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 月夜――二頭立ての馬車が、壮麗な屋敷の門前で止まる。

 御者に手を引かれ降り立った女は、ボルドーカラーのドレスに身を包み、小さな宝石が散りばめられた仮面を被っている。その後ろを、似たような仮面を被り、ブルーのドレスに身を包んだ女が続く。

 二人は屋敷の使用人に案内され、広間に辿り着く。そこには、既に多くのゲストが集まっていた。彼、彼女らは皆一様に同じ様な仮面を被り、優雅にダンスを踊っている。


「集まってますねー! でん……じゃなかった。リズ様!」

「――そうね、アンヌ。仮面舞踏会なんていつぶりかしら」

「メンシス王国の宮殿で開かれたものに参加して依頼ですから……一年ぶり位じゃないでしょうか」

「もうそんなに経つのね……。輿入れの準備で何かと忙しなくしていたから、あっという間だったわ」

「そうですね。こっちに来てからも、色々あって大変なことばかりでしたよね……」

「ええ。でも、今日は久々の仮面舞踏会だし、とことん楽しみましょうね、アンヌ!」

「そうしましょう、リズ様!!」


 この日、エリザベスとアンは、ある伯爵家が主催する仮面舞踏会にやって来ていた。

 仮面舞踏会では互いの素性を探り合わないという暗黙の掟があるので、家同士の利害関係や、身分差を気にしたりせずに済む。

 王家に生れたエリザベスにとって、家族以外の人間は皆自分より下位の存在だ。故に近寄ってくる者の殆どは、エリザベスに取り入ろうと、それぞれが何かしらの思惑を巡らせている。しかし、仮面舞踏会ではそういったことは気にせず、純粋に会話やダンスを楽しむことが出来る。なので伯爵夫人から招待状が届いて以来、エリザベスは密かにこの日が来るのを楽しみにしていた。


「先ずは腹ごしらえね!」

 エリザベスがそう言うと、二人は広間の隅をびっしりと埋め尽くしている長卓の前まで歩み寄り、そこに並ぶ見事な料理を小皿に盛り始める。

「あっ、リズ様!! こっちにリズ様の好きな鴨のローストがありますよ!」

「あら、ほんとだわ。でもこれ以上盛るのは、流石にはしたないわよね……」

 エリザベスは、手元の小皿の上に取り分けた三種類の料理を見つめる。

「そんなの気にすることないですよ! 顔は仮面で隠れてますし。その辺も無礼講です!」

「そう、よね……! 今日は仮面舞踏会だものね!」

 アンにそう言われ、エリザベスは好きなものを手当り次第皿に盛っていく。食事のマナーとは関係ない気もしたが、その辺は深く考えないことにした。


 ある程度皿に盛ると、二人はダンスの邪魔にならない、広間の隅の方へと移動する。そこで取り分けた料理を堪能していると、一人の紳士がこちらに近付いてくる。彼は、アンの目の前までやって来ると、足を止める。

「美しいレディ。良ければ私と一曲踊っていただけませんか」

 すると、アンは横に立つエリザベスの方に顔を向ける。

 エリザベスは、無言で伺いを立てるアンに「行ってこい」と言わんばかりに、こくと頷く。

 エリザベスから許可を貰ったアンは、皿をテーブルに置くと、男にエスコートされながら広間の中央へと消えていった。

 エリザベスはアンが居なくなって直ぐ、再び料理を取りに戻る。余程鴨のローストが気に入ったのか、他の料理には目もくれずにそればかりを皿によそう。それから、優雅にダンスを躍るアンを鑑賞しながら、よそった肉を黙々と食べ続けていると――

「――ふっ…、ふふっ」

 突然、右隣から奇妙な笑い声が聞こえてくる。エリザベスは、咄嗟に隣に立つ長身の男を見上げる。彼は肩まで伸びるブロンドの髪を、後ろで一つに纏めている。

「あ……いや、これは失敬! 貴方の食べっぷりがあまりに見事だったもので……」

 何の弁解にもなっていないが、今日ばかりは羽目を外している自覚があったので、エリザベスは反論出来ずにいた。すると男は、仮面で表情の分からないエリザベスの内心を窺うように、彼女の顔を覗き込む。

