290 突然の雪
体全身が凍ったように冷たかった。
「うぅ……寒い」
「――大丈夫か?」
「アルベド?」
涙なんて流していないはずなのに、まつ毛がパキパキに凍っており、目を開くのもやっとだった。そして、ぼやける視界の中とらえたアルベドの表情は、安堵に変わり、そして、私の肩を叩いて「大丈夫そうだな」と一人納得したようにうなずいた。
いつの間に眠っていたのだろうか。前後の記憶がおぼろげで、どうにも、いい感じがしない。夢をみていたような感じもなく、意識を失ったように眠っていたらしい。体に疲れが残っているような感覚もあって、私はうんと体を伸ばしてみる。ぽきぽきと骨が鳴って、馬車の中座ったまま寝ていては体がだめになりそうだ、と私はため息をつく。その息も白くて、私は目を丸くした。
「何が起こってるの?」
「何がって、面白いこと言うな」
「ちょっと、本気で聞いているのに、その態度酷くない?」
「普通、辺境伯領に近づいてきたから気温が下がったーとか考えるもんじゃねえのか?フィーバス卿の魔法は、氷なんだしよ」
「だからって言って、これは寒すぎない?」
知らぬ間に、アルベドは私の膝にジャケットをかぶせてくれていたが、それでも寒かった。アルベドからかすかに感じる魔力に、彼自身は自分で自分を温かくしたのだろうとすぐにわかった。しかし、見ている分には寒いので、ジャケットを彼に返す。アルベドは、使っていればいいのに、とどこか不満そうな顔で返したジャケットに手を通し息を吐いた。やはり、アルベドが吐く息も白く、尋常じゃないほど周りの気温が低いことが分かった。
アルベドは、辺境伯領に近づいたからとか、フィーバス卿の魔法が氷だからとか、言ったがそんなレベルではないのだ。それこそ、冬になってしまったようなといったらいいか。とにかく、異常気象なのは間違いない。アルベドもそれをわかっていて、ちゃかしているのだろうが、それは今面白くない冗談だ。
私が、睨みつけていれば、アルベドは黒い手袋で凍った窓をふいて、外を見るように言った。
私は促され、凍える体を抱きしめながら外を見る。すると、一面雪が降っていた。まだ、積もっている感じはなかったが、この調子ではつもりそうだった。辺境伯領はもうすぐだが、このまま馬車を進めていいものか。しかし、こんなところで止めたら、馬や御者が……といろんな問題が出てくる。となると、このまま辺境伯領に入ったほうがいいのだが、これはいったいどういうことだろうか。
「なんで雪降ってるの?いや、雪降っていた時もあったけど……」
それにしても、おかしすぎるのだ。季節外れというよりかは、こんなもう少しで吹雪にでもなるようないやな天気はここに来て初めてだった。先ほど、アルベドが何かを感じ取ったことと絶対に関係があると思いながらも、私は何も感じられず、何が起こっているのか、その状況把握だけで疲れていた。
「おかしすぎない?」
「ああ、そうだな」
「何か知ってるなら、教えてほしいんだけど……」
そういってアルベドを見ているが、アルベドも何かを考えこむように外を見ていたため、焦らせてはいけないな、と私は黙った。
魔力探知さえできればまた変わるのだろうが、それすらできない私は、本当に一般人と変わりないだろう。それに、アルベドにジャケットを返したが、寒いし、もうどうしようもなかった。
辺境伯領で何が起きているのか、それを早く知りたいという気持ちだけが焦って、どうにもならない。もし、異常事態が発生しているというのなら何かしてあげたいが、今の私に何かできるのだろうか。
(というか、そもそも、フィーバス卿に会いに行くのって、魔法が使えなくなったって言いに行くんだし……)
だから、異常事態うんぬんよりも、自分の異常事態について話さなければならない。そう考えると、胃がキリキリとしてきたのだ。さっきまで忘れていたというか、考えないようにしていたことが、わっと押し寄せてきて、私は頭が痛くなる。寒さも相まって、手が震えだした。
「本当に大丈夫か?」
「だい……じょうぶじゃないから、いや!」
「……ったく、だからジャケットを貸してやってたのによぉ」
「でも、アルベドが寒そうだし!」
「俺はいーんだよ。魔法が使えるから」
と、アルベドはぶっきらぼうに言いつつ、私に再度ジャケットを投げつけた。彼が少しきていたからか温かく、私とは違う匂いに包まれる。ただ温かいだけのジャケットなのに、心まで温かくなるようで不思議だった。
(――って、と決めている場合じゃなくて!)
「アルベド?」
「……反発起きずに、魔法が使える?」
ふと、彼のほうを見ると、私に向かって魔法をかけていた。防寒対策の魔法だが、いつもなら、光魔法と闇魔法で反発するはずのそれが、まったく起きることなく、私に彼の魔法が付与された。その事態に、アルベドだけではなく、私も目を丸くせざるを得なかった。
殺意を持った風魔法は私の周りの魔力が相殺した。しかし、今の魔法はそういったはじくという感じもなく、かといって、痛みもなかった。前に反発が起きて、その先に得た交わりという感じでもなかった。本当に自然に、それがごく普通で、当たり前のこととして、体が受け入れた感覚がしたのだ。
確かに、アルベドの魔力が体を包み込んでいる感じがする。だから、温かくなり、震えもだいぶ収まってきたのだが、不思議すぎて、温かさというのを感じる余裕もなく、私たちは互いに顔を見合わせた。
「どういうこと?」
「お前が、魔力を失っているからっていう理由にしては、薄いんだよな……つか、それが理由じゃねえ気がする。そもそも、光魔法、闇魔法っつうのは、使えなくとも属性の振り分けはある。お前が、闇魔法になったっていう感じもしねえし、光魔法だとは思うけどよ……うーん」
「まあ、ま……わからないよね、お手上げって感じ……かも、うん」
ずっと驚いてばかりなので、これくらいのこと、と思ったが、これもまた貴重というか、そんなことあるの? とは思った。けれど、寒さが、私たちの思考回路を邪魔するように凍らせてくるのでそれ以上互いに何か言うことはなかった。もしかしたら、フィーバス卿なら何か言ってくれるかもしれないし、あの人は魔法の鑑定にも優れているからもしかしたら……とも思うけれど、イレギュラーすぎてみんな何も言えないだろう。
(というか、ほんと寒すぎて無理……!)
アルベドの魔法は確かにきいている。だが、それを貫通するぐらい寒かった。吹雪にはなっていないし、新進と雪が降り積もり続けているだけだが、それでも寒かった。アルベドを見ると、彼も心なしか震えているような気がするのだ。
辺境伯領で何が起きているというのだろうか。
(フィーバス卿が無事でいたらいいんだけど……)
内部で起きていることか、周辺で起きていることか。それでも変わってくるのだが、もし内部で起きているとするのであれば、フィーバス卿に何か問題が生じたのではないかと疑ってしまう。アウローラも無事でいてくれるといいけれど、これもまた嫌な予感がする。
アルベドも、その嫌な予感の正体というのがはっきりしないようでいらだちさえ覚えているようだった。
馬車はどんどんと遅くなっていく。外で雪が積もり始めた証拠なのだと、私の心もだんだんと曇っていく。不安ばかりが膨らんで、これではいけないと外を見るが、外はすでに白銀の世界になっており、私はもう一度大きく体を震わせた。




