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「いや。まだ胎児の『魔力』まではわからなかったな。だから、アデラ嬢の相手がわからなかった。ただ、その相手が殿下となれば、そのうち胎児から『魔力』も溢れ出てくるだろうし、気づく者は気づくだろうな。アデラ嬢の子が殿下の子であることに」
頭が痛いとでもいうかのように額に手を当てているのはヘンリッキだった。
「この件は、陛下は……」
「はい。もちろん知りません」
クラウスの父である国王であるが、外遊のため王妃を連れ立って東のシコルス王国に滞在している。つまり、クラウスとファンヌの婚約解消は、国王不在の中行われたのだ。
「陛下が不在であることを知っておりましたので、クラウス様から婚約解消を伝えられたとき、すぐに神殿に書類を提出してきたのです」
ファンヌがアデラに伝えた最後のお願い。それにはそんな意味が隠されていた。
「陛下がいらっしゃったら、婚約解消などできるはずがありませんから」
それは、国王自身がファンヌを手元に置きたいと思い、息子の婚約者にと選んだからだ。だが、クラウスは国王の思惑に気付いていないだろう。彼のことだから、適当な女性を婚約者として押し付けられたと思っているのかもしれない。
そしてファンヌの中には、クラウスに対する愛だの恋だのは存在しなかった。国王の命令だから仕方なく。両親や兄たちに迷惑をかけたくない、その一心で受けた婚約といっても過言ではないほどに。
「陛下が戻ってこられるまで、まだ二十日程あるが」
ヘンリッキの口調は重い。それはこの婚約解消が与える影響をわかっているからだろう。
「ファンヌ。君はこれからどうするつもりだ?」
「はい。学校で『研究』を続けたいと思っております。クラウス様の婚約者に選ばれてから、退学という形をとってしまったので」
「『研究』だったら、王宮でもできるのではなくて?」
「いいえ。お母様。王宮で『研究』はできないのです。今まで私が開発したお茶を量産することばかりで、新しいお茶の『研究』は一切していないのですよ」
ファンヌが調茶したお茶の効能は高いとされている。よく眠れるお茶、不安を取り除くお茶、疲れをとるお茶などが人気だ。それらのお茶は王宮の近くにある工場で大量に製茶されていた。
つまり、国王がファンヌを手元に置いておきたいという理由が、ファンヌの調茶能力の高さなのだ。彼女が調茶したお茶を売ると、売れる。ようするに国庫が潤う。単純な理由。
そのお茶の量産に力を入れているため、ファンヌは新しい調茶の『研究』をする時間が取れなかった。
また、合間に将来の王太子妃として相応しい知識や姿勢を身に着けるための教育の時間もある。この王太子妃教育こそ、ファンヌにとっては興味の無い時間の一つでもあった。
「あの陛下がどう動くかが心配だが……」
ヘンリッキは腕を組んで顎に手をかけた。父親の気持ちはファンヌもよくわかる。むしろ、家族のために興味の無い男と婚約をしたくらいの彼女なのだから。
「ですが、今回はクラウス様が望まれたこと。それにアデラ様もご懐妊なさっておりますから」
そんな二人を引き裂くようなことは、いくら国王でもしないだろうと、ファンヌは思っていた。何しろクラウスの血と『魔力』を引き継ぐ子がアデラのお腹の中にいるのだから。
「まあ、クラウス殿下がファンヌに興味を持っていないことは、私たちも気付いていたからな」
エンリッキが苦笑を浮かべると、ハンネスも目を伏せる。家族にも知られていたようだ。ファンヌが婚約者から愛されていなかった真実を。そしてファンヌも彼を愛していなかった事実を。