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翌朝――メンシス王国第二王女、エリザベス・デューター(十七歳)と、ヘリオス王国国王、二コラ・ド・ヘリオス(十九歳)の婚儀が、王室礼拝堂にて執り行われた。
襟元がざっくりとあいたグリーンのドレスに身を包んだエリザベスは、厳かに中央通路を進む。そのドレスは、彼女の赤みがかった茶色い髪と、春の新芽を彷彿とさせる黄緑色の瞳によく似合っていた。
エリザベスは、この結婚式に乗り気ではなかった。他に愛する者がいる男の妻にならねばならないのだから、当然である。しかし、あからさまに不機嫌な態度でいて、二コラや来賓に内心を気取られれば、今後の宮廷生活に支障が出る可能性がある。そうなっては色々と面倒なので、彼女はぎこちないながらも、精一杯の笑みを作る。
そうして祭壇の前まで辿り着き、隣に立つ長身の男を見上げる。すると、その視線に気づいたクソ男、もとい未来の夫が、こちらに微笑んでくる。その胡散臭い笑みに内心腹が立ったが、ここで平静を失えば、ここまでの努力が水の泡だ。気を引き締め直したエリザベスは、ぎこちないながらもなんとか微笑みを返す。
それから二人は、長い白髭を蓄えた大司教の前で、長ったらしい誓いの言葉を述べる。その後、指輪の交換をし、契約書にサインをして、この盛大なる茶番劇(結婚式)は無事に幕を閉じた。
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結婚式の後、中休みを挟んで辺りがすっかり暗くなった時分。宮殿内では、新しい王妃の誕生を祝して盛大な晩餐会が開かれていた。U字型にセッティングされたテーブルの一番奥の席に、エリザベスと二コラが座り、二人を囲むようにして両サイドの長卓に来賓が並ぶ。
元敵国の王女であるエリザベスが表面上はどうあれ、歓迎されていない事は言うまでもない。彼女は、嫌味の一つや二つ言われるだろうと覚悟していた。しかし、その予想に反して、晩餐会は終始和やかなムードで進んだ。
それから食事を終えた皆は、ダンスホールへと移動した。この流れで舞踏会が行われるらしい。
舞踏会で最初に踊るのは、主催者側のニコラとエリザベスと決まっている。
エリザベスが、苦虫を嚙み潰したような顔でその場に突っ立っていると、ニコラがどこからともなく彼女の正面に現れた。
「――踊るぞ、エリザベス」
そう言うや否や、二コラにぐっと腰を掴まれたエリザベスは、眼前に迫る二コラの顔に瞠目する。
(なんて乱暴な男なの……!!)
と、内心で不平を呟きながら、キッと二コラを睨む。
しかし二コラは、エリザベスの渾身の睨みに全く気付いていない様子で、軽快に踊り始めた。
仕方がないので、エリザベスもそれに合わせてステップを踏む。
「エリザベス。今日の夜会は楽しめたか?」
「――ええ、お陰様で」
「そうか! それならよかった。ここでの暮らしで不自由なことがあれば、遠慮なく言え」
「お心遣い、感謝いたします」
「それと今日の初夜の事なんだが――」
とニコラが言いかけた所で、エリザベスは彼の足を踏んでしまう。無理もないだろう。突然飛び出した“初夜”という下ネタワードに動揺しない方が難しい。しかも踏んでしまった焦りから、エリザベスは体勢を崩してしまい、後ろに倒れそうになる。
すると、ニコラはその涼し気な表情を保ったまま、すかさずエリザベスの背中に手をまわし体を支える。次いで手順通りと言わんばかりにポーズまで決めると、会場に小さなどよめきが起こる。その身のこなしは、流れるように鮮やかであまりに自然だったので、場内の誰もエリザベスがミスをしたことに気付いていないようだった。
「危なかったな」
二コラは、フッと笑う。
「……すみませんでした。足、大丈夫ですか」
「ああ、全く問題ない。それよりもさっきの話の続きだが、昨日話したとおり、余には愛する娘がいる。その者をいずれ余の側室に迎えようと考えている」
二コラの二度目になる衝撃的な発言に、エリザベスはもう驚かなかった。この男の発言にいちいち反応していたらきりいがない。
「なるほど。つまり私にお飾りの妻を演じて欲しい、と仰りたいのですね」
「ふん。お前はなかなか察しがいいな。話が早くて助かる」
「構いませんわよ。世継ぎもそのお方に生んで頂くおつもりなのですね」
「その通りだ。なのでこの先、余がお前の部屋に赴くことはない」
「承知しました。話はそれだけですか」
そのすがすがしいまでに、あっさりとしたエリザベスの態度に、二コラは眉を顰める。
「お前……、ちょっと物分かりが良すぎないか? 腹が立たないのか、お前は一応、余の妻だろう」
その無神経な発言を受け、エリザベスの額にピキッと青筋が浮かぶ。
(それを貴方が言う!? 頭に蛆でもわいてるんじゃないかしらこの男ッ)
「いいえ、全く。寧ろ“ご丁寧に”説明して頂いてありがたいですわ」
エリザベスは、思いっ切り嫌味っぽく言ってみた。しかし、二コラは全く言葉の意図に気付いていない様子だ。
「しかし、これだけ余に靡かない女も珍しいな。面白い女だ。――お前が望むなら愛妾にしてやっても良いぞ?」
(――あ、愛妾ですって!? 私はあんたの妃だってのよッ!! この世のどこに、自分の妻を愛人に勧誘する男がいるのよ!?)
