269 良心的に
「……良心的だな」
「…………レイ公爵邸」
ふわりと広がるチューリップの香り、一面に咲いたピンク色のチューリップが私たちを出迎える。こんな一面にピンク色のチューリップが咲いている場所なんて一つしか思い浮かばず、アルベドの良心的という言葉の意味をすぐに理解し、私はラヴァインの先ほどの顔を思い出していた。ほんの数秒前のことだろう。転移魔法からここに飛ばされて、そこまで時間は経っていないはずだし……と、彼がここに飛ばした意味もなんとなく分かった。そもそも、フィーバス辺境伯領地に飛ばせるほどの技術はないだろうし、まほうがしゃだんされるから、実家に飛ばしたほうが早いと。それはよくわかった。それに、グランツが一緒でいきなりフィーバス辺境伯領に飛ばされてもフィーバス卿がびっくりするし……
(また何やってるんだって、フィーバス卿にいされたらいやだしなあ……)
あまりにも行動を甘く見てくれているというか、黙認してくれているというか。だからこそ、親孝行を! と思うけれど、なかなかできないのが現実だった。また帰るのが遅れるけれど、フィーバス卿じたい、アルベドを信用しているので、まあアルベドと一緒なら……とそこも少し軽く見てくれていると思う――が、やはりこんなに外出ばかりだとまた車庫会で変な噂が流れそうで嫌だった。もう少し令嬢らしく! 聖女らしく! というのはわからないけれど、前者は守るべきだろう。
(まあ、そんなことよりも……)
「アルベド、おろして」
「ダメだ」
帰ってきたのは冷たい声で、なんでそんなふうに言われなければならないかわからなかった。ずっとお姫様抱っこされている状態で、落とされる不安というより、重いといわれるのが嫌というか。
けれど、アルベドは頑なにおろしてくれなかった。なんかずっとこのままな気がして恥ずかしさもこみあげてくるが、きっと理由はずっと抱きしめていたいとか、そんなんじゃない。
(体、重いけど、動かないってわけじゃないんだし、そろそろ……)
ムリするなと言われたばかりなのに、無理をしようとしている自覚はあった。また、動かしてみなければ、体が動くかどうかもわからない状態。なんでこうなっているのか、それもそれで、解明しないといけないと思う。ただ、いま彼におろしてもらって建てるかと言われたら微妙なのである。だから、それも見越してアルベドはおろしてくれないのだ。
「だめ、かな」
「かわいく言っても無理だからな?そういう問題じゃねえだろ」
「かわいく言ったわけじゃないし、そう見えてるのアルベドだけなんじゃない?」
と返せば、アルベドは黙ってしまった。まさか、そんな効果があったとは思わず、こっちも思わずごめん、なんて口にしてしまって、もう話はやめようと、アルベドは私を抱きかかえながら、屋敷のほうへ向かって歩き出す。しかし、ここで問題なのは――
「――待ってください」
「ああ?」
「グランツ」
ラヴァインの手にによって転移したのはアルベドと私だけではなくグランツで、空気いなっていたことを怒っているというよりは、自分もついていくべきなのか、それともまだアルベドを信用しきれていないのかといった顔つきで私たちを見ていた。
まあ、いきなり転移させられて驚いているだろうし、しかも転移先が公爵邸なんて思いもしなかっただろう。さすがに、ラヴァインもそこまで親切じゃないので、グランツだけを皇宮や、聖女殿に戻すなんてことはしないだろうし、そもそもできないのではないかと。
グランツが怒っているのはそこじゃなくて、黙っていこうとするアルベドの態度に関してだろう。
「アルベド・レイ」
「口の利き方には気をつけろよ。平民上がり。テメェの態度で、テメェが使えている聖女様の評価が下がるかもしれねえんだからな」
「脅しですか?」
「ハッ、本当のことだろう。現に、テメェは自分の仕事を放棄してここまで来た。それが裏切りと言わずしてなんていうんだ」
「それは、ステラ様が……」
「テメェの主人はステラだったか?」
「……」
「アルベド……」
まあ、言っていることはごもっともで、私を選んでくれたことは単純にうれしいけれど、それでグランツが解雇とかなったらかわいそうだとは思う。それをすべて受け入れてくれるような人であればいいが、残念ながら相手はエトワール・ヴィアラッテアだし。グランツの洗脳がとけかかっているとわかったら、彼を切り捨てるかもしれないし。
グランツは盲目的にエトワール・ヴィアラッテアを信仰しているみたいだけれど、あっちにその気がないというか、いつでも切り捨てるみたいな態度でいるエトワール・ヴィアラッテアの逆鱗にふれればグランツは……
アルベドの言っていることに対し、それが事実だからグランツは反論できなかった。反論したら、誰へ忠誠を誓っているかそれこそわからなくなるからだろう。グランツも、なぜ私を選んだのか、その理由をはっきり見つけてほしいところだけど。
「まあ、どうでもいい。俺のことじゃないし、テメェが決めることだしな。口出しして悪かったな」
「……俺は、どうすればいいですか」
「あ?」
と、グランツは再度アルベドに話しかけた。
「帰れといわれも、ここからじゃ距離がありますし、いまからじゃ……」
「厚かましいな。んなの、泊まらせてくれっていえばいいじゃねえかよ」
「アルベド・レイが?」
「ああ?」
「いえ……そんな、あっさりと」
グランツは、ありえないものでも見たような目でアルベドを見たので、アルベドのこめかみがピクリと動く、普通に、止めてくださいといえばいいのに、なぜそれをいえないのか。それはグランツの性格だとは思うけれど。
アルベドもアルベドで、わかりやすい言い方を……もう少し、敵意なくいってあげるとかできたんじゃないだろうかとは思うけれど、両者そういう性格だとまとめてしまえばそれまでだった。
「あ、アルベド……ええと、グランツも。そうだよね。今から帰ったら危険だし!」
「泊めることに対してはなんも言わねえが、テメェは別の部屋だからな。俺はステラと一緒の部屋だが」
「な!」
「ちょ、アルベド!?」
にやぁ~とした顔でこちらを見たので、ああ、これは確信犯だと殴りたい気持ちになるが、やはり殴るような体力がなくて奥歯をかみしめるしかなかった。これを見せつけられた、グランツはハッと顔を上げ、そして憎悪そまり切った顔をアルベドに向けていた。
「アルベド・レイが……ステラ様と同じ部屋?」
「別に問題ねえだろ。だって、俺たちは婚約者なんだから。テメェに何か言われる筋合いはねえんだよ」
アルベドの言っていることはごもっともだ。
からかうつもりなのか、それとも逆上させて何かを狙っているかわからないが今にも剣を引き抜きそうな勢いでグランツの手が震えているので、私はアルベドにそこらへんにしておいてよ、と言いたかったのだが、この先に何があるのか少し見てみたくもなった。グランツがどう出るのか。いや、怒って終わりな気もするかもしれないけれど、なぜ嫌なのか、その理由をグランツがどう出すかは一つ見る側としては必要な観点かと思った。
(グランツ……)
グランツは、拳を震わせながらバッと顔を上げるとやはり剣を引き抜いてその剣先をアルベドに向ける。アルベドは私を抱きかかえたままそれをまっすぐと見据えた。
「やれるもんなやらってみろよ。テメェの大好きなステラが傷つくだけだが?」
「……違う、ステラ様は、ステラ様の婚約者は皇太子殿下だ!」
そうグランツが言った瞬間、アルベドの口角はニヤリと上がり、私もその言葉にはっと瞳孔が開いた。




