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 翌朝、エリザベスは牢から開放された。

 久しぶりに太陽を拝んだエリザベスは、その眩しさに目を細める。新鮮な空気に小鳥のさえずり、風が頬を撫でる感触。その全てが、今の彼女には新鮮に感じられた。昨晩は、ニコラにかなり反抗的な態度をとってしまったので、この牢獄生活は高い格率で延長になるだろうと踏んでいた。しかし何故か逆のことが起こった。理由は全く見当もつかなかったが、取り敢えず開放された喜びを素直に享受することにした。

 それから部屋に戻ると、アンがいつも異常に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。エリザベスは久しぶりにアンと過ごす平穏な一日に幸せを噛み締めていたが、彼女の方はニコラに対して相当鬱憤が溜まっていたらしく、その日は一日中彼に関する不平不満を聞かされるはめになった。


 牢から開放されて十日程経った日の午後――エリザベスは私室で紅茶を飲みながらまったりと寛いでいた。

 午前中はこの国の貴族名簿を覚えたり、メンシス王国との細かなマナーの違いなどについて教わっていたので、今は休憩時間だ。横でお茶を注いでくれるアンと他愛も無い会話をする。エリザベスは、この何でもない時間に幸せを感じていた。こういう時間の有り難みを、強く感じられるようになったのは、きっとあの監禁生活のお陰なのだろう――そうしみじみと感慨にふけっていると、扉を叩く音に遮られる。

 アンが様子を見に行って暫くすると、何やら人の言い争うような声が聞こえてくる。嫌な予感がしたエリザベスは、扉の方へ小走りで駆け寄る。

 するとそこには、この間ニコラの足元で丸くなってぷるぷると震えていた、あのメイドの姿があった。

 アンはしかめっ面で両腕を組み、メイドの前に立ち塞がっている。


「何度言われても無駄です!! ここをお通しする訳には参りません!」

「お願いです……!! 一目でいいんです! 妃殿下に合わせて下さい!! 私、どうしてもお話したいことがあって――」

「今更何を話されても迷惑なだけです。とにかく貴方のような信用ならない方を、この部屋にお通しする訳には――」

「アン。その者を中へ」

 アンは、後方から聞こえた声に振り返る。

「殿下! どうしてこちらに……」

 一方メイドは、突然現れたエリザベスの姿に瞠目し、気不味そうに視線を下げる。

「取り敢えず、その者を中へ。ここで揉め事を起こして面倒な噂が立ってもいけないわ」

「で、ですが!!――」

「いいから中へ」

 有無を言わさぬ顔でそう言われ、アンは渋々道を開ける。

 そうしてエリザベスは応接間にメイドを招き入れる。それからメイドに向かいの椅子に腰掛けるよう促すが、メイドは頑なに拒否し、立ったままで話したいと告げる。

「――それで? 貴方さっき、私に話があると言っていたけれど」

 メイドは意を決したように、俯けていた顔を上げる。

「こ、この度は……自分の身勝手な判断で、妃殿下に対し大変な無礼を働いてしまったこと、大変申し訳ございませんでた……!!」

 メイドは深々と頭を下げる。

「面を上げなさい」

 エリザベスは、ゆっくりと顔を上げたメイドを、じっと見つめる。

「――一つ、貴方に聞きたいことがあるのだけれど」

「……はい。何でもお答え致します」

「理由を聞かせて欲しいの。貴方はどうして私に仕えることを拒んだの?」

「それは…………」

 その言葉を発して以降、メイドは口を閉ざす。

「私は、貴方の本音が知りたいの。貴方は本当に、ただ私を侮辱するためだけに命令に背いたの? 私が陛下から愛されていない、ということ以外にも何か理由があったんじゃないの?」

「…………」

「貴方が本心を話してくれるなら、それがどんな内容だろうと、貴方を咎めたりしないと約束するわ」


 すると、メイドは神妙な面持ちで、自分の過去について語り始めた。

 彼女は元々地方の男爵家の一人娘で、父は三年前に、国境付近の戦地で命を落とした。父の死後、アヴリーヌ家(メイドの家名)には男児が生まれなかったため、男爵領は父の弟に当る叔父が相続することになった。しかし、元々冷酷な一面があった叔父は、家督を継承した途端に、デボラ(メイド)とその母を屋敷から追い出した。それからデボラは、病気がちな母を支えるために、色々な職を掛け持ちしながら、貧しい日々を過ごしてきた。デボラは二人分の生活費なら充分補える額を稼いでいたが、母は定期的に薬を接種する必要があり、その薬代が家計を圧迫していた。

 デボラは、本当にどんな仕事でもやった。基本は家庭教師として商家の娘に仕えていたが、その稼ぎだけでは充分でなかった為、夜は酒屋で働き、それでも足りなかった分は身売りで補った。男たちは、ことを終え金を渡すと、何事も無かったかのようにそそくさとその場を立ち去った。元々結婚や男性に高い理想を抱いていたデボラは、欲望に塗れた現実の男に姿に酷く落胆した。それは男爵家の令嬢として何不自由なく育ったデボラにとっては、筆舌に尽くし難い日々だった。

