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「絵画の修復作業の進捗は?」
ニコラはさらさらと羽ペンを走らせながら、机を挟んで向かい側に立つオレールに問いかける。
「順調です。宮廷画家の話によると、あと十日もすれば修復が完了するとのことです」
「そうか。完成したら、褒美を与えるから希望を聞いておけ」
「承知しました。それとオベーヌ伯が明日の午前中に、拝謁を希望しておりますがどうなさいますか」
「明日は希望者が多い。夕方の十五分くらいなら時間を作ってやってもいい。それが駄目なら明後日以降で予定を組め」
「承知しました。――こちらの確認事項は以上です」
オレールは何時ものように主にお辞儀をし、踵を返す。
すると、ニコラは慌てた様子で椅子から腰を浮かせ、「ちょっと待て!」とオレールを呼び止める。
主人に呼び止められたオレールは、再び元の立ち位置まですたすたと戻る。
「まだ何か?」
その問いに、ニコラは苦虫を噛み潰したような顔で数拍沈黙する。次いで躊躇いがちに口を開く。
「――あいつの……。エリザベスの様子は、どうなんだ」
オレールは嘆息する。
エリザベスが牢に入ってから今日で四日目になるが、ニコラは初日からこの調子でオレールに彼女の様子を報告させている。
「そんなに気になるなら、ご自分で様子を見に行かれたら宜しのでは?」
「……べ、別に気にしてなどいない。あいつは己の立場も弁えず、余の決定に口を挟んだ。本来なら不敬罪の罪で罰するところを、メイドの罪と合わせて数日の監禁で大目に見てやったのだ」
「ええ、承知しておりますよ。ですから、もっと堂々としていれば良いのでは? ご自分の判断が正しいと思われるならば」
「…………」
二コラは言葉を詰まらせる。
実は以前にも、似たような事例があった。その時は、酔いつぶれた貴族の男が肖像画の一つにぶつかって出来た傷だったが、破損部は修復可能な範囲だったので、ニコラは男を罪に問わなかった。しかし、今回はその時とは明らかに二コラの様子が違っていた。その理由をオレールは理解していた。だから彼が暴挙に出ても止めることはしなかった。否、止めることが出来なかったと言うべきだろう。
二コラにとってオレールは信頼できる廷臣の一人であり、また気心の知れた友人でもある。しかし、そのオレールの訴えも、ああなってしまった彼の耳には届かない。
「感情的になっていた自覚がおありのようで安心致しました」
ニコラは反論する様子もなく椅子にドカッと腰掛け、不貞腐れた顔で頬杖をつく。
「余にこれだけ大口を叩いて許されるのはお前くらいのものだ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「まったく……、食えない奴だ」
「図太くないと、貴方の側近なんて務まりませんからね」
二コラは、それはどういう意味だ、と言いたげな表情でオレールを見上げる。しかし、声には出さなかった。仮に口にしたところで、いいように言いくるめられるのが関の山だと予想出来たからだ。
「それで? 余にどうしろというのだ」
「妙な質問をなさいますね。私は貴方の部下ですよ。貴方の行動を決める権利は私にありません」
「ぬかせ。いつも小姑よろしく、何かと口を挟んで来るお前が言えた台詞か?」
「何を仰います。私がいくら意見しようが、一度こうと決めてしまえば、断固として自分の意志を貫かれるではありませんか」
「王たるもの、他者の意見にそう易々と流されていては務まらぬ」
「仰る通りです。ですから、私の意見など、どうぞお気に留めずご自分でご判断下さい」
にっこりと微笑むオレールに、二コラは頬をひくつかせる。
「――分かった。今晩様子を見に行くとしよう」
「それだけですか?」
二コラは溜息を零す。
「牢から出す……」
「素晴らしいご判断です」
「しかし、メイドの謹慎は解いてやれん。前回は目撃者が複数人いて故意でないことが証明できた。だが今回は目撃者がおらず、事故だと言える証拠がない。この状況で謹慎を解けば、貴族連中が黙っていないだろうからな」
「致し方ありませんね。しかし、妃殿下は大したお方だ。あの状態の貴方に怯まず立ち向かった上に、最終決定まで変えさせてしまうとは……」
「お前、やけにあいつの肩を持つな。あの時も、あいつに助け舟を出しただろう?」
「何のことだかさっぱりですね。私は純粋な興味でお伺いしたまでのこと」
「はっ、しらじらしい。お前はああいう気の強い女が好みだったのか」
二コラはからかうように、オレールを見る。
「その表現は間違いです。彼女は気が強いのではなく、意志が強いのですよ」
二コラは瞠目する。
「お前……。まさか本気であいつのことを――」
「馬鹿を言わないで下さい。私は貴方の妻にぴったりな方だと申しているのですよ」
「なっ、何だと!? あれのどこが余にぴったりだと言うのだ!?」
「そうですね。……しいて言うなら、貴方に怯まず意見が言えるところ、でしょうか」
「たったそれだけか!?」
「それだけとは、随分な言いぐさですね。そういう人間が貴方にとってどれだけ貴重な存在か、ご自身が誰よりもお分かりの筈です」
二コラは数拍沈黙する。
「――お前の言いたいことは分かる。だが、余にはシャルロットがいる。彼女を裏切るような真似は出来ない」
二コラは、真摯な瞳でオレールを見る。
「分かっています。ですが、今回の出仕拒否は確実に貴方の責任ですよ」
「ああ、分かっている。だが、エリザベスはお前に何も言わなかったのだろう?」
「ええ。何か考えあってのことでしょう」
「そうか……。賢い女だな。――とにかく、エリザベスの件に関しては、出来る限りの配慮をする。だからこの話はこれで終いだ」
そう言うと二コラはオレールを残し、逃げるように部屋から立ち去って行った。