「――えーと。悪気はなかったのですが……。もしや気分を害されましたか?」

「いいえ。少々がっつき過ぎた自覚はありますから。貴方がつい、吹き出してしまうのも無理ありませんわ」

「いや、レディに対して失礼でした。ですが、貴方をこけにする意図はなかったのです。食べ物を美味しそうに食べる女性は魅力的ですから」

「まあ、お上手ですこと」

「本心ですよ。その鴨のローストはそんなに美味しいのですか?」

「――え? え、ええ。まあ……。あちらに沢山ありますわよ? 貴方も鴨肉がお好きなの?」

 エリザベスは、男の間の抜けた質問に一瞬動揺するが、何とか誤魔化し質問を返す。――すると男は、フッと笑う。

「――ええ。鴨肉は、まぁまぁ好きです。ここのシェフは余程腕が良いとみえる」

「ええ、私もそう思っていたところですわ。奇遇ですわね」

「そうですね。私達はどうやら気が合うようだ。ところでこのあとの一曲は、誰かと約束されていますか?」

「いいえ」

「そうですか! では、次の一曲は私と躍っていただけませんか?」

 男は、エリザベスが持つ皿を右手ですっと取り去る。次いで、左手で空になった彼女の手を掬い取り、そっと唇を落とす。

 気が付くと右手を奪われていたエリザベスは、その流れるような所作に、思わず感心する。特に断る理由もなかったので、了承の意を返そうと口を開きかける――すると、男の背後数メートル先に見える美しい髪の女が、エリザベスの視界を捉える。エリザベスはその女の姿に見覚えがあった。

(あれは確か――)

 エリザベスは、ぽかんとした表情で男の背後をじっと見つめる。

 男は、その姿を奇妙に感じたのか、彼女の視線の先を振り返る。

「私の後ろに、何か見えましたか?」

「――あっ、あの、いえ! えーっと……」

 男に問いかけられるが、どうしても女のことが気になって話に集中出来ない。

「――えっと、ごめんなさい! 私ちょっと急用を思い出したので、これで失礼します!!」

 そう言ってエリザベスは、半ば強制的に会話を終わらせ、その場から駆け出す。男が後ろの方で「せめて名前だけでも!」と叫んでいる声が聞こえたが、女を見失ってはいけないのでそのまま突っ切ることにした。女を追う事に夢中になっていたエリザベスは、ポケットから落ちた手巾の存在には、気が付かなかった――……

 女を追ってエリザベスが辿り着いたのは、広間から少し離れた場所にある庭だった。月華がほんのりと芝生の青を照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出している。女はそこにあるベンチに一人腰掛けていた。時折、きょろきょろと辺りを見回す素振りをみせる。

 エリザベスはその様子を木陰からこっそりと観察していた。暫く様子を窺っていると、一人の男が現れる。その姿を認めた女は、すぐさまベンチから立ち上がり、男の許に駆け寄る。男は勢いよく駆けて来た女を抱きとめ、そのまま抱擁する。二人は暫く抱き合っていたが、男からそっと身を離した女は、男の仮面の紐に手をかける。次いで顕になったその顔に、エリザベスは大きく目を見開く。というのも、女がエリザベスの予想する人物であったなら、仮面を外した男の姿はニコラでなくてはならなかったからだ。

(陛下……ではない!? ということは、私の見間違いだったのかしら……)

 そんなふうに考えている間に、今度は女の仮面が外れる――そうして月明の元にくっきりと浮かび上がったその顔は、先日の晩餐会でニコラと親しげに話をしていた、あの娘のものだった……。やはり見間違いではなかったようだ。それから男は、女の頬に手を添え、二人はそっと唇を重ねる。

 その親密な姿に、これ以上ここに居てはいけないと感じたエリザベスは、物音をたてないようにそっと現場から離れる。こめかみを押さえながら広間まで戻ると、ダンスを終えたらしいアンがエリザベスの許まで駆け寄ってくる。

「あっ、リズ様!! やっと見つけた!! もうーっ、探しましたよー!! いったい今まで何方にいらっしゃったんですか?」

「…………」

 難しい顔で沈黙するエリザベスの姿に、アンはいつもと様子が違うことに気が付く。

「……リズ様? 何かあったんですか?」

「……い、いえ。なんでもないの」


 ――その後、舞踏会を楽しむ気分ではなくなってしまったエリザベスは、予定より早めに屋敷を後にした。

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