 そんな地獄のような日常が二年程続いたある日、偶然街で出会った父の旧友と名乗る男に今の職を紹介してもらった。 

 今では、他の仕事を掛け持ちする必要はなくなり、家計は随分楽になった。しかし、デボラは地獄の二年間に募らせた恨み辛みを、払拭することが出来ず、元敵国の王女であるエリザベスをどうしても受け入れられなかったのだと言う。


 話を聞き終えると、エリザベスの瞳から、すっと雫が零れ落ちる。

 その姿を目の当たりにしたデボラは、大きく目を見開く。

 デボラが驚くのも無理はない。王族は、家臣の前では常に堂々と威厳を保っていなくてはならない。弱みを見せれば、付け入る隙を与えることになるからだ。

 デボラがどうしていいか分からず、あたふたしていると、アンがエリザベスにそっと手巾を差し出す。それからエリザベスは深く息を吐き出し、デボラを見据える。

「まずは、辛い思い出だったでしょうに、正直に話してくれたことに感謝します」

「……わ、私は、……妃殿下に感謝されるようなことは何も……」

「いいえ。貴方はここまで本当によく頑張ったわ。先ずは貴方がそれを自分に言っておやりなさい」

「…………私は、別に、が、頑張ってなんか……」

その言葉に反して、デボラの瞳から次々と雫が零れ落ちる。

 するとエリザベスはすくと立ち上がり、そっとデボラを抱き寄せる。同時に労るように背中を擦る。

 それからデボラはエリザベスの肩に顔を埋めながら、この三年間で溜め込んだ屈辱や、苦悩の全てを吐き出すように泣きじゃくった。

 暫く思いっきり泣いて、落ち着きを取り戻したデボラは、そっとエリザベスから身を離す。

「……す、ずみません。私、謝るためにここへ来たのに……」

「いいのよ。少しは楽になったかしら?」

「はい……」

「なら、良かったわ」

 エリザベスは、柔和な笑みをデボラに向ける。

「……私今までずっと、叔父と、父を間接的に殺したメンシス王国のことを恨み続けてきました」

「…………」

「でもあの時、妃殿下に庇ってもらったことで、自分の過ちに気付いたんです……。真に恨むべきは、叔父でもメンシス王国でも、妃殿下でもなく、自分自身に巣食う心の闇そのものなんだって……」

「…………」

「だから、私はここへ来ました。妃殿下に謝罪と、感謝の意を伝えるために。――あの時は私の命を救って頂き、本当にありがとうございました」

 デボラはぐんと頭を下げる。

「――貴方の誠意、しかと受け止めました。貴方が犯した過ちについては、もう既に謹慎処分という形で償われています」

「で、ですがあれは私が絵画を傷付けたからで――」

「そうね。貴方が出仕拒否した件とは、別問題だわ」

「はい。ですから、私はどんな罰も受け入れる覚悟で参りました」

「いい度胸ね。――では、これからは私に誠心誠意仕えることを約束してちょうだい」

 デボラは瞠目し、数拍沈黙する。

「……あの、お、お言葉ですが、それじゃあ罰にならないんじゃ――」

「あら、私の決定に口を挟むつもり? なんなら、車裂きの刑にしても構わないのよ?」

「いっ、いえ!! 誠心誠意お仕えすることを誓います!!」

 デボラの慌てた様子に、エリザベスはくすくすと笑う。

「冗談よ。だいたい私には、あなたを罰する権利なんてないわ。貴方が背いたのは、私の命令ではないもの」

 デボラはほっと胸を撫で下ろす。

「ですが、本当に私でいいんですか……? 私は既に、妃殿下を裏切った身です……」

「そうね。だけど、間違いを起こすことは誰にでもあるわ。大事なのはそこからどうするかでしょ。貴方は私にこうして謝りに来た。だから私は貴方を信じてみたいと思ったの」

「妃殿下……」

「貴方も知っての通り、私は今非常に危うい立場にあるわ。だから、一人でも私の味方になってくれる人が必要なの。私の目下の目標は、この地で平穏な宮廷ライフを送ることよ。まあ、初っ端から牢に入れられてしまった訳だけれど……。これからはそうなっていく予定なの! そうよね、アン?」

 すると横でずっと二人のやり取りを見守っていたアンが口を開く。

「はい、その通りです。私は殿下の平穏な日常の為なら何だってします。あのクソ王にだって噛み付いてやる所存です」

 エリザベスは、苦笑する。アンはまだ件の件を根に持っているらしい。

「――と、とにかく。私は貴方を信用すると決めたの! これから、色々大変なこともあるでしょうけど、私の許で働いてくれるかしら?」

 デボラは迷いのない真っ直ぐな視線をエリザベスに向ける。

「勿論です。私の命は妃殿下に救って頂いたものです! 貴方様にお仕え出来ること以上に名誉なことはありません!!」

「――ありがとう。じゃあ、これからも末永く宜しくね!」

 エリザベスはデボラの両手をぐっと握って破顔する。

 デボラはそれに「はい!」と元気よく返事をした。

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