルランドが驚き、眉毛をピクリと反応させた。
「リクハルドさんが、エルさんに振られたら、嫁にこいって言ってくれました」
「え? リクハルドに? あいつ……、四十過ぎてるぞ? いいのか?」
「だって、他に嫁に貰ってくれる人がいなければ、そうなりますよね? 今さらリヴァスに戻りたいとも思わないし。できれば、こちらでお相手を見つけることを希望しているのですが」
「だからってリクハルドは……」
「そう言うなら、婚約解消とか、変なことを言わないでください。エルさんが私をこちらに連れてきたんですよね。最後まで責任を取ってください……」
ファンヌの右目から、一筋の涙が流れた。エルランドははっとし、「すまない」とだけ口にする。
「だけどオレと一緒にいることで、君に迷惑をかけてしまうかもしれない」
「いいですよ。たくさん迷惑をかけてください。だって……、家族になるんだから」
ファンヌにとっては、かなり勇気を出してその言葉を口にしたつもりだ。恥ずかしくて、顔を伏せる。
「ありがとう」
エルランドの声が聞こえた。ファンヌも流れた涙をぬぐい、笑顔を向ける。
「エルさん。帰りましょう。帰っても大丈夫だって、大先生がおっしゃっていました」
「だが、あの『薬』は?」
エルランドとしても、国王から依頼をされた例の『薬』のことが気になるのだろう。
「はい、大先生に教えてもらいながら、成分分析中です」
「師匠が? そうか。ファンヌ一人では、まだ成分分析ができなかったな」
「そうなんですよ。ですが、わけがわからないのに、エルさんにあの『薬』を近づけるのは危険ですし。ということで、大先生に相談しました」
「うぐっ……」
エルランドが悔しそうに顔を歪ませた。本当に悔しいのだろう。
「エルさん。起きますか? 何か、飲まれますか?」
ふとファンヌは、同じようなことを体験したような感覚に襲われた。
(あ、あのとき……)
それは婚約を決めた日。あの日の朝、きっとエルランドはこのような気持ちでファンヌが目を覚ますのを待っていたのだろう。
「ああ、大丈夫だ。できれば、すぐにでも帰りたい……」
属性引きこもりのエルランドは、慣れない場所が好きではない。『研究室』か自室か。そこが彼の落ち着く場所なのだ。そこに『ファンヌの部屋』が追加されたのも、こちらに来てからのこと。
エルランドはしっかりとした足取りで寝台からおりた。
「エルさん、帰りましょう。ですがその前に、みなさんにご挨拶してから」
エルランドに関わる全ての人たちが、彼のことを心配していたのだ。あのエリッサでさえ「エル兄さま、大丈夫かしら。エル兄さま、大丈夫かしら」と何度も呟いていた。だが、エリッサ本人は無意識のようであった。
皆がエルランドのことを気にかけ、愛してくれている。それがファンヌにとって誇らしく思えた。
関係各所に顔を出した二人は、最後にオスモの『調薬室』を訪れた。オスモは薬草の在庫を確認しているとこだった。
「師匠。迷惑をかけたみたいで……」
「エルが私に迷惑をかけるのは、今に始まったことではないだろう? 君がリヴァスに行くまでは、よく変な草や薬を口に含んでは、蕁麻疹やら腹痛やらを起こして、何かしらやらかしていたではないか」
ファンヌはエルランドに機械的に顔を向けた。どこかでも聞いたことのある話である。
当のエルランドは顔中が茹で上がったかのように赤く染め上げ、口元を手で覆っていた。
「エル。今日のようなこともあるのだから、あまり知らない薬を口にしないように気をつけなさい」
オスモの言葉にエルランドは小さく「わかっています」とだけ返す。
『調薬室』を後にした二人は、夕焼けに背を押されながら、仲良く手を繋いで歩いていた。
エルランドの体調は良さそうである。顔色も良いし、足取りも軽い。
「エルさんも、人のこと、言えないじゃないですか」
ファンヌがそう口にした。
「昔のことだ。リヴァスに行く前の話だ」
エルランドは静かに言葉を返す。
「なんだかんだで、結局、私たちって、似た者同士ってことですよね」
ファンヌが立ち止まり「エルさん」と静かに彼の名を呼んだ。
小さな声でエルランドの耳元で何かを伝えると、二人の影はゆっくりと重なった。






