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お茶を飲み終えたファンヌは、使い終わったカップを洗うところまではやらせてもらった。何もかもエルランドに甘えてしまうことが、心苦しかったからだ。
「ファンヌ。オレは師匠のところに顔を出してくる」
ファンヌが洗い物をしている間、エルランドはそう言って研究室を出ていった。そして洗い物を終えた頃、戻ってきた。
「では、帰ろう」
「はい」
ファンヌはコートを羽織って、エルランドと並んで研究室を出た。
雨は来たときよりも強く降っていた。エルランドの魔法が無ければ、あっという間に濡れ鼠になっていたことだろう。
屋敷に戻るファンヌの足取りは重かった。理由はファンヌ自身もわかっていない。
「大丈夫か?」
強い雨が降っているにも関わらず、このように話ができるのもエルランドの雨を弾く魔法のおかげだ。
「はい」
「この季節は、一雨ごとに寒さが増してくる。足りない衣類があったら、遠慮なく言ってくれ。これからの季節は、リヴァスとは大違いだからな」
リヴァスとベロテニアの気候が違うことはオスモも口にしていた。特にベロテニアに来た年には、体調を崩してしまったということも。
「……はい」
雨に濡れた道はぬかるんでいる。気を付けないと泥濘に足をとられてしまうし、水たまりに足を入れてしまう。だが、それもエルランドの魔法が身体に水や泥が跳ねるのを防いでくれる。
「あっ……」
泥濘が思ったよりも深かった。足をとられたファンヌは思わず転びそうになってしまう。それをすぐに支えてくれたのはエルランドだ。
「す……、すまない」
エルランドが謝ったのは、彼女を支えるために手を差し伸べた場所。
むにゅっと胸が潰れる感覚があった。それでも泥だらけの地面に転ばなかったのは、エルランドの手がその胸を支えてくれたおかげだ。
ザザーっと、ファンヌに雨が当たった。
「え?」
驚いてエルランドの方に顔を向けると、彼も頭から雨をかぶっていた。
「す、すまない。魔法が解けた」
解けた原因がなんであるのか、ファンヌにはわからないが、足が地面から浮いたのはエルランドがファンヌの身体を抱き上げたからだ。
「屋敷はすぐそこだから、このまま君を抱きかかえて走る」
ざぁざぁと音を立てて激しい雨が降る中、ファンヌはエルランドの腕の中にいた。
ほんの少しの時間だった。何しろ本当に屋敷は目の前だったのだ。急いでドアフードの下に入ると、ファンヌはやっとエルランドから解放された。彼はドアベルを鳴らし、使用人を呼ぶ。
「すまない、ファンヌ」
「いえ。ちょっと驚いただけです」
「早く身体を温めないと、風邪を引いてしまう」
そこへカーラが大きなタオルをいくつも持って現れた。このような雨の日であるから、主人が濡れて帰ってくることを想定していたのだろう。
「あらあら。急いでお湯の準備をいたします。まずはこちらで身体をお拭きください」
カーラにタオルを手渡されても、絞るくらいに濡れている衣類にはあまり効果があるとは思えなかった。少しでも滴る水滴を減らすために、ファンヌはスカートの裾を絞る。
パサリと大きなタオルを肩からかけられた。一枚、二枚。
「それでは、エルさんの分がなくなってしまいます」
「オレは大丈夫だ。それよりも、君の方が心配だ。ただでさえ体調が優れなかったというのに」
ドアフードの下である程度水滴を絞ってから、エントランスに入った。
「エルランド様。お風呂の準備が整いました」
カーラは追加のタオルをエルランドに手渡す。
「先に、ファンヌを」
タオルを受け取ったエルランドは、先にファンヌの身体を温めるようにと指示を出した。
「ファンヌ様。こちらにいらしてください。すぐに身体を温めましょう」
カーラに引っ張られるようにして浴室へと連れていかれたファンヌ。冷え切った身体には、適温である湯の温度も熱く感じる。ゆったりと湯船につかりながら、たった数時間の出来事を思い出していた。
とにかく、胸が痛み、苦しかった。湯船のお湯をすくって、顔を洗ってみるもののすっきりとはしない。それに突然解けてしまったエルランドの魔法。
何が起こったのか。ファンヌにはわからない。
身体が芯から温まり、ファンヌの身体から湯気がほくほくと立ち込めた頃、彼女は風呂からあがった。
それでも残念なことに、その日の夜。ファンヌは熱を出してしまった。






