272 敵対者
今時悪役でもそんな笑い声あげないんじゃないかって思うくらい、彼女は高らかに笑う。
典型的な悪女。救いようのない悪女。彼女を表す言葉なんていくらでもあったし、どれも当てはまってしまう恐怖に震えるしかない。けれど、これまではグレーゾーンにいた私たちは、はっきりと彼女の敵意の中に入ってしまったというわけだ。これからの正面衝突は避けられないと。
彼女と話し合ってどうにかなるとは思っていなかったが、こうもはっきりと宣戦布告、敵としてみなされたことは初めてで、どう彼女と向き合っていけばいいかわからなくなる。無理やり、体を奪い返すことができればいいのだが、そんなこと簡単にできるわけがない。そもそも、どうやって体を取り戻すか、それすらも、よくわかっていなかったといまさらながらに思った。
それでも、戦わなければならない敵であることには変わりない。
「敵って……アンタのその幸せな時間は永遠には続かないと思うけど?」
「そうね。永遠には続かないと思うわ。前も言ったじゃない。飽きたら捨ててもいいって」
「……そういう考え方は!」
「だってそうじゃない。私は満たされたいだけ。愛されて、愛されて。その先に何があるのか知りたいのよ」
哲学的なことを言っていいて私には理解できなかった。愛の先に何があるのかなんてこっちが聞きたい。けれど、彼女はその先に何かがあると信じているからこれを続けるというのだろうか。こんな、妄想劇を。
そのために巻き込まれる世界のことを考えてほしかった。けれど、彼女の悪役的考えに、思考にはそういうのがないのだろう。彼女の辞書にこれをやめるという文字はないと、そういいたいような気もするのだ。
(本当にくるってる……)
そんな女とこれからぶつかっていくとなると恐ろしく思った。
グランツの記憶が取り戻せたらよかったのだが、彼はすでに彼女の手の中に戻ってしまい、私はどうしようもない絶望感にさいなまれていた。もっとうまくできたかもしれない。けれど、ERROR表示が出たら。最後の一歩が踏み出せないまま奪われてしまい、苦い思いをしたのだ。
リース、グランツ、ブライト……こちら側に引き入れられそうな人はいるのに、彼女が私を敵とみなしたから、簡単には彼らを手放してはくれないだろう。ブライトくらいなら、とも思うが、彼はエトワール・ヴィアラッテアの魔法の師でもあるため、彼女に用もなく呼び出されるという可能性もあるのだ。
私は、辺境伯令嬢で、それ以上でもそれ以下でもない。聖女の力が発動できれば、聖女として認めてもらえれば話は変わるのだろうが、聖女は召喚される存在だと刷り込まれている以上は私が聖女だなんて言ったらバッシングを食らうだろう。それは、フィーバス辺境伯の娘でも関係ないと。
「まあ、せいぜい私を敵に回したことを恨めばいいわ」
「でも、アンタだって私に手を出せないでしょ。それこそ、全面戦争になるわよ」
「……関係ないわ。こっちには奥の手があるもの」
そういって、エトワール・ヴィアラッテアは靴を鳴らす。彼女の足元に現れたまがまがしい魔法陣を見て、私は混沌のかけらを感じた。彼女がファウダーの力を奪ったというのは本当みたいだ。だけど、それもなぜ彼の力を奪えたのか気になるところではある。
彼女が闇に落ちたからだろうか。世界を巻き戻すなんて言う大きなことを犯したからだろうか。理由はわからない。けれど、彼女こそが悪役で、ラスボスだとそう言わしめるような圧倒的な力に私は今後の不安を募らせていく。彼女に本当に勝てるのだろうかという不安。勝てたとして、体をどう返してもらうかとか。
また高らかに笑いながら消えていく彼女をにらみつけ、絶対に取り戻すと再び心に誓った。
どんなに彼女が強大な敵であっても私はあきらめることなんてできないのだから。
(絶対に取り戻す。また、原点に戻ってきただけよ)
しっかりと自分が何をしたいのか、どうして生きていきたいのか。それをしっかりと思い出すいい機会になった。
彼女が消えたピンクのチューリップが咲き乱れるロータリー。風に揺れて黒い花弁が私の鼻に張り付いた。
「もう、はっくしゅん」
「花粉か?」
「さっきまで黙ってたのに、いきなりしゃべらないでよ!」
「んな怒ることかよ。ちょっと心配しただけだろ」
「ちょっと?」
「まあ、たくさん」
と、そこまで口を閉じていたアルベドが私に話しかけてきた。先ほどまで空気になっていて、あのエトワール・ヴィアラッテアを前にしても今回ばかりは何も言わなかった。彼女に見惚れていたんじゃ、と恐ろしいことを思ったが、そういうわけでもないらしい。けれど、アルベドがこちら側だとしても、エトワール・ヴィアラッテアが狙ってこない理由にはならない。グランツのように洗脳をかけなおすことだってできるのだから。
アルベドは大丈夫だよね? と彼を見つめてみるが、なんの変わった様子もなく私を見つめていた。
そういえば、まだお姫様抱っこをされていたと思い出し、おろしてというが、やはり彼はおろしてはくれなかった。
「まだおろしてくれないわけ?」
「ああ、お前のその体調不良が何なのか突き止めるまでな」
「そんな簡単に調べられないでしょ……」
「ともかく、今はゆっくり休むことだ。これ以上無理してまた倒れられたら、もう誰もお前を助けられなくなるかもしれない」
「わかってるけど……」
わかってはいるけれど、気持ちは焦るのだ。あんなふうに宣戦布告されれば、こっちだって気が気じゃない。アルベドもわかってくれたうえで、それでも休まなければならないと私に強く言った。それほど私の体は危険な状態なのだろう。なぜこんなふうになったのか皆目見当もつかない。
ごめん、と言いながら私は彼の腕の中で小さくなる。
自己管理ができない時点で足を引っ張っている自覚はあったため、情けなくなってくるのだ。といっても、今回は全くの不測の事態のため仕方ない、仕方ないと自分をいたわってあげることにして、アルベドを見上げてみる。
「どう思う?」
「どう思うってそりゃ、めんどくさいことになったなとは……思うが?」
「そうだよね、はあ……どうしよう。グランツも持っていかれちゃったし」
「んなものみてえな」
「ものとしては見てないけど!でも、大切な人がね、もっていかれたらいやでしょ」
ものとして見ているわけではないし、彼をそんなふうに見たことはない。護衛としても、彼がいいから選んだのであって誰でもいいわけじゃなかった。まあ、いろいろと経緯はあるものの、グランツがあそこまで思い出してくれたこと、そしてアルベドがあそこまで努力して思い出させてくれようとしたことを考えて、あそこまで行ったのに、そんな……という気持ちは強かったのだ。
アルベドはその点に関しては何も思っていないのだろうか。アルベドだって、グランツのことは苦手だけど、守ろうとは思っていた過去があるわけだし。
「しゃあねえだろ。さすがにあそこまでは考えられなかった。考えが及ばなかったんだよ」
「確かに……突発的な出来事だったし、対応できるもんじゃないもんね」
「ステラ」
「何?」
改まって名前を呼ぶものだから、どうしたと彼を見たらどことなく真剣な顔つきで彼は私を見下ろしていた。なんでそんな顔をしているのだろうと思うと、彼は口をゆっくりと開いていうのだ。
「もし、俺があいつに洗脳されたらどうする?俺を切り捨てるか?」
風が吹き、私たちの髪をッそよそよと揺らした。彼の満月の瞳は私をじっと見つめている。