「――せ、せっかくの申し出ですが、お断りしますわ」
「ははっ、冗談だ。お前を愛妾にして男児でも生まれれば、面倒なことになるからな」
あーはいはいそうですかと、エリザベスは白けた顔で聞き流す。
そうして、あれやこれやと会話しているうちに一曲目が終わり、場内に拍手の音が鳴り響く。
その音を一通り聞き終えると、二コラは人混みの中へと消えて行った。
二コラからやっと解放されたエリザベスは、ほっと息をつく。すると今度は、豪奢なドレスに身を包んだ御令嬢の団体から声をかけられる。皆、頬を上気させ、どこか興奮した様子だ。
「妃殿下、お疲れ様です! さっきのダンス、本当に素敵でしたわ!!」
「ええ、本当に! わたくしなんて思わず見惚れてしまいましたわ。殿下はダンスがお得意なんですのね!」
「――あ、ありがとう。得意といえる程でもないけれど、そう言ってもらえると嬉しいわ」
「まあ、ご謙遜なさらないで! 陛下はルックスも抜群ですし、ダンスがお上手ですから何方と踊っても素敵なんですけど、あんなに生き生きとしたお姿は初めて見ましたわ! ――ねえ、皆さん?」
「ええ、きっと相性がよろしいのですわ! この分だと、王子が誕生する日も、そう遠くないかもしれませんわね!」
「まあ、アニエスさんたっら。でも、本当に楽しみですわ!」
目の前で繰り広げられる乙女の弾丸トークについていけず、エリザベスは只々苦笑する。実際、躍っているときに行われていたやり取りを彼女らが知ったらどんな反応をするのだろうか。この令嬢たちはあの男のどこにそんなに惹かれているのだろう、などと呑気に考えていると、一際派手なドレスに身を包んだ御令嬢が現れる。するとさっきまでの喧騒が嘘のように静かになり、皆が一斉に道を開ける。女は、見晴らしの良くなったそこを滑るように通り、エリザベスの目の前までやって来る。
「あらあら、皆さん。そんなに寄ってたかって質問攻めにするものではないわ。レディーならもう少し慎みを持った行動を心がけましょうね」
女はそう言って皆を諫める。すると皆は、目配せをしあってぶんぶんと首を縦に振る。
彼女は、先程の晩餐会で少しだけ会話した公爵家の御令嬢だ。なんでも、先王陛下の弟君の娘さんだそうで、二コラとは従妹の関係にあたる。
「王妃殿下、先程ぶりですわね。我が国の舞踏会は楽しんでいただけまして?」
女は給仕からワイングラスを二脚受け取り、片方をエリザベスに差し出す。
「ええ、それはもう。お食事も美味しかったですし、ヘリオスの方々は皆、陽気で明るくて、一緒にいるとこちらまで楽しくなってきますわ」
「まあ、嬉しい。今の言葉を亡き先王陛下がお聞きになったら、きっとお喜びになられますわね」
「だと良いのですが。先王陛下とは親しい間柄だったのですか」
「ええ、勿論。家族同然に可愛がって頂きましたわ。陛下とも幼い頃から親しくさせていただいておりますの」
「そうなのですね。陛下はその頃からクソ……いえ、腕白でいらっしゃたのかしら」
今、思わず本音が飛び出そうになったが、なんとか上手くごまかせた。正直二コラの幼少期のことなど、微塵も興味がなかったが、話の流れで聞かない訳にはいかないので仕方がない。
「そうですわね。陛下は幼い頃から、根は明るい方でしたけれど、今ほど活発ではなかったように思いますわ。勤勉でいらっしゃったから、あまり外に出て遊ぶこともなさらなかったですし」
