265 かっこ悪い
(震えてる。なんでそんな、怖いって顔しているの?泣きそうな顔をしているのよ)
私の頬を撫でる彼の手は震えていた。理由はわからない。ただ、ベルとしゃべって、私たちの関係は婚約者だって言っただけ。それ以外は何もなかった。魔法をかけられて、二人だけの空間にって思ったけれど、意識だけ飛ばす魔法なんてあるのだろうか。ベルがかかわっているせいもあって、魔法の可能性も考えてしまうけれど、あれだけ密着していて、個々に魔法をかけることなんて不可能だろう。悪魔だからできるとかいう問題ではなく、だったらラヴァインが教えてくれそうなものだから。
でも、今は気が動転しているようだし、悪魔とかかわったから少し精神状態が乱れているのかもしれないと、そう結論付けて、彼の言葉を待った。
「ごめん、ステラ。まず最初に謝っておくよ」
「それって、婚約者だって嘘ついたこと?」
「そうだね。いきなり現れたから、どう取り繕おうかって思った結果あんなことになっっちゃって。ステラも困るよね」
「困るっていうか、よくあれでだませると思ったよね……その、ラヴィの行動が怖いというか」
「確かに。あれで、信じてもらえたなんて思っていないよ。でも、あいつは意地悪だから、少しでも面白いようにしなきゃきっと信じてもらえないよね」
「わ、わかってるんだ」
ということは、ばれている前提で話が進んでいるということか。それもそれで嫌な気分になるのだが、相手がベルだから仕方がない。それをわかっていても、取り繕って、嘘をついて楽しませなければならないというのはとても不便な気がしたのだ。
家柄で言えば、どう考えてもラヴァインのほうがいいのに、それでも人間として(実際は悪魔だけど、彼からしたら人間で)、気を抜いたら危険な相手とラヴァインはわかっているのだろう。アルベドでも、彼のことは嫌いだし警戒しているようにも思えたし。それは、彼がベルになる前からも変わらないことだった。
だったらなぜ、ラヴァインは……
「わかってるよ。わかってるけど、そうしなきゃいけなかっただろ?あの状況はさあ」
「ま、まあ、そうだよね。わかる、わかるけどね!すごく思い切ったことしたなって思って。アルベドもそうだけど、ほんとアンタら兄弟は」
「兄弟はって比べるのよくないと思う」
「ご、ごめん。つい口に出るというか。私たち姉妹が、姉妹っぽくないから……いや、姉妹なんだけど」
確かに兄弟似るという言葉はよくないかもしれない。ラヴァインに何それ、と冷たい目を向けられてしまい、私はごめんと謝ることしかできなかった。私と、トワイライトは双子なんだけど似ているところが少なくて、彼女のほうがかわいいしと、比べてしまう。でも、トワイライト自身がなんて思っているかもわからないのに比べるのは確かによくないのだ。
個として見てほしい、それは私も思うことだから。反省している。
「思い切ったことは確かにそうだね。兄さんと似ているかもしれないね。ステラを守るために。兄さんも必死だったんだって、今ならわかるよ」
「それで、なんでアンタはそんな顔してるのよ」
「そんな顔ってどんなの?」
と、ラヴァインは言うと、すっと表情を変えて私のほうを見た。あ、取り繕った、というのがわかってしまい、それを指摘しようにも隠そうとしているから触れてはいけないと私は黙るしかなかった。
そういうところはまだまだ子供で弱いと思う。ラヴァインはもっと……ラヴァインは私の前だけでもいいからもう少し、自分を出してほしいと思う。もうすでに、心を許してくれているのは知っているけれど。
(私も対外人のこと言えないけど……)
そういう意味では似た者同士なのかもしれない。大人になり切れていないという部分では。私は実際、中身は二十を超えているが、大人になり切れていない部分は確かにある。
「何でもない……どうせアンタはそうやってごまかすんでしょ?自分の感情に蓋をするのはよくないと思うけど……でも」
「だって、かっこ悪いじゃん」
消えるような声で言ったつもりなのだろうが、私はその声を聞いてしまった。だから、それに対して何か言いたくなったけれど私は特別何かをいうつもりはなかった。だっていってしまったらまた傷つける可能性があったから。
(かっこ悪くないよっていっても、かっこ悪いよねってどうせ返すんでしょ、アンタは……)
ベルにあったことで少し自信をなくしているのかもしれない。あんな強大な敵……ではないけれど、存在を前に平常心を保っている方が普通じゃないんだから。私だっていきなり現れてびっくりしているっていうのに、ラヴァインがびっくりしないわけもない。それがたとえ、同じヘウンデウン教の幹部だったとしても。
「まあ、嵐は去ったわけだし、脱出を考えよっか」
「そ、そうだね。ごめん、何から何まで」
「歩ける?」
「あ、歩けるって……うわっ」
一歩踏み出しただけだった。なのに、体が傾いて、私はまたラヴァインに受け止められる形で体から力が抜けてしまう。歩こうと思っても、足が思うように動かなかった。なぜだろうか、本当に体に力が入らなくて困った。魔力切れも、肉体的疲労も感じなのに、なぜか、思うように体を動かせないのだ。誰かが私の体を縛り付けているようなそんな感覚さえする。
(どういうこと?)
ラヴァインもこの状況には驚いて、受け止めることしかできず、私をじっと見ては眉を下げた。理由が分かったとしても、彼は闇魔法で、私は光魔法。相容れない存在で、直すことはできない。その悔しさからか出た感情か、ラヴァインは私をひしっと抱きしめた。
「無理しないでよ」
「無理、じゃないんだけど、でも、体がうまく動かなくて……これ、どういうこと?」
わかる? とラヴァインを見るが彼は首を横に振るばかりだった。
「俺は、魔法の鑑定が苦手だから……兄さんとか、それこそ、皇太子殿下とかだったら気づくかもしれないけれど、俺はそう……わからない。わかっても助けてあげられない」
ごめん、と申し訳なさそうに言うので、私も聞くんじゃなかったと思った。
聞いたところでどうにかなる問題じゃないような気もするし、何よりも私がこの原因を把握できていないのだ。心臓を掴まれているような不思議な感覚もするし、何というか陰から手が伸びていて、それに引っ張られているような感じ……それもよくわからないのだが、とにかくうまく体が動かせなくて、自分が呼吸をしているのかも怪しい。
「でも、さっさとここを出よう。じゃなきゃ、もっとステラの体が悪くなる気がして、俺は怖いよ」
「ごめん、ラヴィ。どこまでも迷惑をかけて」
「……その言い方嫌いだな。迷惑じゃない。俺がしたくてしていることを否定しないで。ステラ」
ラヴァインはそう言って私を再度抱きかかえ歩き出すと、二、三歩歩いたところで足を止めたのでいったいなんだと前を見れば、ピンク色の花弁が舞い散り、そこにないはずのあの一面のチューリップ畑が目に浮かんだ。そして、風とともに現れたその紅蓮に私は目を見開く。
「……遅いんだよねえ。兄さん」
ラヴァインは、ハッと鼻で笑うけれど、どこか安どしていて、その安堵は私にも伝わってきて、遅くない、早いんだよと言いたいのに、また口が動かなかった。
風がもう一度逆方向に吹き付ければ、彼の長いポニーテールが激しく揺れ、風がわさっとやみ、彼の満月の瞳がこちらへすっと向けられた。
「迎えに来たぞ。ステラ」
それはまるで皇子様みたいな、そんな登場だった。




