274 拒絶するな
「え、ある、アルベド……?」
まさかの事態に驚いた。いや、彼がそんなふうに思いを、言葉をこぼすとは思っていなかったからだ。
困惑したし、何よりも、私が離れるという手段こそが悪手であり、彼を傷つけるものだったんだと気づいてから、どうしようもない気持ちでいっぱいになったのだ。私は本当に彼のことを理解できていなかったのだと、そう思わされて……
(わかってる。わかってるんだよ。アルベドだってわかってる。それを何度も言ってくれたじゃん。恋心を利用されようが、相棒という唯一の枠だろうが……それ以前に、私を私として、一個人として、人間として彼は好いていてくれて……)
恋愛感情を超えた何かだと思った。愛、というのにふさわしいもの。
私はそこまで考えが及ばなかったのだ。
私を、ひしと抱きしめてうつむいている彼に何が言えただろうか。口は禍の元であり、また彼を傷つけるんじゃないかと思うと、私は何かを言うことがためらわれた。
どうしよう、どうしようという気持ちだけが膨らんでいって破裂しそうだた。
理解してあげられていると思っていた。それが慢心であり、視野の狭さだった。いや、そう思うことで、私は救われようとしていた? 彼を傷つけるなんてそんなこと……
どういえばいいかまだ分からない。彼の次の言葉を待つしかなかった。
これ以上頼っていいものなのだろうか。それとも、そう考えること自体が間違っているのだろうか。わからない。わからないけれど、私は……
「アルベド……」
「否定すんな、俺の気持ちを。俺自身を」
「……ご、ごめん……って、いえばいいのか、それ自体も、わかってない、かも」
アルベドがこんなにも追い詰められていて、私が彼を救うことは不可能だと思った。
彼の好感度を見ようかとも一瞬思ったが、それもそれで逃げている気がした。好感度を見て安心しようとしている自分音ずる賢さに嫌気がさす。人間関係ってそういうものじゃないだろうと、私の心の中で誰かが叫ぶ。
もっと向き合うことをしていれば。彼が、この世界に来てからの行動。いや、彼が私が前の世界で死ぬ直前に行った行動を考えればすぐにわかったはずだ。いや、わからない。わからない、何も。
わかった気になって、勝手な憶測で再度傷つけていた。それが何よりもひどく、重く……重罪で。
在任てこんな気持ちなのかなあ、と半ば逃げるように私は思いながらも彼の顔にすっと手を当てた。アルベドはそれにすがるように、擦り付けるように手を取って、自身の頬にあてた。手のひらに伝わってくる感触はやわらかくて、でもとても冷たかった。氷のようで、今すぐあっためなければ凍ってしまいそうなほど彼の体温は冷たかったのだ。
「アルベド、私……」
「何があっても、俺はお前のそばを離れない。お前が否定したとしても、これは俺の譲れない気持ちだ。瞬きの夢……お前と、婚約者になれたこと、今そういう関係だってことが、俺にとってご褒美で、俺がちょっと願った願望だった。それで十分満足してる。けど、そうじゃないって、なんとなくわかってんだよ。俺じゃ幸せにしてやれねえ」
「そんな、ことない……」
「あるんだよ。お前がみてるのはいつだって、あの皇太子だ。それは、今も変わらねえ」
否定できなかった。
そして、その言葉の奥に隠されたのは純粋な恋心であることを悟り、私は口を噤む。
けれど、アルベドはそれが言いたいのではないと首を横に振った。それは、彼の言葉を借りるなら本当に瞬きの夢で、寝ているときに見ている現実世界では一瞬の時間……それを理解し、それでもいいとそれに酔うことにした。それは変わらない。でも、もっと根本をたどればそうじゃないのだと。
訳が分からない。恋心じゃない何か、それが愛なんだろうけれど、ここまで人に愛されたことはあっただろうか。
リースには愛されている。それは自覚しているし、そうじゃなったら私たちの関係はあんなにも続かなかっただろう。彼も彼で、感情をうまく出さないところがあるから未だわからないところもあるけれど。きっと、心の奥底で私が想像しないほど私を愛してくれているのだと、そう思っている。
でも、アルベドがそこまで思ってくれていたなんて知らなかったから。
「別にいい。勝とうだなんて思ってねえよ。ここまできたら……でも、思っちまったんだよ。そうじゃなくて、俺が今一番恐れてるのは、またお前を失うこと。お前に捨てられることだって」
「すて……ないよ。アンタを守るために」
「俺は守られなきゃいけない人間か?」
と、アルベドは私に問う。
先ほどの顔は、そうだった。けれど、いつものアルベドはそうじゃない。彼の言う通り、私のほうが守ってもらわなければならない存在のようにも思える。それはいつものことなんだろうけど。
(でも、今の私、足を引っ張ってるし……)
なんで体に力が入らないのとか、いろいろと気になる点は多かった。単なる体の不調じゃない気もしてならない。
確かに、今の状態で離れようって言っても説得力は全くないのだ。それもあって、彼は私を一人にできおないのかもしれない。彼がこんなにお人よしになったのは私のせいだろうか。
(もう、せいとか、一人で頑張るとか言わないほうがいいのかな……)
一人でやろうがやらまないが、いつもから回っている。でもそれは、まだ自分が頑張っていないからだという言い訳をして。でも、実際のところそれが問題じゃない。
私は首を横に振る。アルベドが守られなければいけない人間じゃないことくらいわかるし、これが私のエゴであることもなんとなく知っている。
守られなければならないから守るのではなく、気持ちの問題で守りたいと私が個人的に思っているだけだ。もちろん、アルベドだってそれは理解している。それでも、きっとそれを含めていっているのだろう。
「ううん、アルベドは守られなくちゃいけないほど弱くない。でも、私が守りたい」
「十分守ってくれてるだろ。だから、もういい、傷つくな」
「傷つくなって、そんな……」
傷つかないようにする方法を私が教えてほしいくらいだ。でも、傷つかないように生きるっていうことは、目を瞑ったり視界に入れないようにするってことで。
(ああ、もう全部いいわけじゃん、こんなの)
「私が悪かった」
「別に、お前が悪いわけじゃねえよ。でも、俺を拒絶しないでほしい。わかったな?」
「な、なんで上から」
「お前は、無自覚に人を傷つけるからだ」
と、アルベドは私の額をこついた。神割とした痛みが走り、何するの、と叫びたくなったが、次に目を開けたときにはアルベドは笑っていた。先ほどの不安な顔は一切なく、いつものように読めない笑みで私を見下ろしている。ずっとそんなふうに笑っていてほしい。だから、この人を拒絶しちゃいけない。そんなふうにまた私の中で書き換えられていく。
「わかった。拒絶しない。やっぱり、私ひとりじゃ無理そうな気がするから」
「だろ?ステラには俺がついてなきゃいけないんだよ」
「すっごい自信。でもありがとう、まったくその通りだと思うから……そうだね」
「ああ。ステラもそうやって笑っていてくれ。俺もそのほうが安心する」
アルベドはそういうと私の頭を撫でた。するお、ふいに眠気が襲って気、私は重い瞼を閉じる。疲れたんだな、と思うことにし、意識を闇に落とす前、私はとある違和感を覚えた。目を閉じたらもう目を開けられないような不安が一瞬私の中をよぎる。そんなはずないと言い聞かせながら目を閉じたが、私は最後まで、その不安をぬぐうことはできなかった。