「へぇ。それは何というか意外ですね。今のお姿からはあまり想像出来ませんわ」
「陛下は努力家でいらっしゃいますの。それでいて、人にはそういう姿を見せないお方ですから」
どうも先程から彼女が語る人物が、自分の知る二コラの像と噛み合わない。だからと言ってそれって誰のお話ですか、などと聞ける筈もなく……。エリザベスは半信半疑で、彼女の思い出話に相槌を打つ。
「ところで――殿下はあの娘のことはご存じ?」
そう言われ、女の指さす方角に視線を向けると、二コラの横で親し気に会話する娘の姿を捉えた。彼女はピンクブロンドの髪に、瑠璃色の瞳を持つ美しい容姿をしている。
「いえ、存じ上げませんわ。あのお方が何か?」
「あの娘は男爵家の令嬢なのですが、事あるごとにああやって陛下の身辺をうろついて、ちょっかいをだしているの。まったく……たかが男爵家の娘が、分不相応もいいところだわ」
「――まあ。じゃあ、あの方が……」
エリザベスは、すぐにピンときた。おそらく、二コラが話していた「愛する娘」とは彼女のことなのだろう。よくよく観察すると、二コラが彼女に向ける笑顔は、結婚式で自分に向けられた胡散臭いそれとはまるで違って見えた。
「あら、ご存じでしたの? 殿下もあの女狐には、お気を付けになって下さいませね」
「――ご、ご忠告ありがとうございます」
どうやらニコルの想い人は、彼女らから敵視されているようだ。こういったことは、貴族令嬢の間ではよくあることだ。母国にいた時も、同じような場面に幾度となく遭遇した。しかし、いつになってもこの不穏な雰囲気には慣れない。
エリザベスは、話題を変えようと口を開くが、すかさず取り巻きが男爵令嬢の別の話題を持ち出す。そこからはエリザベスが口を挟むすきは一切与えてもらえず、男爵令嬢のここがいけない、あそこもいけない――という具合に皆が口々に不平不満をぶち撒ける。初めは男爵令嬢の話題が中心だったが、誰かがそういえばあの御令嬢も――と言い出したことがきっかけで話題が移り、ついにはその場が悪口大会の会場と化す。
その場景を前に、エリザベスは嘆息する。出来ることならすぐさまこの場を抜け出して、部屋に戻って休みたい。しかし、完全に機会を逃してしまったようだ。
(もう、こうなったら奥の手を使うしかないわね……)
内心でそう呟くと、エリザベスは片手で腹部を抑え、瞬時に苦しげな表情を作る。
「――うっ……!! いたたたたたっ」
突然その場にエリザベスの悲痛な叫び声が響く。すると、皆が一斉にエリザベスを見る。
「妃殿下……! どうなさいましたの!?」
公爵家の令嬢が、慌ててエリザベスに駆け寄る。
「だ、……だいじょうぶよ……。ちょっとお腹の調子がっ、イタタタッ……わ、悪いみたい……」
「まあ……。それはいけませんわ。すぐに医者を呼びましょう。ちょっとそこの貴方! 急いで侍医を呼んできてちょうだい」
「はいっ!すぐに――」
「ちょ、ちょっとまって!! そこまでしなくても大丈夫よっ!? 偶にあることなの! ちょっと休めば良くなるわ!」
エリザベスは慌てて女を引き止める。ここで医者を呼ばれたら、仮病であることがバレてしまう。
「――ですが……。本当に大丈夫ですか?」
「ええ! 大丈夫よ。慣れない土地で一日中動き回っていたから、疲れが出たのかもしれないわ……」
「そう、ですか。殿下がそう仰るなら……」
そうしてエリザベスは、まんまと会場から抜け出すことに成功したのだった。