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7-(6)

 エルランドの腕をとったファンヌが、彼をソファの方へと連れていく。ショーンが一度部屋を出て行ったのは、気を利かせて二人きりにさせるつもりではなく、お茶とお菓子を取りに行ったのだろうと思われた。


 エルランドがドサッとソファに座ったのを見届けてから、ファンヌは彼の隣に腰をおろした。だが、先ほど読んでいた薬草事典がソファの上に置きっぱなしであったようだ。先にエルランドがそれに気づいて手にとり、テーブルの上に置いた。


「ありがとうございます」


 それでもエルランドは、隣に座ったファンヌに不満があるようだ。銀ぶち眼鏡の下の細い目を、さらに細くしてファンヌを睨んでくる。


「どうか、されましたか?」


「どうもこうもない。もう少し、オレの方に寄って座れ」


 どうやらファンヌが、いつものように人の半分ほどの間を空けて座ったことが気に食わなかったらしい。言いながら、エルランドの方からファンヌに寄ってきた。二人の間は隙間なくぴったりとくっついた。


「ちょっと、近すぎませんか?」


「普通だろう。兄上たちはいつもこんな感じだ。むしろ、オレの膝の上でもいいくらいだと思っている」


「それはちょっと……」


 これからお茶とお菓子を運ばれてくることを考えると、その姿を他の人に見られたくはない。


「だったら、これで妥協しろ。ちなみに兄上たちは、オレがいても義姉上たちにそうしている」


 どうやら、エルランドの二人の兄は、番である妻を膝の上に乗せているようだ。本当の話だろうか。


 ファンヌが顔をエルランドに向けると、目の前に彼の顔があった。鼻先が髪に触れるくらいの近さに彼がいる。


 ファンヌはすぐにエルランドから視線を逸らした。それでも横から、エルランドの熱い視線を感じ、ファンヌはつい肩をすくめてしまう。


「そうだ、ファンヌ。あの扉の前にあるテーブルはもういらないだろう?」


 耳元で囁くようなエルランドの声がどこかくすぐったい。もぞもぞと肩を動かしながら、ファンヌは彼の言葉を聞いていた。


 彼が言うテーブルとは、ファンヌがこの部屋を与えられた時に、エルランドの部屋と繋ぐ鍵のかからない扉の前に置いたテーブルのこと。


「なんでもう、いらないと思うんですか?」


 ファンヌは彼を見ずに尋ねた。


「だって、オレたちは婚約者同士になるわけだろう? だったら、一緒に眠っても問題はないよな?」


 その言葉の意味を考えたファンヌは、ハッとしてエルランドの方に顔を向けた。彼は悦に入ったような笑みを浮かべている。


「ダメです」


「なぜだ?」


「まだ、婚約の身だからです。結婚したわけではありませんから。結婚するまで、あそこのテーブルはあのままです」


「だったら、寂しく一人で寝ろと?」


「そうですね」


「う、ぐぅ……。まあ、いい。結婚後には蜜月があるからな。それまで我慢しておく」


 エルランドが悔しそうに顔を歪めていた。


 彼への気持ちに気づいたばかりのファンヌにとって、まだまだエルランドからの気持ちの全てを受け止めるような準備ができていないのだ。


 だから、あそこのテーブルはあのまま置いておく。それが、ファンヌにとっての心の準備のような位置付けの存在。


 きっと彼の全てを受け入れることができるようになったら、あそこからテーブルが消えるのだろうと思っているのだが、それにいつになるのかはファンヌ自身もわからない。


「お茶をお持ちしました」


 扉を叩いて、ワゴンを押して部屋に入ってきたのはショーンであった。


「坊ちゃん。長年の思いが成就したため、ファンヌ様と共にいたい気持ちはわかりますが。もう少し節度をもって、接してください。つまりですね、ファンヌ様との距離が近すぎです。まさか、膝の上に乗せようとか、そんなことはお考えになっておりませんよね?」


 やはり、彼との距離は近かったようだ。


 ショーンの言葉にほっと胸を撫でおろすファンヌ。そのまま、ショーンとエルランドのやり取りを黙って見ていた。


「ショーン。もう、オレのことを『坊ちゃん』と呼ぶな。こうして『番』と共に一緒になるんだ。一人前になっただろう?」


「失礼いたしました、旦那様」


 ショーンがお茶の準備を終えると、「空気を読め」とエルランドに言われてしまったため、そそくさとファンヌの部屋から出ていった。


 そんな二人のやり取りを見て、ファンヌはつい笑みをこぼしてしまった。

「旦那様……」


 ファンヌもエルランドのことをそう呼ぼうと思った。


「なんだ。ファンヌにそう呼ばれるのは新鮮だな」


 どうやら、心の中で呟いたつもりが、声に出ていたらしい。


「では、私も『旦那様』と呼ばせていただきます」


 名前で呼び始めてから数か月経ったものの、まだまだ恥ずかしいし、気を抜くと呼び慣れた『先生』がぽろっとこぼれてしまう。それだけエルランドを名前で呼ぶことは、ファンヌにとっては意識ししないとできないことなのだ。


「え?」

 エルランドは不満げな声をあげた。

「だが、外ではそんな呼び方をするなよ。外では『調薬師』と『調茶師』の関係だ。外で『旦那様』と呼ばれても、返事はしない」


 ファンヌの心を見透かしたようなエルランドの言葉だった。


 結局、ファンヌはエルランドのことを『旦那様』と呼ぶことを諦めた。

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お読みいただきありがとうございます。
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