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「ファンヌ、準備はできたのか?」
勝手にファンヌの部屋の扉を開け、顔をぬーっと出してくるエルランドを咎めたのはサシャだ。
「エルランド様。お部屋に入るときは、せめてノックをしてからにしてください」
「す、すまない。気が急いて、つい……」
こういったところは、根本的には変わっていない。ただ、ファンヌに対して気持ちを隠さなくなっている。だから今も「気が急いた」と口にしているのだ。
「そろそろ時間だから」
「はい。今、準備が終わりました」
「そうか」
「いってらっしゃいませ」
部屋を出たところで、サシャは頭を深く下げた。彼女に見送られた二人は、並んで歩く。
「ファンヌ。サシャなんだが、顔がかわったか?」
エルランドもサシャのそばかすが薄くなったことに気づいたのだろう。それを「顔がかわった」と表現するあたりが、やはりエルランドである。
「はい、サシャに頼まれていたそばかすを薄くする効果のあるお茶ですが。リヴァスの茶葉とベロテニアの薬草で『調茶』したのですが。思っていたよりもいいお茶ができました。それに、サシャには効果があったみたいで」
「そうか」
エルランドが銀ぶち眼鏡の下にある目を細めながら、ファンヌの顔を見下ろしてきた。
彼は、何か嬉しいことがあると、細い目をさらにこうやって細めてくるのだ。
「あっ……」
屋敷を出ようとしたとき、暗い空からぽつぽつと雨が落ちてきた。今日は朝から天気がぐずついていて、いつ雨が降ってきてもおかしくないような空だった。
ドアフードの下でファンヌは立ち止まる。
このような日は、薬草摘みの者たちも、雨が落ちてくるまでは作業をすすめるが、雨が降ってしまっては薬草が濡れてしまうため、そこで仕事を切り上げる。
「これでは、薬草摘みの方も仕事にはなりませんね」
「そうだな。だが、雨は恵の雨だ。魔法で天気を操ることもできなくはないが……」
「え、そんなことまでできるのですか?」
ファンヌは生活魔法を少ししか使うことができない。彼女は母親のヒルマ似で、備えている魔力も微々たるものなのだ。それに引き換え父親のヘンリッキと兄のハンネスは『国家医療魔術師』であることからわかるように、それなりの魔力を備えている。
だが、わからないのはエルランドだ。ベロテニアの王族だから、という理由で全てを片付けてしまうため、どのような魔法が使えてどれくらいの魔力を備えているのか、詳しくは教えてくれない。
「だけど、こういうことをするなら、問題ないだろう」
エルランドは右手の人差し指で、空中に小さな魔法陣を描いた。魔法陣の最後の線が繋がった時、ぽわっと薄紫色の光が生まれる。光はファンヌの方にふわふわと吸い寄せられるかのようにして近づくと、パンと弾けて彼女を包んだ。
「ファンヌ。そのまま外に出てみろ」
「え。ですが、雨に濡れてしまいます。せっかくサシャに髪を結ってもらったのに。それに、このワンピースも」
ファンヌが今日着ているワンピースは、数あるワンピースの中でも彼女のお気に入りのホワイトリリーのワンピースだ。艶やかな暖色系の衣類よりも、ファンヌは自分の髪色と同じような寒色系のデザインを好む。その上に、茶色のコートを羽織っていた。
「大丈夫だ。君に魔法をかけたから」
じぃっとエルランドを見つめたファンヌだが、思い切ってドアフードの下から外に一歩、足を踏み出した。
すると空から落ちてくる雨は、ファンヌの身体を弾いて地面に落ちた。
「うわっ」
その光景に思わず声を漏らすファンヌ。エドアルドも、彼女の隣に並んだ。
「雨を弾く魔法。これであれば濡れることなく『調薬室』まで行けるだろう?」
「はい。ありがとうございます。すごい。こんな魔法の使い方もあるんですね。うわぁ」
ファンヌは歩きながら、自分の身体を弾く雨を見て楽しんでいた。
いつも歩きながら眺めている薬草園からは、とっくに人の姿が消えていた。
「この時期の雨は、日に日に冷たくなっていく。もうしばらくすると、雪が舞う季節になる。外に出るときも、温かい恰好をしろ」
少し生地の厚いワンピースではあるが、朝方は上にコートを羽織らなければ外を歩けないような時期だ。
「雪、楽しみです」
「やはり、ファンヌだな」
ちょっと小馬鹿にされたような気がして、ファンヌは頬を膨らませた。毎日、そうやって他愛のない話をして『調薬室』や研究室まで、エルランドと共に行き来している。
「ファンヌ。今日は工場の方にも寄っていくのか?」
「はい。作業の状況も気になりますが、あそこで働いている作業者の皆さんのことも気になるので」
「あそこで働くようになった者たちだが。適度に身体が疲れて、よく眠れるようになったとも言っていた」
「なるほど。そうなんですね」
リヴァスの民には辛い作業でも、ベロテニアの民には程よく疲れる作業のようだ。






