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(片づけをしていたら、遅くなってしまったわ。できれば神殿からの通知が届く前に帰りたかったのに)
馬車を降りたファンヌは屋敷の扉の前に立ち、小さく息を吐いた。王都にある邸宅は、赤い屋根とレンガ作りの壁が特徴的な屋敷である。
背中まであるベビーブルーの真っすぐな髪をかき上げ、耳にかける。だが、さらさらとその髪は耳から零れていく。いつもなら一つに結い上げるなりなんなりしているのに、王宮に行くときだけはその髪をおろしていく必要があった。
だから今、ものすごくこの髪の毛が邪魔である。それに服装も、ドレスを要求される。今日のドレスは薄いオレンジ色の明るめのドレス。
太陽が西側に大きく傾いているため、薄いオレンジは濃く染め上げられていた。
ファンヌはもう一度小さく息を吐くと、バイオレットの瞳を伏せてから、意を決し扉に手をかける。
「ただいま帰りました」
わざと小さな声で言ったにも関わらず、執事のイーサンに見つかってしまった。
「ファンヌお嬢様。旦那様と奥様とハンネス様が、旦那様の執務室でお待ちです」
ファンヌはイーサンの言葉に顔をしかめるしかない。
(まさしく、全員集合っていう感じね……。もう、逃げられないわ……)
仕方なく、ファンヌは執務室へと足を向けた。
リヴァス王国の王都パドマ。ここは学術の都市パドマとも呼ばれている。
十歳になった子供たちは、身分に関係なくこのパドマにある初等教育学校で学問を学ぶことが許可されている。地方からも優秀な子が集まってくるくらいだ。場合によっては近隣諸国からも。
それには理由がある。というのも、その学校で成績が良ければ、十六歳になってから入学できる高等教育学校の『特待生』という枠で、より高度な学問を学ぶことができるからだ。この高等教育学校で最も力を入れているのは、学生自らが考え、調査し、結果を出す『研究』であった。
世界には様々な『魔術』があるため、主にその『魔術』について研究している者が多い。『魔術』とは自然の力を増大させる不思議な力のこと。それゆえ、研究者たちは『魔術』の魅力に取り付かれているのである。
もちろん、その様々な『魔術』は日常生活にも浸透している。簡単に火を起こしたり、水を湯に変えたりする等、生活に欠かせない魔術は『生活魔術』とさえ呼ばれている。
『生活魔術』は誰でも使える簡単なものだ。それに比べ、身体の怪我を治したり痛みを取り除いたりする『魔術』は『医療魔術』と呼ばれ、専門の魔術師しか使うことができない高等魔術である。この能力を持つ魔術師のことを『医療魔術師』と呼ぶ。
高等教育学校での研究対象は、何も『魔術』だけではない。その『魔術』を道具に付与する『魔道具』に没頭する者もいるし、『薬草』や『茶葉』、『香の効能』を専門に研究している者もいる。それらの分野をある程度極めた者たちは、それぞれ『魔道具師』『調薬師』『調茶師』『調香師』と呼ばれていた。
そして先ほど、王太子であるクラウスと婚約を解消したファンヌも『国家調茶師』の資格を持っていた。しかもファンヌは一昨年、十六歳という若さでこの国家資格を取得したのである。
しかし『調茶』というものは、まだリヴァス王国では浸透していない新しい分野であり、『調薬』の技術を発展させたものと言われている。
ファンヌは高等教育学校に入学した途端、調薬を専門とする教授のエルランドの元で、薬草と茶葉を組み合わせるという大胆な発想から『調茶』という技術を生み出した。つまり、ファンヌはこう見えても『調茶』の第一人者なのである。