268 嘘と嫌がらせと、そして本当
「ラヴィ、だめ!」
「……す、てら」
サアアアと風が吹くように、それらがすべてを運んでいくように彼の広がった魔力は消えた。消えたのか引っ込んだのかは微妙だったが彼の周りを渦巻いていた魔力や、怒り、殺意などは一気に消え失せて、逆立っていた彼のくすんだ紅蓮の髪も元通りになる。けれど、まだ怖くて私がぎゅっと抱きしめていれば、ラヴァインは私の名前を消えるように呼んで、すっと私の手に自身の手を重ねた。
「ステラ、何してるの?」
「何してるのって、アンタが、アンタが悪いんでしょうが!」
「いて!ちょ、背中叩かないでよ」
いつもの調子で、でも少し焦ったような、申し訳なそうな声色に、私は彼が戻ってきたのだとわかったが、それでもまた暴走するのではないかという不安にも駆られて殴り続けた。
いきなり暴走した。あの魔力は、前に一度感じたことがあったものだから。
(リースの……災厄によってリースが暴走した時と似てたから……)
だから怖かった。感情こそが魔力のリミッターであり、あれがぶっ壊れたときは誰もそれを制御できなくなる。それは魔力の扱いに慣れている人でも、心が成熟していなければ起こる現象だとは思う。フィーバス卿がなるかと言われたらそれはならないだろっていえるけれど。でも、ラヴァインの場合はそうじゃないから。
「……ステラ様?」
そうつぶやいたのはグランツで、信じられないというような表情でこちらを見ていた。しまったと思ったときには時すでに遅しだったが、私はラヴァインを止めるほうを優先したため後悔はしていない。そこまで先を見通していなかったと言われたらそれもそうだけれど。
彼の翡翠の瞳が揺れていた。まるで、うらぎられたとでもいわんばかりの顔に私も胸が締め付けられる。裏切ったわけでも、だましていたわけでもないけれど、グランツからしたらそれは裏切りになるのではないかと。
(私を助けに来てくれたのに、敵であるラヴァインとつながっているって知ったらいや、だとは思うけど……)
わかってる。
ラヴァインに向けられていた剣は私に向けられ、私と、ラヴァイン、そしてアルベドは敵だというように彼はひどく顔をゆがめてにらみつけた。
「グランツ……これは――」
「ステラは、敵でも味方でも関係なく優しくしちゃうんだから駄目だよね」
「え?」
ちゅっと、優しいリップ音が鳴ったと思えば、頬に柔らかいものが押し当てられる。それが、彼の唇だったと気づくまで時間がかかったが、私はキスをされたのだとわかった瞬間、ボッと顔が赤くなって彼から離れた。
ラヴァインはふふっ、といじわるげに笑った後、トンと私の胸を押して後ろへ投げると、私の体は今度アルベドに抱き留められた。
「あ、ある、あるべ……」
「愚弟、これは何の真似だ?」
「え~嫌がらせ?いつものことじゃんねえ」
と、ラヴァインはわざとらしく言う。でも、また仮面をかぶったなということが私にもアルベドにも分かったのだが、今回ばかりはアルベドもイラっとしたようで、私の頬をハンカチでいたいくらいにふく。
グランツはその様子をぽかんと眺めているだけで特別何かを言うことはしなかったが、ラヴァインと視線が合うと剣のつかを握りなおす。
「どういう……」
「どうもこうも。俺とステラがつながってるんじゃないかって、そして、ヘウンデウン教とつながっているんじゃないかって思ったんだろうけど違うよ。ステラのことを知って、俺がステラに執着しているのは、兄さんの婚約者だから……いや、俺がステラに一目ぼれしたからであって、彼女は関係ない」
「けれど……」
「信じられない?でも、今普通に嫌がられたし、ステラは今は兄さんのものだし。兄さんだって、俺のこと敵だっていうように見てるけど?」
ラヴァインはそう繰り返し言ってグランツに刷り込ませる。
グランツもグランツで、そう、なのか……みたいに境界があいまいになっていき、あと一押しすれば……と私もなんだか応援したくなるようなそんな気持ちになる。
さきほど、冷静さを失っていた人とは思えないほどの機転の利きように苦笑してしまうが、そういってくれなければきっと、グランツは信じてくれないだろう。ただ、疑い深い性格であるため、一発で信じてくれるとは思わないけれど。
「ステラ……様、そうなんですか?」
距離のある様付けは、多分前の記憶が混じったものなんだろうと結論付けて私は首を縦に振る。
「……そりゃ、ラヴィ……ラヴァインは、アルベドの弟だから、接点があるけれど、彼はヘウンデウン教の幹部で、私たちがつぶすべき敵なの……だから」
ラヴァインは敵じゃない。また、傷つけるような嘘を飲み込みつつも、ここはグランツに信じてもらうことが優先だと私はラヴァインをにらみつける。彼は肩をすくめて「だってさ」と悲しそうにいが、すべては顔に出さなかった。
グランツもそこでようやく納得したようで……そう、と小さくつぶやいて剣を下ろした。
「……俺はまた、ステラ様を疑ってしまったんですね」
「また?」
もうなんかずっと疑われている気がするので、今に始まったことではないと言い聞かせてみるけれど、グランツが人を疑う理由はわかるし、彼の行動は何もおかしいから否定もできない。それが彼であることも、人を疑ってしまうその精神というか性格もすべて理解できるからこそ、「また」は「また」なのである。自分でも何を言っているかわからなくなってきたけれど、それに傷つくほど私もやわじゃなかった。
(まあ、これで一応、グランツの誤解も解けたかな?)
完全にとけ切ったわけじゃないし、そのせいで、ラヴァインが完全に敵として見られてしまったこともなんともかわいそうな話である。すべてを丸く収めるためには、記憶を取り戻してもらう必要があるが、どうも最後の一手が踏めないというか。
(……それでも、地道にやっていくしかない)
災厄の調査。
そして、召喚されるであろう本物の聖女トワイライト――彼女がここへ来ることでまた何かが変わるかもしれない。また、彼女が私のことを覚えているかも重要だった。
覚えていてほしいけれど、そうじゃなかったら……もし、エトワール・ヴィアラッテアのことをお姉さまと読んだら、私は耐えられるだろうか。そんなことを思いながら私はぎゅっと胸の前で手を握った。結果がどうなるかわからない以上は、慎重に、でも迅速に行動しなければならない。
そんなふうに、私が暗い顔をしていれば、ラヴァインはやれやれといった感じにぱちんと指を鳴らした。その瞬間、私とアルベド、そしてグランツの足元に赤黒い魔法陣が展開される。瞬時に、それが転移魔法であるとわかり、これが牢獄など最悪な場所につながっていないのはわかったが、なぜ? と、少しの疑問で彼を見れば、彼は少し寂しそうに笑っていた。また、しばらくの別れだとそういわんばかりに。
「まあいいや。俺に今勝ち目はないってわかっちゃったし。ちょっとプレゼントをあげるよ。またいつか会おうね。てか、ステラに関してはまた奪いに行くよ。兄さん」
「ラヴァイン、テメェ!」
「しばらくの別れだね、ステラ」
にこりと微笑んだ彼の顔は優しくて、とても悪人を演じているようには思えなかった。その顔をグランツがみていたかはわからないけれど、もし見ていたとしたら、完全に彼は違う、とわかるだろう。でも――
(わかれって悲しいこと言わないでよ……)
確かに別れかもしれない。でも、ラヴァインは味方だからまたすぐに会いたいと、どうしても、彼のことを気にかけずにはいられず、私は、無意識にラヴァインに薄れゆく輪郭の手を伸ばしていた。




